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FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN オリジナル・サウンドトラック |
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↑初回版限定スリーブケース ↑通常盤ジャケット |
1997年にプレイステーションでリリースされた、スクウェアの人気RPGシリーズ「ファイナルファンタジー」の第七作「VII」は、CD-ROMの大容量による恩恵を最大限に利用し、壮大なシナリオと広大なマップを用意。さらに最先端CGによる美麗なムービーを随所に挿入し、「プレステの凄さ」「FFの凄さ」を広く一般大衆にまで見せつけた。結果として国内でおよそ362万本を売り上げ、インターナショナル版も含めれば軽く400万本に達するモンスターソフトだ。そのシナリオと世界観、さらに立体化されたキャラクターたちに、スーパーファミコンの頃とはまた異なる特別な「思い入れ」を抱くユーザーは決して少数派ではなかっただろう。エンディングの解釈をユーザーに委ねる形を採っていたことも、その「思い入れ」に加担している。そしてそれが、「彼らはあの後どうなったのだろう」「続きが知りたい」という声へと変化するのにさほど時間はかからなかった。 その声に応えたのかどうかは定かではないが、一時は「VII」をプレイステーション2でリメイクするという発表もあった。結局それは頓挫してしまうのだが、それから間を置かず「続編」の製作が告げられる。それもゲームではなく、完全な映像作品として、である。続編を望む声、さらにムービー否定派からよく言われる「いっそ映画にしてしまえ」という声にも応えたということだろうか?そして彼らは再び我々の前に姿を現した。 スクウェア・エニックス SQEX-10051〜2 2005年9月28日発売 JASRAC表記:あり |
作品紹介 1997年、それまでファミコン〜スーパーファミコンで展開してきた人気RPGシリーズ「ファイナルファンタジー」はそのプラットフォームにプレイステーションを選択、当時の最先端技術を惜しげもなく投入した最新作「VII」をリリースした。3Dで構築されたキャラクターやフィールドマップ、美麗なCGムービー、そのいずれもが大きな賞賛をもって迎えられ、ゲームという「文化」をゲーマーのみならず一般大衆にまで認知させた。ゲーム誌だけでなく、一般的な写真週刊誌が「FF」の特集を組むことも珍しくなかったのである。CD-ROM3枚に渡る多くの伏線と謎が盛り込まれたシナリオ、キャラクターの内面まで描き出す緻密なイベント、ジョブシステムを発展させたマテリア成長システム。すべてにおいてこれまでのFFを着実に進化させた「VII」はゲーマー層以外の購買欲も喚起し、国内でおよそ362万本を売り上げ、後に「インターナショナル版」も発売されるほどの人気を勝ち得た。キャラクターイラストもこれまでの天野喜孝氏から野村哲也氏に変更、一部では「アニメっぽい」と言われるその画風も、これまでコアユーザー向けと言われていた「FF」を、広くライトユーザーに認知させることに一役買っていたのは疑う余地もない。一本道のシナリオ以外にも様々なやり込み要素を付加した「FFVII」は、「バイオハザード」と並ぶプレステ初期のキラーソフトであったのだ。 続編を望む声が非常に多かったのも「VII」の特徴である。余韻を持たせ、解釈を各々のユーザーに委ねたエンディングもその一因だろうが、やはりそれは自ら駆け巡った広大な世界への郷愁、緻密な裏設定の用意されたスキのない世界観と謎に対する探究心、そして魅力的なキャラクターたちが「あの後どうなったのか?」という思い入れによるものではないだろうか。「RPG=役割を演じる」とするならば、ここまでキャラクターが立っている(プレイヤーの分身ではない)ことは邪道であるかもしれない。が、それはそれで独立したキャラクターへの思い入れを生むことが証明されたのだ(映画的、アニメ的と言っても差し支えないだろう)。そんな「主人公not自分」、そして随所に挿入されるムービーに対して明確に「否定派」のポジションに立つユーザーが現れ始めたのも「VII」以降ではないだろうか。この「映画的演出」とムービーの多用は「VIII」以降さらに強化されていき、ファミコン世代のオールドユーザー離れが顕著になっていく。彼らの議論において「FF」はよく「VII」を境にして区別されているが、そんな意味でも「VII」は「FF」のターニングポイントであったのだろう。重要なのは「分岐点」とは言っても、それがおそらくスタッフ総意による方向性だったということである。「FF」から離脱した「もと」ユーザーは「いっそゲームではなく映画にしてしまえ」と罵った。 それが現実となったのが、「FF」の生みの親・坂口博信氏による映画版「FINAL FANTASY THE SPIRITS WITHIN」である。ハリウッドのアーティストを起用し、実写と見紛うCGによって製作されたそれは間違いなく最先端のものでありながら、ビジネスとしては失敗に終わった。ゲームファンからは「どこもFFじゃない」とそっぽを向かれ、映画ファンからは「ゲーム屋が作ったんだろ?」と注目されなかった。どちらのターゲットからも賛辞を得ることのできなかった映画「FF」は結果としてスクウェアという企業そのものにダメージを与え、いわゆる「余裕」を食い潰してしまった。その影響もあってか、一時は発表されかけていたプレイステーション2での「VII」リメイクも立ち消えになってしまったのである。 しかし、ユーザーの抱く「VII」への思い入れは途絶えることがなく、またユーザーのみならず製作者の間でも「VII」は特別な作品だという意識があった。そんな思いが結実し、「VII」の続編は意外な形で告げられた。「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN」……それは、「ゲームではなく映像作品」というものであった。言ってみれば「失敗した前例」のある映像作品をまたやるのか?という思い切った発表にユーザーは戸惑い、ゲームとしての続編要望の声もいまだ止むことがないが、純粋な「VII」の続編を映像作品とする代わりに、スクウェアエニックスは「コンピレーション・オブ・FFVII」の構想を立ち上げ、「VII」の世界観を補完する複数のゲームを企画した。携帯電話でプレイする「ビフォアクライシス」では「VII」以前の世界を描き、「ダージュ・オブ・ケルベロス」はヴィンセントを主人公としたガンアクション。さらに「三人の青年と一人の少女の物語」とされる「クライシス・コア」も製作され、「VII」は以後、映像作品である「アドベント・チルドレン」を含めAC・BC・CC・DCによって語られていくこととなる。こうなったら「ZC」まで見てみたいと思うのが人情であろうが、それは各々のタイトルの「結果」によるだろう。 そして2005年9月14日に発売された「ADVENT CHILDREN」。