ひとりごと
ゲームに関する
あれやこれやについて
ほみやがひとりで
熱く語りまくります。
|
|
|
|
ゲーム会社の傲慢をユーザーは許すのだろうか? 2002.08.22 |
「ウチのゲームは今後、○○への独占供給とします」「次回作は○○に移ります」「続編はオンラインになります」ゲームメーカーのこれらの発表に、何度となく憤りを感じたことがある人も少なくはないでしょう。ゲームファンであれば当然のことです。そして、ゲームを深く愛する人ほど、その憤りは大きいものになるのです。その憤りはある意味、ユーザーの傲慢です。「自分の持っているハードで出すべき!」「自分が遊べる環境で出せよ!」、ところが、そのユーザーの傲慢は許されます。じゃんじゃん言って良いのです。なぜなら、金銭を払うのはユーザーだから。その傲慢は、許されます。その権利があります。消費者に与えられた特権と言っていいでしょう。そして、最終的には「もう買ってやらないぞ!」という、最大にして最強の権利があるのです。
ならば、ゲーム会社の傲慢は許されるのでしょうか。傲慢な主張をするのは自由ですよ。何を言ってもかまいません。が、はたしてそれで、お客(ゲームユーザー)が付いてくるでしょうか?「ウチのファンは、何があろうとウチに付いてくる」「ウチのゲームは、何をやろうと売れる」いつからゲームメーカーは、これほどの自信を持ってしまったのですか?そしてなんと強気になったことか。絶対に商売がうまくいく、と思っているようです。そして、今頃になって「実はそうではないのか?」ということに気付きはじめているようです。
まずはカプコンの失敗を検証してみることにしましょう。カプコンの「バイオハザード」の件は、わざわざここに書かなくともゲーマーなら誰もが知っていることですね。そして、かつての「バイオハザード」が、また誰もがプレイしていた人気タイトルであることも言うまでもありません。そこに、傲慢が生まれてしまいました。「バイオハザード」の生みの親であり、チームを統括する三上真司氏は、クリエイターとしての欲求から「バイオハザード」を任天堂のハード「ゲームキューブ(以下、GC)」に独占供給することを発表しました。それも、「4」や「5」などの通し番号の付いた、正統な続編と言うべきものを、とのたまったのですから、バイオファンの怒りが沸点に達するのにはさほど時間はかかりませんでした。しかも、他のアナザーストーリー(たとえば「ベロニカ」「アウトブレイク」)や「ガンサバイバー」は他機種でも出す、という抜け道を用意しつつ。
ゲームキューブのリメイク版「biohazard」はたしかに素晴らしい仕上がりでした。PS、PS2ですら表現できないと思われる美しいグラフィック、そしてPS版の初代「バイオ1」をも彷彿とさせる恐怖感、追加要素。プレイしたユーザーなら、それが確かに「GC独占供給」の根拠たり得ることが理解できるクオリティだったのです。PS2では、表現できないレベル。クリエイターとして、自分の表現したいものを可能とするハードで開発したい、それは当然の欲求ですし、理解はできます。しかし、ではどれだけのユーザーが三上氏の欲求に「付いて来てくれたのか?」。結果として、「バイオハザードシリーズ」としては異例の「売れなさ」だったのはご存知の通り。もちろん、かつて発売されたもののリメイクであるという要因もあるのでしょうが、それにしても、売れませんでした。即ち、これまで「バイオ」を支持してきたユーザーは、「プレステで遊べないならもうバイオはいいや」と見限ったのです。当時はまだ「バイオハザード0(ゼロ)」も「4」も出ていませんでしたし、結論を出すのは尚早だったかもしれません。が、やはり「0」も売れませんでした。今ならはっきりと、結論を声を大にして言えるでしょう。「やっちゃいましたね」と。
|
←ゲーム史に残すべき珠玉の仕上がりながら、
ファンが付いてこなかったGAME CUBEでリリースの「バイオ」。
