ひとりごと
ゲームに関する
あれやこれやについて
ほみやがひとりで
熱く語りまくります。
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中古販売はゲーム文化を衰退させる 2002.12.14 |
きれいごとを言うつもりはカケラもない……単に、そう感じるだけです。実は筆者は、今までゲームソフトは言うに及ばず、音楽CDにしろビデオにしろ本にしろ、一度買ったものを中古に売り飛ばしたこともなければ、中古品を買ったこともありません。ゆえに部屋はどんどん狭くなり、乱雑になる一方ですが、一度手に入れたものには愛着が湧いてしまい、とてもじゃありませんが手放す気にはなれないのです。たとえそれがどんなクソゲーであっても、バイオしかプレイしていないドリームキャストであっても、です。
物を生み出すことに携わる仕事に就いていればなおさら。そして、自らの仕事が著作権に結び付くものであれば余計にです。たとえば、自分の作った音楽があったとして、やっぱり自分の預かり知らぬところで勝手に売り買いされていては気分は良くありません。いや、はっきり言って迷惑です。なぜって、自分には一銭もお金が入ってこないのですよ?自分が苦労して作ったものが、自分を通らずにやり取りされるのは誰だって嫌でしょう?それはネットにおける違法ダウンロードなんかも同じことですが、それはここでは触れないとして(またの機会に)。
そういう意味では、生産能力がまだ無いと言っていい学生さんたちには、この辺の価値観は湧き起こらないのかもしれません。いや、たとえアルバイトであっても、何かを「創る」ことに携わっているのなら、わかってくれるはずです。どちらにしても社会に出て、何らかの仕事をするようになれば、こういった価値観はおのづと備わってくるでしょう。いわゆる「生みの苦しみ」というやつですね。しかし、アタマではわかっていてもいざ何かを購入する段階になると、ついつい安い方に手が伸びてしまうのもわかります。安いものを売っていたら、買ってしまいますよね。となると、売っているのが悪いんじゃないの?
いわゆる「中古ショップ」ってやつは、何の権利があって著作物を勝手に売買しているのですか?そしてなぜ、この法治国家で「中古売買」なんてものが許されているのか、理解に苦しみます。中古販売店を経営する人というのは、きっと自分でゼロからものを創ったことなんて無いのでしょう。断言します、無いはずです!ちょっと前のことになりますが、話題になった中古売買裁判。判決はなんと合法でした。ゲームメーカーが、負けたのです。法律では、問題が無いということになるんだそうです。何をバカな、と思いませんか?個人的には、あの判決に不満は山ほどあれど、ひとつも納得いくところがありません。そこで、このネットの辺境で、司法に対して噛みつかせていただきましょう。
裁判所なんざ所詮、お役所だね。
法に携わってるだけで偉いつもりなのでしょうが、彼らは自分でものを創り上げる能力のない可哀想な人種です。法律だって、別に彼らが作ったものではありませんから。自分で「創作」する能力が無いゆえに、既存の法にすがることでしか自分を誇示できないのですよね。「生みの苦しみ」どころか、ものを創る喜びすらもご存知ない。もちろん、クリエイターたちの魂を削った「作品」に対する理解もない。呆れつつも同情の念を禁じ得ません。
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←「中古販売は合法」という判決以後は、ほとんど目にする機会のなくなったロゴマーク「NO
RESALE」。「このマークは、無許可でのゲームソフトの中古売買を禁止するマークです」とあるが、裁判所に言わせればそれはやってもかまわないそうで。お上はドロボウ推奨だそうですよ。こわいこわい。 |
中古問題については、個人的には全面的にゲームメーカーの味方をさせていただきます。何と言われようとも、です。そして自分は、新品をちゃんとした店で買い続けていきます。中古屋という名の、ドロボウ稼業に荷担はしません。ものを創る苦しみも、喜びも、わかっているつもりですから……。対価はきちんと、メーカーに還元されるべきであってほしい。そして、その対価がそのメーカーの、次の作品へと繋がっていってほしいからに他なりません。
ユーザーたちはきちんと理解しているのでしょうか?ゲームソフトの料金は当然メーカーに入るわけで、その売り上げをもとに、クリエイターに賃金が支払われ、次の作品の開発費が捻出され……、つまり、我々はお金を払ってゲームを買うと同時に、そのメーカーの「未来」にも投資しているわけです。で、きちんと売り上げを回収できないとどうなるか。じゅうぶんな賃金の支払われないクリエイターはやめてしまうでしょうし、真面目に仕事をしなくなるかもしれません。制作費も潤沢に用意できなければそれ相応のゲームにしかならないでしょうし、最悪は赤字となって会社が潰れます。会社が潰れるってことはねぇ、社会に出ればわかるけど、大変なことなんですよ。
で、その「売り上げの回収」をジャマしているのが、中古売買なのです。たとえば、あるゲームには100万人がプレイするだけのパイがあるとしましょ。で、50万の人が発売日に新品を買ったとしますね。で、そのうち半分の人が中古に売ったとします。そうすると、他のプレイヤーは中古品を買ったり、友達に借りて済ますわけです。するとどうでしょう、100万人をターゲットにして開発を進めてきたソフトなのに、メーカーに入る売り上げはほぼ半分になってしまいます。メーカーとしては「アテが外れた」ということになりますね。すると、次回作は規模縮小せざるを得ませんし、本当は100万の人間がプレイしているのに、売り上げ記録は50万本ってことになってしまいます。しかもまた、中古や貸し借りで済ませたプレイヤーたちも、いっちょまえに文句は言うわけです。「グラフィックいまいちだね」「シナリオがちょっと……」「つまんなかったね」。私がゲームメーカーなら、
正規の料金も払わないヤツが文句言うんじゃねえ!