最初は20分ほどのシナリオだった「AC」は製作をするうちに「どうせならこれもやろう、あれもやりたい」という製作者たちの「思い入れ」が次々に投入され、最終的には100分というボリュームになった。発売も大幅に延期され、ゲーム一本を製作するのと変わらない時間が費やされている。制作費については言うまでもないだろう。筆者としては「モトが取れるのか?」という要らぬ心配をしてしまったのだが、結果的にあっという間に売り切れてしまった初回限定スペシャルパッケージの「ADBENT PIECES : LIMITED」、発売日にUMD版しか店頭在庫がなかったほどのDVD版の売れ行き、そしてインターネット上で見られるユーザーの感想を見る限りでは案じる必要がなさそうだ。幸いだったのは「AC」は一般大衆に向けた劇場用映画ではなく、欲しい人だけが見るソフト作品だったことだろう。製作するうえでターゲットを絞り込むことができ、固定ファンの購買をある程度予測できるからだ。報じられたデータでは初動で42万本が売れたらしい。「VII」ユーザーの数を考えると、まだ売れる可能性はじゅうぶんに残っている。 「AC」をディレクションしたのは、オリジナル「VII」のキャラクターデザイン(初期プロット等も担当)で一躍有名クリエイターとなった野村哲也氏。彼自身、自らの名を世に知らしめた「VII」は特別な思い入れのある作品だったのだろう。初めはいちドット屋だった野村氏は徐々に作品の世界観やシステムについてアイディアを出すようになり、そういったものが初めて作品の根幹を成した集大成が「VII」であった。ユーザーの想像以上に、「VII」の世界観は野村氏によって紡がれているのである。その彼が自ら総指揮を務めた「AC」に、世界観の破綻はあり得ない。なぜなら「VII」は前述の通り、最初から野村ワールドだったからだ。そして、彼自身の手によって生み出されたキャラクターたちの描かれ方も文句のつけようがなく、CGはもちろん現時点での最高峰である。あえて写実的なリアリズムとディフォルメされたゲームキャラとしての「リアル」を混在させた表現は、日本のクリエイターだからこそ、そしてゲーム屋の彼らだからこそ実現できた独特の質感。フルCGムービーはハリウッドを始めとして巷に溢れているが、「AC」はそのどれとも違う異質なもの。無論、良い意味で、だ。もちろん坂口氏の「FFムービー」とも違う。ストーリーについては言及しないが、例えるなら「FFX」には「FFX-2」という純粋な続編があった。作品のテイストや演出論は別にして、きちんと後日談を描ききった「X-2」という前例に倣えば、「AC」は間違いなく「FFVII-2」と言える作品。「VII」を愛した人、最後までプレイした人、そして続編を望んだすべてのユーザーに観てほしいと思う。 その「AC」の楽曲を担当したのは、もちろんオリジナル「VII」において名曲の数々を生み出した、「FF音楽の父」植松伸夫氏。製作中にスクエニを退社して自らの会社「スマイルプリーズ」を興した氏だが、「AC」にはもちろん全力投球。さらにTHE BLACK MAGESの福井氏、関戸氏、河盛氏を「巻き込んで(談)」製作された。製作発表時、ユーザーの期待は「VIIの曲がどんなアレンジになって蘇るか」というところにあったが、実は初期のインタビューで植松氏はこう答えていたのだ。「VIIの曲をアレンジする方向では考えていません。基本的に新曲でやろうと思っています。アレンジした方がいいのかなあ?」と、自身が考えている方向性とユーザーの望むものとのギャップに戸惑うリアクションを見せていた植松氏だが、結果としてかなりの数の「VII」楽曲がアレンジされて使われることになったのは作品を鑑賞した人ならご存知の通り。言ってみれば限りなくユーザーが望んだものに歩み寄った形だ。「ピアノコレクション」からの流用もあるものの、ぜひ「VII」の音楽ファンにも聴いて欲しいサウンドトラックCDは2005年9月28日にリリースされている。前置きが長くなってしまったが、さっそく聴き進めていくことにしよう。 その前に……ネタバレ成分が多いので作品未見の人は注意。ぜひ本編を見て下さい。 ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン (通常版) ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン (初回限定豪華パッケージ仕様) |
どれも必携、「FFVII」と「リユニオン・トラックス」、「FFVIIAC」のサントラ。 |
まず、予備知識から。前提として知っておいてほしいこと。 開発初期、発表直後の植松伸夫氏 「単純に、いい曲を作ろうと思ってます。"FFVII"はエアリスのテーマとかフィールドの曲とか、セフィロスのバトルの曲もそうなんですが、自分の好きな曲が結構多いんですよ。ですから今回は、あれに負けない曲を作りたいです。(主題歌が入る可能性について)入るんじゃないですかね?映像ですから。決まっていればお話しするんですけど、まだ決まってないですから。自分勝手な考えですが、合唱は使いたいなと思ってますよ」 「基本的に新曲でいくつもりです。"FFVII"の曲をアレンジするというのもあるんでしょうが、今は考えてないですね。あれ?アレンジ入れた方がいいのかな?」 "AC"特典ディスクメイキングインタビューから野村哲也氏 「僕からは、(植松伸夫氏に対して)"VIIってどんな感じで作りましたか"って訊いたら(植松氏が)"なんでもあり"と。じゃあ(今回も)"なんでもありで(作ってくれ)"と。同じ世界観、時間軸上の続編なので、同じコンセプトでいいんじゃないでしょうか、と。その時に植松さんから提案されたのが、本編ももっとロック調にするのはどうだろう、というアイディアでした」 発売後インタビュー、植松伸夫氏 「製作期間は2年ほど。ずっと作っていたわけではありませんけど。元になる映像の完成を待ったりしたので。テーマや台本はある程度は早い時期にできていたので、書き下ろし曲(新曲)の完成はけっこう前です。その後に映像ができてから、その曲を関戸君・福井君・河盛君がアレンジして演奏していきました」 「("FFVII"の曲からの選曲について)哲からのオーダーが多いです。"ティファのテーマ"は映像チームからの要望だったかな?僕自身は"片翼の天使"はぜひ入れたかった。当初は"VII"の曲をまったく使わない方がいいと考えていたんです。最後の最後で"片翼の天使"だけが流れて、物語のつながりを実感するという。最終的には新曲・アレンジが半々ぐらいで良いバランスになったんじゃないですかね」 発売後インタビュー、福井健一郎氏 「(アレンジの担当者について)曲ごとの担当は決めていましたが、お互いにアイディアを出し合ったり、音色やリズムパートのサポートをし合ったこともあり、共作といった感じの曲もあります」これについて植松氏が「(サントラの)クレジットの名前は"その曲の最終責任者"ってことです」 「リユニオンファイル」より、野村哲也氏、福井健一郎氏ほか ヴェネチア国際映画祭までは、映像は映像、曲は曲という感じで独自に製作されていたが、それ以降のシーンについてはできあがった映像に合わせて曲を作るというように手法が変化。そのため、仕上がったものに対して逐一野村氏のチェックが入るように。