本当にもったいないことをしたなあという感想。 |
PSユーザーは、PSで発売されていたからこそ「バイオ」を遊んでいたのです。「バイオでなきゃダメ」なのではありませんでした。PSソフトとしての「バイオ」であったからこそ、なのです。そこが、大いなる勘違いを生んだのでしょう。「多機種に行くなら、そのハードを買ってまで遊ぶものではない」。それが、今回バイオを見限ったユーザー大半の意見。「バイオ」を育ててきたのは、言うまでもなくPSユーザーです。そして、PSのプラットフォームで次々と「ディレクターズカット」「2」「デュアルショックバージョン」「3」を、休むことなくリリースしてきたからこそ、「バイオ」の人気は継続され、売り上げを伸ばしてきたのです。それは、「バイオだから」ではありません。「PSタイトルとしてのバイオ」だったからなのです。ところが、カプコンおよび三上氏は「バイオ」というタイトルの人気であると、錯覚してしまいました。
ドリームキャストで出た「Code:ベロニカ」はどうでしょう。ミリオンがアタリマエだった「バイオ」シリーズにおいて、見込んでいた売り上げには至らず、「完全版」と称してPS2に移植されたのも記憶に新しいですね。この行為は、カプコンの「僕らが間違ってました。PSに戻るので、買って下さい」というメッセージにも思えますが、「ベロニカ完全版」はPS2でもさほど売れませんでした。さらに、「ベロニカ」のためにドリームキャストを買ってしまったユーザーには、取り返しのつかない不信感を植え付けることとなったのです。「ハード一台買わせておいて、まんまとPSに戻りやがって」。
|
←この憤りは、どこにぶつければいいのか?
左:ドリームキャスト版「ベロニカ」
右:PS2版「ベロニカ完全版」 |
この頃からすでに、ユーザーの興味は「バイオ離れ」を起こし始めていたのでしょう。しかも、PS2における「バイオの代わり」は、皮肉にも自社の「バイオ」の亜流、「鬼武者」だったのです。ユーザーとしては、この時にカプコンが自らの勘違いに気付いたであろうと思っていたのですが、どうやらそうではなかったようです。そう、「バイオ」はゲームキューブへと移ります。
三上氏と、キューブ移籍を許可したカプコンの上層部(岡本吉起氏)は、ゲームキューブというハードの性能、そして何より任天堂(宮本茂氏)のゲームに対する考え方に共感したからこそ、「バイオ」をキューブに持って行ったと言います。それは問題ありません。クリエイターの欲求としては純粋です。しかし、そこに皮算用はなかったのか。「バイオ」が移動することで、キューブが売れる。「バイオ」ユーザーが付いて来てくれる。だが、現実は甘くはありませんでした。多少の影響はあったとしても、それに起因してゲームキューブが爆発的に売れることはありませんでしたし、リメイク「バイオ」もヒットしたとは言い難い結果となりました。カプコンをいち企業として考えた場合、ミリオンの狙えるタイトルをむざむざ捨てるようなことになってしまったわけです。こうなったら、完全新作である「バイオ0」と「4」は絶対にコケるわけにはいかない、売らなければいけない。カプコンの焦りのようなものも見える気がしますが、PSユーザーは付いてくるどころか、とっくに「バイオ」を過去のものだと考えていたようです。そして、「ベロニカ」と同じように、「どうせコケて、泣いてPSに戻るんだろう」と、冷めた見かたをしていたのです。たとえそれはあり得ないとわかっていても。
「バイオ」をやりたいタイプのゲーマーにとっては、キューブの他のラインナップに魅力を見出せない。逆もしかりで、長く任天堂ハードで任天堂のゲームをプレイしてきたユーザーにとっては、「バイオ」は特にプレイしたいタイトルではない。「マリオ」や「ゼルダ」でこと足りているのです。なぜ、商売のシロウト(いちゲームファン)にでもわかるこんな簡単なことに、気が付かないのだろうか?