ですよ。その資格もないってことです。貸し借りは、否定しません。それがゲームユーザーのパイを広くしてきたことはファミコン時代から確かなことですし、不特定多数ならともかく、友人の内輪における貸し借りはゲーム業界のダメージにはならないと思っています。それがいいゲームなら、自分で買いなおすこともあり得るわけですから。
が、中古の場合お金は払ってるわけで、ユーザーとしては一人前のお客のつもり。でも、そのお金はメーカーに入ることはないのです。完全に自分の所有物になるだけに、貸し借りよりも罪深いことを自覚しましょう。おやおや、どこからかオコサマの声が聞こえてきました。
だって、ゲーム高いじゃん。中古じゃないと買えないよ!
なるほど、なるほど。一理あります。中古でも利用しなければ、年に何本も遊べるものではありませんよね。ですが、ゲームソフトは安いです。これは間違いなく安い。子供のお小遣いと比較すれば高いのですが、内容を考慮したらゲームソフトはめちゃくちゃ安い。むしろ、音楽CDや映画のDVDの方が暴利でしょう。製作期間、内容、関わったスタッフの数、需要(売り上げ見込み)を考慮すると、音楽CDなんて高過ぎです(海外盤と国内盤の価格差を見よ!)。何にしても、ゲームは高いから中古を利用する、というのでは安易すぎるのではありませんか?いいですか、私たちが子供の頃は、中古屋さんなんてめったになかったんです。ではどうしていたか。友達同志で分担してソフトを買っていたんですよ。「オマエはコレ、俺はアレ」って感じで、別々にソフトを買う。それを、仲間内で貸し借りしてたんです。そうすることで、いろいろなゲームを遊んでいたんです。お金がなくても、たくさんのゲームをプレイすることは可能なんですよ。
最近では、TSUTAYAなど一部の中古ゲームを扱う店で、売り上げの一部をメーカーに還元する動きが出てきました。いいことですねえ。が、まだぜんぜん足りません。それっぽっちの還元では、メーカーの「生みの苦しみ」に対する対価にはなり得ません。そもそも、それ自体が偽善的な行為でしょう。私の知るTSUTAYAの中には、新品ソフトと中古ソフトを同じフロアで販売している店舗もあります。たいしてこだわらない人にしてみれば、同じソフトが新品と中古で並んでいれば、迷わず安い中古を選ぶことでしょう。これはまさに、新規顧客のチャンスロスを故意に生み出す行為以外のなにものでもありません。営業妨害もいいとこです。
中古販売そのものを、即刻やめなさい。
余談ですが、ネットでの違法ファイル交換によって売り上げが落ちたと、複数の音楽会社が「コピーコントロールCD」なるものを投入したのは記憶に新しいことですが、個人的にはアレ、ネットのせいじゃなくて中古販売のせいだと思っています。で、ちゃんと新品を購入している「正しいユーザー」は、音質・品質の点で難のある「コピーコントロールCD」なんてインチキくさいソフトをつかまされている、と。迷惑な話。いつの世も、正直者がバカを見るってことですかね。変な規格作るヒマあったら、中古販売を取り締まろうぜ。avexのバカ。
自覚して下さい。中古品を買うことは、ゲーム業界の「未来という名の芽」を、ブチッとむしり取る行為なのだということを。不況はなにも、社会の歪みではありません。クソゲーは必ずしも、メーカーの怠慢ばかりではないのです。中古販売を利用するユーザー、中古販売に手を染める販売店が生み出すこともあるのです。自分たちの行為が、そのままゲーム業界の未来として、自分たちに還ってくるということを忘れずに……。
中古利用者に、ゲーム批評の資格なし! |
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