「自分がここまで音にうるさいとは思わなかった」とは野村氏の談である。福井氏も「野村監督のチェックは一切手抜きがなくて、すごく細かいところまで修正が入った」と語る。 ということで、レビューの曲名の下に記してある記号は植=植松伸夫、福=福井健一郎、関=関戸剛、河=河盛慶次、浜=浜口史郎、外=外山和彦(敬称略)。作曲者と編曲者を「植/福(作曲:植松伸夫/編曲:福井健一郎)」という具合に表記する。 植松伸夫:FF音楽の父。「X-2」を除くすべてのナンバリングFFシリーズの音楽に携わる。 福井健一郎:BLACK MAGESのキーボーディスト。「半熟英雄4」「アインハンダー」などの作曲。 関戸剛:BLACK MAGESのギタリスト。「武蔵伝」「ロマンシングサガ-ミンストレルソング-」など。 河盛慶次:BLACK MAGESのベーシスト。FFを中心に手掛けるシンセサイザーオペレーター。 浜口史郎:外部のアレンジャー(コンポーザー)。イマジン所属。FFでも馴染みの映像音楽作家。 外山和彦:外部のアレンジャー(コンポーザー)。カンパニーAZA所属。映像音楽多数。 なお、THE BLACK MAGESのもう一人のギタリスト・岡宮道生氏とドラムス・羽入田新氏は今回は不参加。本業が忙しかったのかな? |
繰り返しますがネタバレしてます!本編鑑賞前の方はご注意下さい。
01 | Opening 植/浜 指揮:竹本泰蔵 |
「AC」本編スタート直後、画面奥から手前に駆けて来るレッドXIIIとその子供たち、というプロローグシーンで流れるのがこのオープニング曲。前作であり、オリジナルである「FINAL FANTASY VII」でもオープニングムービーで使われていた楽曲のオーケストラアレンジになっています。前作をプレイしたことのある人ならば、これが流れたとたんにゲームの場面場面がフラッシュバックすることうけあい。「AC」のオープニングシーンはオリジナル「FFVII」エンディングのラストに挿入されたムービーのリメイクと言って良いでしょう。ちなみに本編のエンドクレジットでははっきりと「FINAL
FANTASY VII OPENING」と記載されています。 筆者個人が思ったのは、ムービーそのものは前作のエンディングを思わせるものの、作りはむしろオープニングに寄せてあるのだな、というところ。駆けて来るレッドXIIIがしばしばカットバックされているのですが、これはまさしく前作のオープニングにおいて同様にカットバックされた機関車。そして俯瞰のミッドガル全体図、といったあたりは構図からして計算ずくなのでしょう。ここにこの楽曲が流れるのはもはや必然、といった感じですね。開発当初は「アレンジはやらないつもり」と語っていた植松氏ですが、出来上がってみればいきなりコレ。やっぱりファン心理としてはこうでなくっちゃね〜。 過去にオーケストラコンサートに際して何度か(最初は2004年の"TOUR de JAPON"で)オケアレンジのなされてきたこの曲ですが、スタジオ録音としてリリースされるのは今回が初めてのこと。アレンジは我らが浜口史郎氏、「リユニオン・トラック」も担当した氏が今回参加してくれたのもまた必然でしょう。アレンジそのものはコンサートのものとほぼ変わらないとのことですが、当然「AC」用の新規録音で、映像に合わせたものになっています。指揮はFFコンサートでおなじみの竹本泰蔵氏。また、オリジナルではイベントの展開上「爆破ミッション」へと続いた曲でしたが、今回はもちろん「オープニング」部分のみになっております。 ついでに、「498年前」の意味がわからない人がけっこういるので触れておきましょうね。まず、冒頭でレッドXIIIが走っている場面は、我々が冒険した「FFVII」の世界の500年後ということになっています(おそらくレッドXIII以外の仲間はもう生きていないでしょう)。で、「AC」の世界は「FFVII」の2年後。即ち、「FFVII」のエンディング視点に置き換えると、「AC」の世界はそこから「498年前」ということになるわけです。ああ、ややこしい。 |
02 | 約束の地 〜The Promised Land〜 植/福 原詞:野村哲也 翻訳:山下太郎 歌唱指揮:福井健一郎 コーラス:G.Y.A |
息を呑むようなライフストリームの映像が映し出され、マリンによるナレーションが「FFVII」のあらすじと、その後の世界が置かれている状況を語るシーンで流れている合唱曲。「AC」での新曲です。植松氏が制作初期に語っていた「合唱はぜひやりたい」という言葉は、この曲や「天来」で実現したわけですね。この曲は伴奏なし、コーラスだけでタイミングを合わせなければならないため、歌唱指揮として福井健一郎氏が棒を振っています。テイク1に合わせてテイク2を録音し厚みを持たせていますが、発声タイミングやブレスを合わせるため、指揮には苦労したとか。曲名の「約束の地」はオリジナルにおけるキーワード。野村哲也氏は当時、「自分はミッドガルが約束の地かな、と考えています」と語っていました。この解釈はスタッフやプレイヤーの数だけあったわけで、だからこそ「続編」が強く望まれたのです。正解はシナリオ担当の野島一成氏しか知り得ないのでしょうけど。 歌詞は野村哲也氏が書いたもの。これを受けて植松氏が作曲し、同時にラテン語へのトランスレイションが行われました。翻訳は「FFVIII」の「Liberi Fatali」作成時に初めて植松氏が依頼をした、日本における数少ないラテン語の専門家・山下太郎氏によります。なぜラテン語にしたのかについては「どの国の人にも公平に、わかりづらい言葉だから(植松氏・談)」。なお、「AC」開発において「2番目に作った曲(植松氏)」とのこと。ちなみに1番目は「Cloud Smiles」。 この曲はエンディング直前でもう一度使われています。クラウドとセフィロスの壮絶な戦いの後、力尽きたカダージュにエアリスの「声」が語りかける場面に流れ、シーンの印象を絶対的なものにしているのです。「恵みの雨」とでも呼ぶべき水滴が周囲に降りしきり、人々を癒していきます。そこには確かに「あの人」の意識が浸透していたのでしょう。冒頭で描かれた「ライフストリーム」とこの「雨」は限りなくイコールではないかと思うのです。そして、1曲目を「FFVII」という名で括られる作品全体のテーマ曲とするなら、この「約束の地」は間違いなく本作「ADVENT CHILDREN」のテーマ曲だと言えます。 クレジットを見るとこの曲、なぜか「C1997」と記されているのですが、何かのアレンジ入ってます……?なお、製品のDVDメニュー画面でも流れています。 |
03 | Beyond The Wasteland 植/福 弦アレンジ:外山和彦 E.G:関戸剛 Perc:福井健一郎 |