そして、PS2で発売予定の「ネットワーク・バイオハザード(正式名称:アウトブレイク)」の発表。先に三上氏らが用意していた「抜け道」が、早くも現実のものになろうとしているのです。しかも、オンラインゲームだというのですから、もう、
|
「なめてんのか!?」 |
と言わざるを得ません。「バイオハザードシリーズ」すべての作品のストーリーが密接に絡んでいるということは、プレイした人にはわかるでしょう。つまり、すべてプレイしないと「結局、話がどうなったのかわからない」「あの伏線はナニ?」「あのナゾはなんだったの?」ということになるわけで、たとえ外伝的ストーリーであったとしても、全貌を知るには欠かせないものなのです。それを、作品ごとに気まぐれにハードを分散させたあげく、オンラインまで混在させるとは……。これを「ユーザー無視」と、「傲慢」と言わずして何とする?
かつて岡本吉起氏は「バイオ」の開発スタッフに対してこんなことを言ったとか。「おまえらは続編が決まってから次の話を考えようとしとるやろ。それはちがう。最初に大きな世界をガッと作る。それを作品の中で見せていくんや」、そして記者のインタビューにはこう答えています。「そう、ガンダム。まさにあれです。すごく大きな規模の話だから、ユーザーさんにはそのすべてを見せてあげたいんです」……当時はなんと素晴らしい考え方だと思ったものですが、今となってはこういうふうにしか聞こえません。
「PSやらドリキャスやらキューブやらオンラインやら、あちこちで出すから、全部見たいやつは全部揃えろや。売れへんかったらPSで完全版出すかもしれんが、そん時は追加要素入れるからそれも買えや」
ふざけるな!という言葉に尽きます。しかも、ガンダムとバイオを同列に語っているところも、今にして思えば傲慢なハナシ。規模はともかく、ガンダムには歴史があります。大きな世界観を少しずつ見せているように見えるのは、歴史の積み重ねによる結果なのです。が、バイオにはまだ歴史と呼べるほどのものはありません。
2003年に岡本氏はカプコンを退社しますが、氏は当時を述懐してこのように語ります。「どこかの1強はよくない。バランスが取れてないと。だからカプコンはマルチプラットフォームみたいなことをやってきたし、バイオもキューブに出した(要約)」。確かに、ハードのパワーバランスが偏ると競争がなくなりますし、ロイヤリティの問題も出てくるでしょう。その考えには同意できる部分もありますが、よりにもよって「バイオ」でそれをしなくてもよかったのでは?個人的には、GCにはロックマンの方が適役だったように思います。
ちょっと「バイオ」を責めすぎですか?でも、これも「バイオ」を愛しているからこそ。「ベロニカ」の時はDC買ってプレイしましたし、PS2の完全版も買いましたよ。キューブに移ると聞けばGC買いましたし、リメイクも「0」も「4」だって買いましたとも。ええ、買いました。典型的なバカユーザーの代表として、これぐらいは言わせてもらってもいいんじゃないかと思うのです。
さて、「バイオ」の例で長くなってしまいましたが、カプコンは他にもありましたよね。そう、「DINO
CRISIS 3」がそれ。こちらは、突然X-BOXへの参入を発表しました。が、ご存知の通りX-BOXというハードは出だしからコケたと言っていいでしょう。ハードとしては良いマシンかもしれませんが、ディスクに傷が付くという問題があったために一部チェーン店では売り場から撤去されてしまった、などというトラブルも手伝って、その展開は惨憺たるありさま。即ち、ビジネスとしては完全にコケています。あとは、採算度外視でクリエイターの思い入れで作るしかありません。それをやっているのが「DEAD
OR ALIVE」のテクモですが、カプコンはどうでしょう。「DINO CRISIS 3」のその後の情報がさっぱり見えてこないばかりか、PS2で「ガンサバイバー」版の「DINO」を出してしまいました。きっと必死になって「DINO