ティファからの留守番電話を聴いたクラウドが、電話をしまうあたりから「ドドン……」と鳴り始める重低音はこの曲のイントロ。これも「AC」での新曲になります。ここで初めて本作のタイトルが表示され、以後主要スタッフのモーションタイプが挿入されていきます。 何かが始まりそうな、ただごとでない様子を感じさせる低音の「ドドン……」が繰り返されるなか、不穏な匂いのする低音の弦(生演奏)が導入を形作っていきます。言ってみれば「ジョーズ」の手法ですね。この弦はすぐ後に登場するカダージュたちを導いています。なお、「ドドン……」というリズムと、1分09秒あたりに挿入される「ピアノ+シンセ」のモチーフは、オリジナル「FFVII」でセフィロスのテーマ的に頻繁に使われていた「星に選ばれし者」を匂わせているようです。黒ずくめの服装に銀髪・ついでに美形とセフィロスの影を感じずにはいられない3人組が持つ背景を、ここでさりげなく提示しているのではないでしょうか? 1分47秒からは曲調がガラッと変わって激しいものに。動き出す3人組のバイクがクラウドに襲いかかります。3人を相手に防戦一方・形勢不利といった感じのクラウド。画面から伝わるべき緊迫感を重視したためか、劇中とサントラではかなり聞こえ方が異なっています。具体的には、サントラだとかなり前面にギターがフィーチャーされているのですが劇中ではカットされ、弦楽器の刻みを主体としたミックスが為されているのです。映画におけるサウンドのミックスは特にセリフや効果音との兼ね合いや、シーンの雰囲気に合わせてのトラックの抜き差しが日常茶飯事となっており、サントラ盤の形式のまま使われることの方が稀ですね。映画のサントラCDを聴いているとかなり劇中の印象と異なるケースがありますが、それはサントラ盤がCD用のミックス(もしくはイメージ確認用のデモトラック)になっているためです。 ちなみに、アレンジ担当の福井氏いわく、当初は「アイアイオイオェ〜」みたいな民族色のあるコーラスも入っていたそうですが、植松氏の「コレ、いらないんじゃない?」でカット。ゲーム的なハードウェアの制約がないので「なんでもやれるとついいろいろ試したくなる(福井氏・談)」。そんなことから仮タイトルは「アラブ」だったとか(笑)。 |
04 | Sign 植/福 pf:福井健一郎 |
ヒーリンにいるレノのもとを訪れたクラウド。そこに現れたのは、車椅子に乗ったルーファウスだった……という場面で流れる、手弾きのピアノを主体としたBG。クレジットでは「AC」のための新曲となっていますが、筆者はボーカリーズ(1分07秒〜)から「FFVII」の楽曲「神羅カンパニー」の匂いを強く感じますね。明らかに既存曲のアレンジということになっていなくとも、それを思わせるモチーフや音色を忍ばせることで前作との関連性を深めているのだと思います。まあそれほど難しい考察は不要で、「ルーファウスといったら、神羅といったらこうだよな」というぐらいの動機だと解釈して差し支えはないでしょう。 ボーカリーズの主体はシンセ音色なのですが、それに加えてひっそりと、やや怪しいというか怖い感じの、独特な声が聞こえます。これについては福井氏によれば、「きれいな中にも不安な音程のある声を探したんです」とのことで、「スクウェアエニックスの某コンポーザーの、3歳の娘さんの歌(植松氏談)」なのですと。某コンポーザーというのは、浜渦正志氏。サントラのクレジットにもはっきりと「Ayane Hamauzu」の文字があります。3歳でこの声が出せちゃうとは、もちろん加工はしてるにしても、将来有望! |
05 | ティファのテーマ (Piano Version) 植/浜 pf:本田聖嗣 |
ティファとマリンが「FFVII」思い出の場・伍番街スラムの教会(エアリスが花を育てていたところ。クラウドは今ここに住んでいるらしい)を訪れる場面で流れるもの。「FFVII」での「ティファのテーマ」のピアノソロアレンジですが、本作のための新規アレンジではありません。「ピアノコレクションズ」からの流用になります。アレンジは浜口史郎氏、ピアノ演奏は本田聖嗣氏によります。オリジナルではニブルヘイムの給水塔での幼いクラウドとティファの会話シーンなどで印象的に使われた曲で、暗めの楽曲が多かった「VII」において、束の間ホッと心が安らぐ優しい曲として人気があります。本田氏の演奏は聴く者にそっと語りかけてくるような柔らかな好演奏です。 ここのシーンを主導しているのはマリンの問い掛けであり、ティファはただリアクションをする側に見えますすが、シナリオを支配しているのは間違いなくティファの心情であり、「ティファのテーマ」が使われるのは必然でしょう。なお、このオーダー(教会のシーンは"ティファのテーマ"で、というような発注)は映像チームから(野村氏)のものだったようです。既存曲もしっかりと意味を持って使用されているようで、それは以後の曲についてもそのようです。 |
06 | For the Reunion 植/関 E.G:関戸剛 |
「AC」の新曲の中でも早い段階でできた曲。ヴェネチア映画祭に向けて作られたものだったため、この時点ではまだ曲に対するリテイクはそれほどなく、スムーズに仕上げられたそうです。作中ではヒーリンを訪れたカダージュがルーファウスに詰め寄るシーンで流れているもの。ピアノを主体とした危機感を感じさせる楽曲で、迫り来るようなジリジリとした圧迫感がカダージュというキャラクターを印象付けています。関戸氏いわく「ほぼ植松さんの原曲そのまま。最後に僕がギターを入れて仕上げました」。福井氏によればピアノは打ち込みっぽく聞こえるかもしれないが実は手弾きなんです、とのこと。 劇中ではメタルパーカッションの音色がサラウンド音場を駆け巡っており、ステレオで視聴する時以上の緊張感を醸し出しています。効果音だけでなく、楽曲も積極的にサラウンド化されているんですね。特にこのような場面では楽曲も効果音の一部ですから。 |
07 | 闘う者達 (Piano Version) 植/浜 pf:本田聖嗣 |
「FFVII」において通常戦闘(ザコ戦)で使われていた曲「闘う者達」を、ピアノソロアレンジしたもの。教会でティファとロッズが激しい肉弾戦を繰り広げるシーンで流れるものですが、映像処理は最近のSF映画的でありながら音楽はピアノソロというあたりは「やられた!」という感じです。他のバトル同様、いくらでもロックがハマりそうな場面であるにも関わらず、このチョイス。ピアノソロにしたのはティファ、もしくは教会のイメージでしょうか。とにかくこの演出は完全に予想外でした。ティファもかっこいいしね! なお、音源は「ティファのテーマ」同様、「ピアノコレクションズ」から流用されたものです。筆者はピアノなんてまったく弾けないものですから、「本田さん、いったい手が何本あるのですか?!」という演奏そのものにも驚かされてしまいます。ピアノで「闘う者達」を演るなんて無茶だろ、と思っている人は、この再現度の高さを聴いて下さい。 このシーンの後に突如として鳴り響く「FF」おなじみのファンファーレにも驚かされました。ティファが勝ったからファンファーレ?ちょっとふざけすぎでは?と思ったのも束の間、実はロッズが持っている携帯電話の着メロ……。まいりました。最高級のファンサービスです。ベネチア国際映画祭に特別招待された「AC」ですが、上映時にこのファンファーレが鳴り響いた時にはどよめきが起こったそうです(FFのファンファーレは世界共通言語なんですね!)。筆者はサラウンド環境で見ていたのですが、このファンファーレ、かなり凝ったエフェクト処理が施されており、自分の携帯が鳴ったかと思ってビックリしてしまいました……。なお、作品中でクラウドをはじめとするキャラクター達が使っている携帯電話、機種はパナソニックの「P900iv-クラウドブラック-」です(タイアップですね)。この機種は内蔵効果音にこの「ファンファーレ」が最初から入っており、劇中の音を聴く限り同じ音源のようです。元になっているアレンジはもちろん「FFVII」バージョンのファンファーレです。 |
08 | Water 植/植+河 E.G&A.G:関戸剛 |
教会に戻ったクラウド。ロッズに敗れたティファを抱き上げ、連れ去られたマリンと持ち去られたマテリアの行方を案じ……る間もなく、突如星痕の痛みに襲われて意識を失ってしまいます。そして、突然現れる"水"のイメージ。曲名の「Water」は、見たまんまこれを差しています。台本によれば、この場面は花畑がクラウドとティファを癒しているんだそうです。その「癒し」の意識は……もちろんエアリスでしょうね。もともと「Earth」の読みをモジって命名されたエアリスは、前作で水に還りました。本作では「水=エアリス」のイメージになっています。水の中にエアリスの意識が浸透しているというか、溶けているというか。このあたりの解釈もまたそれぞれになるわけですが。 楽曲はエアリスとは直接関係しない本作での新曲。サントラに収録されているものはアコースティックギターのアルペジオに誘われてのイントロが付いていますが、劇中では41秒の部分から使用されています。また、ディレイ処理されたエレキギターの音色もこの場面には不要であると判断されたのか劇中バージョンではカットされており、サントラバージョンとはかなり印象が異なっています。ベルとボーカリーズを中心として、しっとり、神秘的にまとめられたイメージは、本作ではやはりエアリス以外に考えられません。ピアノの進行からどことなく「エアリスのテーマ」の雰囲気も感じ取れますね。まあ無理矢理結び付けることもないんですが、河盛氏が「"VII"の時の植松さんのアレンジを自分なりに引き伸ばしました」と語っていることからも、この曲が「エアリスのテーマ」を強く意識していることは明らかです。サントラではフェードアウトして終わるこの曲ですが、劇中で使っているものは30秒あたりから聞こえるボーカリーズの盛り上がりを持ってくることで、シーンの尺に合わせて完結されています。 また、サントラに収録されている形の「ギターありMIX」はボツになったわけではありません。湖に落ちてしまったクラウドの携帯電話が沈んでいく、印象的な場面で登場しているのです。そこから、その沈みゆく携帯電話を見守るかのように湖畔に佇む狼のシーンまで。むっ、そういえばこの狼って?!物語の随所に現れる狼は、もちろん本当に「そこにいる」わけではありません。あるものの投影であり、ユーザー(我々)に対してまた「個々の解釈」を求める「仕掛け」になっているのです。 「スピーカーの左から鳴っているギター、実はMIDI(打ち込み演奏)です。難しくってどうしても弾けなかった……」とは関戸氏の告白。見抜けた人いますか?一方、河盛氏によると「全部ギターは生にする予定でしたが、打ち込みと生が両方鳴っているのも良い感じがしたので、最終的には両方鳴ってます」。弾けなかったから打ち込みを鳴らしたのか、それとも鳴りが良かったから採用したのか、二人の証言のニュアンスがかなり異なってますね。 |
09 | Materia 関/関 |
ロッズが持ち帰ったマテリアを、カダージュが不敵に微笑みながら自らの腕へと埋め込むシーンで流れる短いブリッジ。メロも何もない構成曲です。「北の大空洞」を思わせる重低音のベースで始まり、思いっきりレートを落としたようなサンプリングビートがさらなる重苦しさを感じさせつつ、デジタルノイズっぽい電気的な音色が駆け回っています。サントラではフェードアウトですが、劇中では効果音をコーダ的に処理してうまく完結っぽく仕上げられています(よく聴くとフェードアウトされていますが)。 実は最初、このシーンには音楽がかかっていなかったそうなのです。完成直前の総チェックでディレクターの野村氏より「ここは音楽があった方がいいよね」とオーダーされた、とは関戸氏の話。この会議が終わったのが朝4時。「始発(電車)までに作ろう」ということで作ったそうですが、始発が動き出すのって5時ぐらい?遅くても5時半には動きますよね?ってことは、そんな短時間で作ったわけですか?「8小節目からは電車がなくなった時の悲しさが音に現れています(河盛氏・談)」。 追記: 後に発売されたムック本「リユニオンファイル」によると、野村氏はオーダーに際して「北の大空洞のイントロ部分のような雰囲気が欲しい」とかなり具体的に指定したそうです。筆者が上で書いている"「北の大空洞」を思わせる重低音のベース"というのはモロに狙いだったわけですね。それがちゃんと受け手に伝わるように作った関戸氏、さすが。 |
10 | Black Water 植/関+福 E.G:関戸剛 Bass:河盛慶次 cello:岩永知樹 |
曲名は見たままズバリ。集めた子供たちを前にして、忘らるる都で声を荒げて語るカダージュ。星に仕返しするんだ、と言うと彼は湖の中へ進む。彼の周囲の水が黒く変色していき……そんな場面で流れている、ヘビーなディストーションギターを核とした重々しいトラックがこちら。「AC」新曲です。ギター、何トラック重ねてるんですかね?と思ったら、植松氏によると「チェロにギターみたいな演奏をさせたいという試みを実践した曲」。あ、ホントだ、チェロ奏者のクレジットがありますね。3歳から楽器をやっているような人にワイルドなことをさせたかった、とのことで、植松氏のアカデミックコンプレックス炸裂?!しかし見事にギターに負けない音になってますね。融合しつつも引っ込まず、しっかり主張してます。これホントにチェロかい?!ちなみにチェロは右側でギターと同じフレーズを刻んでます。 フェードアウトの楽曲が多いのも本作の特徴で、映画屋さんだったらまず完結させるところでもかまわずフェードアウトで処理しています。確かに完結ばっかりしていると一本の作品の「流れ」がいちいち寸断されてしまう危険はありますし、場面を繋ぐのにフェードアウトは有効な手法でもあります。が、本作の場合はワンシーンが決して長くなく、かつフェードアウトの仕方がどこか自信なさげというか中途半端で、明確な計算に基づいた「意義あるフェードアウト」とはなっていないケースが目立ちます。 例えばこの「忘らるる都」のシーンを例にすると、異変の起こったデンゼルのアップからバイクで走って来るクラウドへという、ふたつのシーンにまたいだ形で楽曲がフェードアウトしていっていますが、ここはデンゼルのアップに付けられた効果音によって曲はブツ切りでもいいので終わらせ、次のシーンは迫り来るバイクの効果音のみにした方がメリハリがつきます。しかも、直後にすぐ次の曲(「エアリスのテーマ」)がくるのです。あまりに音楽が隣接していると「鳴りっぱなし」という感じで、映像作品というよりはBGV、プロモーションビデオのような感じになってしまうのですね。個々の楽曲や「鳴り始めるタイミング」はとてもよく考えられているのですが、曲の配置と「終わり方」はいまひとつ、というのが率直な印象。ゲームに比べたら我慢してるとは思いますが、まだまだ音楽の使い方が「ゲーム屋さん」の発想で停まっている、そんな感じ。まあ尺のわりにシーンが多く、展開も速いので難しいんですが……。 |