3」をPS2対応に作りなおしているんだぜ、などという噂がネットで語られたものです(注:2003年春、「DINO
3」は予定通りX-BOX対応ソフトとして発売されました)。
カプコンばかりを責めるのも何なんで、他にも触れておきましょう。ご存知、スクウェアの「ファイナルファンタジーXI」です。想像通り、一部の熱狂的ゲーマーはプレイして高い評価をしているようですが、その走り出しは「FF」としては近年まれに見る低売り上げでした。度重なるサーバートラブルなどもあって、プレイしていないユーザーには「やっぱりオンラインゲームはダメだ」という印象を与えることにもなりました。しかしスクウェアは諦めず、「ジラートの幻影」「プロマシアの呪縛」と追加ディスクをリリースし、その甲斐あってか2004年も終盤に、ユーザー数は55万人に達したのです。こうなれば完全にビジネスとして成立しているでしょう。いろいろあったけど良かったね、と素直に誉めてあげたい気持ちです。
が、「XI」がバリバリ稼動中だというのに、残りのゲームファンの多く(オンラインをやらない層)の興味が既に「FFXII」に向いている現状も確かにあるのです。売り上げだけでゲームの良し悪しは語れませんし、プレイしてもいないのにゴチャゴチャ言うな、という意見ももっともです。しかし筆者は、「XI」をクソゲーと切り捨てるつもりは毛頭ありませんよ?そうではなく、作品一本の内容うんぬんよりも、もっと広い視点の話をしているつもりです。
わかりやすく言いますと、「ゲーム業界、やばいんじゃないの?」ということに尽きます。ゲーム文化が衰退するのはいちユーザーとして悲しいことです。ところが、作り手がそれに気付かないほどに傲慢なところが気になります。「遊びたいなら、ハード買いなさい」「環境そろえてから出直してね」とさえ言われている気になりませんか?言われるままにホイホイ従ってお金を落としていると、メーカーの傲慢・増長を助長しかねません。「FFXI」をプレイすることは難しいことではなく、お金さえ出せばすぐにでも、誰にでもできることです。「ゲーム業界を心配するなら買ってやれよ」という意見も耳にしますが、それではダメだと思います。勘違いしたメーカーがどんどん傲慢になってしまうのは火を見るより明らか。言ってみれば、これは一種の不買運動なのです。「勝手なことばかりやっていると、ユーザーが離れていきますよ」という警告だと受け取ってもらってもかまいません。オンラインゲームは、まだまだ一般層がプレイするには時期が早すぎるのではないでしょうか(そのあたりは、前回のコラムを読んでいただきたい)。
最後に。ゲームは商品であり、きれいごとは抜きにして、ゲームメーカーにとってはビジネスの手段でしかありません。クリエイターの欲求や夢もけっこうですが、その土壌すらなくなってしまったらどうしますか?現在はその一歩手前まできていると言ってもいいでしょう。そろそろ、過去のあやまちから学習し、失敗しないように考えていかないと、ゲームビジネスが商売として成り立たなくなるかもしれません。
誤解を恐れずに言ってみれば、今ゲームを遊んでいるユーザーの大部分は「ライトユーザー」なのです。昔のように、もうゲームはマニアックなものではありません。マニアにはメーカーが何をしようと付いてくる従順さがありますが、ライトユーザーは気まぐれ。明日にはゲームに飽きるかもしれない。ゲームよりも楽しいものを見つけてしまうかもしれない。もちろん、ハードを購入してまでひとつのタイトルを追いかける従順さもない。メーカーは、ネットにおけるユーザーの感想ばかり見ていてはいけないのです。そもそもネット(掲示板)でまでゲームを語りたがる人々は、すでにライトユーザーではありません。サイトを作るとなればなおさらです。ネットにおけるゲームへの評価は「ごく一部のもの」と思わなければならないでしょう。その他大勢の「ライトユーザー」を意識していかないと、ゲーム業界は再びマイナーなものへと戻ってしまうかもしれません。
従順なユーザーなど、実はそんなにいないのだ! |
|