11 | エアリスのテーマ (Piano Version) 植/浜 pf:本田聖嗣 |
森の中をフェンリルで疾走するクラウド。すると、シーンは突然真っ白な「イメージの世界」へ。これは、夢?心象風景?クラウドの願望?弱さが見せる幻影?そこに、聴き慣れた「あの」メロディが……。「FFVII」の代表曲、「エアリスのテーマ」です。音源はやはり「ピアノコレクションズ」から。当初、植松氏が「アレンジは使わない予定」と語っていたことは何度も書きましたが、その場合、こういうシーンはどうするつもりだったんでしょ?そこにいるのは明らかにエアリスなのに、違う音楽が流れた可能性もあったわけですよね。うーん?少なくとも、やはりファンの視点では製品版の形で正解だと思います。あと、この曲の劇中でのカットアウトはgoodです。 エンディング直前でもチラッと出てきますね。ロッズとヤズーの「最後っ屁」によって傷付いたクラウドが彷徨いこんだ心象世界。ザックスとエアリスの「声」が、クラウドの居場所はここにはないと語るシーンです。 |
12 | Battle in the Forgotten City 植/福 弦アレンジ:外山和彦 |
エアリスのイメージを抜け出したクラウドを待ち受けるカダージュらと子供たち。三位一体の激しい攻撃を仕掛ける容赦ない三人組、必死に応戦するクラウド、突然現れるナゾの赤マント(ヴィンセント)……という一連のバトルシーンで流れる曲です。曲名の「Forgotten
City」はもちろん、「忘らるる都」。イントロから楽曲を引っ張るストリングスセクションは生録音のようなのですが、ストリングスアレンジの表記はあっても奏者のクレジットがどこにも見当たらないのはナゼ……。 前半は三人組と子供達が現れ、クラウドを取り囲むシーン。アナログ感たっぷりのシンセ・ベースが前面に出ていますが、ここまでブリブリと前に出るベースってなかなか作れないんですよねー。あとはミックスでのさじ加減ですが、全体の構成を少なめにし、弦・ボーカリーズ・そして乱打するタムとの絡みだけにしたのは正解。タムが好き放題やっているため、キックとウッドブロックの音色がテンポをキープする重要な役割を担っているのに注目。 1分08秒からは後半。激しいバトルが繰り広げられる場面で再びストリングスが主張を始め、前半でベースが担当していた曲のキモとなるフレーズを受け継いでいます。ベースはさらに細かく刻み始め、楽曲全体を引き締めています。また、ベースとユニゾンのパンニングシーケンスがベースラインそのものを浮き立たせる役目も持っているのです。「全てのパートをマスキングさせずに聞かせるには」ということがよく練られているアレンジで、劇中で効果音とぶつかった時のことも考慮されていると言えるでしょう。楽曲自体は以後大きな展開をせず、奇妙な動きをする赤マント(ヴィンセント)の登場まで一気にシーンを引っ張り、カダージュがチッ、という表情を見せるあたりでコーダ。 |
13 | Violator 植/関? (サントラのクレジットが 「Savior」になっている) E.G:関戸剛 Bass:河盛慶次 |
上の湖のシーンからしばしブラックアウト、無音の後にジャーンと鳴り響くディストーションギターのサウンド。エッジにあるメテオ記念碑の前に集まった人々が、ロッズとヤズーに激しく抗議している場面で流れる曲がこちらです。「ギターの音が入ると悪い感じ、ザラザラした感じが出ますので(植松氏)」。まさしく関戸氏のギターが大活躍してます。なぜかライナーでは楽曲情報の表記が「Savior」になっており一見新曲(C:2005)のようですが、このギターによるモチーフは明らかにオリジナル「VII」における「神羅カンパニー」ではないでしょうか。シーンの主導がロッズとヤズーであることを考えるとミスマッチなのですが、これはその背後にそびえたつ「メテオ記念碑」を描写するものではないでしょうか(メテオ記念碑は神羅が作ったもの)。 ヤズーの呼び出したモンスターから逃げ惑う人々、その中でデンゼルのもとに駆けつけるティファ、ロッズ・ヤズーと対峙するレノ・ルード一連を貫き、レノの「うぉりゃ〜!!」まで。 |
14 | 北の大空洞 (FFVII AC Version) 植/関+河 |
ビルの上で会話をするカダージュとルーファウス。カダージュ「彼が……帰ってくる」、ルーファウス「……セフィロス」というキッカケでズゥゥ〜ン、と鳴り出すのがこの曲で、オリジナル「FFVII」では終盤のフィールドBGとして皆が耳に染み込ませた、「北の大空洞」のアレンジになっています。オリジナルのイメージを忠実に再現した「ズゥゥ〜ン」のおかげでそれと判りますが、最も判り易いフレーズが出てくるのは1分2秒のあたり、ボーカリーズと共に現れる木管楽器のメロディですね。サントラのMIXでは風のような音が仕込まれており、前作の大空洞をイメージさせる雰囲気に満ちているのですが、劇中ではその場の現実音と誤解されることを懸念してなのかカットされているようです。なお、製作の際はみんな「せ〜の」の掛け声に合わせてあちこちで鍵盤を押したそうです。「なかなか合わずに何度やり直したか(関戸氏・談)」。打ち込みで作っててもそんなアナログな手法を使ってるんですね。 ここで「北の大空洞」が使われているのは言うまでもなくセフィロスのイメージ。「星に選ばれし者」や「片翼」をあえて使っていないのは、直接的な描写を避けたためと思われます。まだセフィロスは現れてないわけで、しかもカダージュはセフィロスのことを直接知らないわけですから。これらの楽曲を使うとそのものズバリなセフィロスのイメージになるため、間接的な「北の大空洞」を使ったのは渋いチョイスだと言えます。また、オリジナルでの"終盤のフィールドの曲"を使うことで、暗に「物語はそろそろ佳境ですよ」と示しているのかもしれません。 このあたりからは「FFVII」の楽曲のアレンジがグッと増え、自然と気分も高揚してきます。が、同時に音楽が絶えず流れっぱなしにもなっていきます。ノリとしてはどこも音楽が欲しくなる場面ではあるのですが、もうちょっとどこかで我慢したかったところでは。というのも、「FFVII」のファンであるならアレンジ曲で盛り上がれると思いますけど、そうでない人はちょっと「ひく」のではないかと。まあ「FFVII」ファンでない人が見るのか?というのもありますけど、映画>FFという価値観の人に感想を聞くと、やっぱりそのあたりの演出がイマイチだ、曲が多すぎるね、やっぱりゲームっぽいね、という意見を耳にしますので。 あれ、ブックレットのクレジットでは著作権表記が2005のみですね。1997も併記すべきでは? |
01 | 天来 〜Divinity I〜 植/外 原詞:野村哲也 翻訳:山下太郎 指揮:竹本泰蔵 |
「じゃあそろそろ……終わりにしようか」と言い、ルーファウスの前で奇妙な行動を始めるカダージュ。なんとバハムートを召喚してしまいます。そこで流れる荘厳なコーラス曲がこの曲。もちろん「AC」のための新曲で、バハムートがメテオ記念碑を破壊するところまで流れています。歌詞は「約束の地」同様、ディレクター野村哲也氏によるものをラテン語に翻訳したものだということです(歌詞はライナー参照)。 作品の発表とともにインターネットでは有志による翻訳も行われていましたね。けっこうラテン語に明るい人が多いのには驚きました。今回は正解がブックレットに掲載されましたが、コーラスで歌われているゆえの聴き取り難さにも関わらず、リスニングもほぼ合っていたのにまた驚き。FFファンの中には凄い人がいるもんです。 バトルではロック調の楽曲が多くを占める本作にあって、ここまで正統派のフルオーケストラ楽曲はかえって新鮮。従来のFFシリーズでは全体がオケ調のものに偏っていたため、特別なイベントでの「ここぞ」という曲が埋もれてしまいがちだった面があったのですが、今回はフルオケ曲の使いどころを極限まで絞り込んであるため、「天来」のインパクトが半端ではありません。植松氏が「本編を全体的にもっとロック調にしよう」と野村氏に提言したのは、単なる荒々しい迫力だけを狙ったわけでも昨今の映画的流行に乗ったわけでもなく、実はこのあたりの効果を重視してもいたんじゃないかな、と勝手に思ってます。 ブックレットにはコーラス隊こそ「東京フィルハーモニックコーラス」と記載されていますが、演奏楽団のクレジットがありません。本編のエンディングを確認してもありませんでした。コーラス隊の記述から察するに、東京フィルハーモニー交響楽団なのでしょうか? 余談ですがここで召喚されたバハムートはオリジナル「VII」に登場した「改」でもなければ「零式」でもないそうです。シナリオの野島一成氏によると「バハムート・シン」であるとのこと。「シン」と言えば「FFX」との繋がりも気になりますが、そういえば「FFX」に登場したシンラ君って神羅の始祖だったりするんですよねえ?このあたりの裏設定は野島氏のみぞ知る、ってところです。「コンピレーション・オブ・FFVII」の最終作で明かされたりすると面白いですね。 |
02 | 闘う者達 (FFVII AC Version) 植/関+河 E.G:関戸剛 Bass:河盛慶次 |
さらっと聴いただけでは「闘う者達」だとは気付きにくい、ヘビーロック+ドラムンベースとして生まれ変わった「FFVII」の通常戦闘曲アレンジです。イントロのメロ(0秒ほか)やギターのリフ(17秒など)は明らかに、オリジナルでブラスが受け持っていたおなじみのフレーズになってます。Disc-1に収録のピアノバージョンと聴き比べると、ホントに同じ曲なのか?というぐらいに変貌していますね。劇中ではレノとルードがロッズ、ヤズー相手に格闘戦を繰り広げるシーンで流れています。格闘シーン、会話シーンが交互に現れるため、楽曲も抑揚を付けてこれに対応。完全に映像ありきのアレンジになっています。曲のアレンジが激しいわりにミックスが抑え目で、劇中ではあまり聞こえてくれません。もっと前に出しても良かったのではないでしょうか?あ、ここで言ってるミックスというのは楽曲のミックスではなく、ポスプロ作業としてのMAのことを指しています。 編曲クレジットが連名になっていますが、もともとこの曲「関戸バージョン」と「河盛バージョン」が存在し、そのふたつを合わせたのが本チャンのバージョンなのだとか。どちらかというと河盛バージョンに寄っているそうです。デモ製作時には「おとなしめ」「ちょっと派手め」「やりすぎ」の3バージョンを用意し、野村氏に聴かせたとのこと。そして野村氏が採用したのが、「やりすぎ」バージョンだったのです。で、ここで自分で「やりすぎ」を採用しておきながら、「更に闘う者達」で福井氏に「もっと激しく」とか要求しちゃう野村氏、鬼です(笑)。 そういえば今回のバージョンが初の「闘う者達」のロックアレンジですね。今回は映像ありきの構成になっているので、この方向性をもっと単体の音楽として昇華させたバージョンを、THE BLACK MAGESの次回作でぜひやっていただきたいものです。 |
03 | 更に闘う者達 (FFVII AC Version) 植/福 E.G:関戸剛 |
こちらはユーザーの感想ではしばしば「どこが?」と言われている、「更に闘う者達」のアレンジバージョンです。聴いて感じられない人にはちょっと説明のしようがありませんね……。わかる人はイントロの流れですぐ気付くのですが。「考えるんじゃない、感じるんだ」としか言えません。だってこのイントロ、音の配置こそ変わってますけど、進行はもろに「更に闘う者達」ですよ。ある意味ではここがいちばん原曲を感じられるところ。ここでわからないと「どこが?」になってしまいます。福井氏は作曲にあたって野村氏と打ち合わせ、「文字の通りです。さらに闘って下さい」とオーダーを受けたということです。 劇中ではかつて共に戦った仲間たちが集結する、大きな見せ場で流れる曲。そのためか演出サイドにもかなりのこだわりがあったらしく、「作っても作っても映像チームから"もっと激しく"と要求された曲(福井氏・談)」。特に野村氏からは具体的に「もっと硬い音で」「もっと手数(音数ってことかな)を多く」という指示があったそうです。この曲は既にTHE BLACK MAGESバージョンが存在するわけですから、オリジナルを含めると今回が3バージョン目になります。しかもここまでバトルではかなり派手に煽ってきたわけで、半端な煽りでは納得してもらえないんですね。さらに、このシーンの直前までビートの強烈な「闘う者達」が流れており、既にそちらがかなりアグレッシヴなことになっているため、「更に」は当然その"上"を要求されてしまうと。福井サン、お疲れさまです〜。結局「THE BLACK MAGES程度のアレンジじゃダメだ、生演奏で弾けないぐらいハードにしなきゃ(談)」とのことで出来上がったのが皆さんが聴いておられるものです。「もう原曲なんてどこいっちゃった状態(笑)。原曲のメロディをほとんど出てこないぐらい潰しちゃいました(談)」。 「闘う者達」がモロにサンプリングループを用いたデジタルビートだったのに対し、この「更に闘う者達」は原曲を意識してかリアルな生演奏ふう音色を用いたドラムになっています。この打ち込みはかなり上手いと思うのですが、それがアダになって「もっと激しく」「手数を多く」という印象になったのではないかと。「闘う者達」は実はそれほどパート数は多くはないのに、リズムのおかげで「手数が多く」聞こえているのです。で、傍観者として単純に思ったんですけどね、「闘う者達」と「更に闘う者達」の充て所をですね、逆にすれば良かったんでは?既にピアノの「闘う者達」は出てるわけですし。 途中でブレイクする部分(1分39秒)はクラウドが登場し、「引きずりすぎて、磨り減ったかな」のシーン。再び盛り上がり(2分26秒)、仲間達とバハムートの戦いを彩ります。ほら、2分47秒で顔を出すシンセブラス、明らかに「更に闘う者達」でしょ?ここが最も原曲のフレーズをわかりやすく残しているところかも。3分24秒に設けてあるスキ間は、完全に映像に合わせたもの。ゲームのムービーではなかなかできない、長尺であるがゆえの「画と音の同期」については、ここぞとばかりに持てる最大限の力を出し切っています。いい仕事です! っていうかコイツら人間じゃない……ユフィなんかちっとも筋肉なさそうなクセに。全員クラスファーストのソルジャーレベルを遥かに超えてそう。一応設定では全員レベル99を「超えて」るんだそうですヨ。レベルが上がると筋力は関係なくなるのかな?俺もレベル上げてー! |
04 | 天来 〜Divinity II〜 植/外 原詞:野村哲也 翻訳:山下太郎 指揮:竹本泰蔵 |
前の「更に闘う者達」がジャカジャカジャッ、ジャカジャカッ、ジャ・ジャーンと完結した後、ほとんど間を置かずに鳴り始める「天来」のパートII。クラウドVSバハムートの戦いをダイナミックに盛り上げる曲です。もともと「天来〜Divinity
I〜」とはひとつの曲だったそうですが、シーンの展開に合わせて分割されたとのこと。 いったんクールダウンするパート(52秒)は、挿入されるカダージュとルーファウスのシーン「気付けよ、親不孝者」。再度コーラスが展開すると(1分20秒)、空飛ぶクラウドのシーン。というかここはクラウドよりも仲間達の方が凄いね……。一瞬、エアリスのモチーフが挿入されるくだり(2分47秒)はぜひ映像で何が起こっているのか見て下さい。 「天来〜Divinity I〜」のところで、「フルオケの使いどころを限定しているため"天来"のインパクトが凄まじい」と書いたのですが、残念ながら「〜Divinity II〜」の劇中でのインパクトはそれほどでもありません。まず第一に「既に一度出た曲である」ということ。ですが、これはさほど問題ではありません。問題なのは、「ここまでずっと音楽が流れっ放しである」ことの方。場面がエッジになってからはほとんどメドレーのように音楽が流れているんですね。これでは一曲ごとのインパクトがそろそろ落ちてくるのは当然で、しかも「更に闘う者達」と直結で流れるのがこの「天来〜Divinity II〜」ですから、「曲が鳴ることの心理的インパクト」はほとんどなくなっているんです。もったいないですね。どこかを間引いて我慢する(効果音だけで組み立てる)ことを考えた方が良かったのではないでしょうか。ゲームの方では「絵が語ってるので音楽は引いて」という計算ができているのに、絵も効果音も語りまくりの映像作品でその思考が欠如したのは、ちとハリキリすぎたんでしょうか。「天来〜Divinity II〜」を引き立てるのなら、バレットを引き上げたクラウドが着地するくだりではもう「更に闘う者達」は終わってて良かったんです。ちょっと引っ張りすぎましたね。 |
05 | Encounter 河/河 |
ルーファウスがジェノバを投げ捨て、それを追いかけてカダージュがビルから飛び降りるシーンで流れる短いBGです。本作での新曲。ジェノバを手にしたカダージュが着地したところで完結してます。それにしても社長ったら、おいしいところ持っていきすぎっスよ。落下しながら銃を連射する社長、アンタもレベル99超えてんの? 曲は薄いシンセストリングスをベースに敷いて緊張感を出しつつ、焦燥感を煽るビートとシンセベース、低い弦が一定の進行を繰り返していくもの。完全に映像付随の雰囲気もので、映画音楽っぽい雰囲気があります。このへんはシーンの追加/尺の増大によって、植松氏に任せるまでもなく取り急ぎ作られた感じでしょうかね。完全に河盛氏だけでやってますから。しかし河盛氏、本職はシンセサイザーオペレーターですが、考えてみたらコンポーズは「AC」が初めてでは?氏によると「最初は"The Chase of Highway"が、ルーファウスが落ちるところから流れる予定でした。が、別の曲にした方が場面に合うのではないかということで制作しました」とのこと。 |
06 | The Chase of Highway 植+河/河 E.G:関戸剛&河盛慶次 Bass:河盛慶次 |
ジェノバを手にしたカダージュのところにフェンリルで駆けつけるクラウドのアップから流れ始める、「AC」の新曲。「Encounter」と同じく河盛氏がアレンジを手掛けているだけに、アタマの入りの感触は「またEncounterが始まったの?」と思ってしまうぐらいに統一感のあるものになってます。それもそのはず、後で発売された「リユニオンファイル」によれば、「(「Encounter」は)次に鳴る曲を意識して作ったので、僕の中では"The
Chase of Highway"のイントロのような感覚で制作しました(河盛氏)」。なるほど、そりゃ統一感が出るはずです。しかもそれがしっかりと受け手にも伝わっています。筆者はそれを読む前から3行目の文章を書いていたのですから。 バンドサウンドっぽいアレンジはモロに「THE BLACK MAGES」テイスト。しかも河盛氏、ギターもやってるんですか?打ち込みじゃなくて?ベースはもちろん弾いてるんでしょうが、ベースが弾けるとギターも弾けるもんなの?とにかく文句ナシにゴキゲンなロックンロールナンバーで、楽曲単体で抜き出しても聴き応えはじゅうぶん。新曲ではいちばん好きかも。生っぽいドラムの打ち込みもグー。このへんの音色チョイスもシンセサイザーオペレーターの本領発揮。 曲名通り、その後場面は激しいバイクチェイスへ。目まぐるしく展開していくバトルに呼応して楽曲も縦横無尽に変化していきます。スーパースローモーションでクラウドがバイクをぶった斬るところでは2分7秒のようにボーカリーズで静かになったり、ロッズとヤズーを待ち受けるレノとルード、という場面ではしっかりと懐かしの「タークスのテーマ」が入ってきたり(3分17秒)、完全に映像に合わせた作りになっており見事のひとこと。クラウドとカダージュのバイクがハイウェイから飛び出し落下するところ(4分15秒)で、楽曲は終焉を迎えます。最初は短い曲だったらしいのですが、曲ができてからもう一度映像を見てみると、「いつの間にか尺が倍になってた(河盛氏・談)」……ということで伸ばすことに。タークスのテーマが入ったのもその過程のようです。これは河盛氏が入れたアイディアだということ。「最初は1分ぐらいの曲で、トンネルの途中で曲が終わる予定でしたが、映像がどんどん延びていき"どうしようかな"と思っていたところでタークスが登場してくれました。"タークスのテーマが使える!"ということで、僕もタークスに助けられましたね」と河盛氏は述懐しています。 「タークスのテーマ」部分は、独立した形で抜き出され、「ADBENT PIECES : LIMITED」同梱の特典DVD・未使用ムービーのメニュー画面で使われています。舌を出したレノとルードのCGがベースなんです。 |
07 | Savior 植/関? (本文参照) E.G:関戸剛 |
ここまで続いた激しいバトル曲とはガラッと雰囲気を変えた、不穏かつ悲劇的なイントロで幕を開ける曲。場面としては、教会に辿り着いたカダージュが「かあさん(ジェノバ)」を見て愕然とするところから流れ出す曲です。カダージュの哀しみ、絶望、そして悔しさと怒りがすべてこのイントロで表現されているのです。そんなカダージュに感傷に浸る暇を与えず、やって来るクラウド。ここから楽曲は再び激しさを取り戻します(32秒〜)。 一気に曲調が変化し(1分16秒)コーラスが支配するのは、教会の地面から水が湧き出すカット。まるで生物のように天井へと伸びた水は教会に降り注ぎ、その不思議な力はクラウドの星痕を癒しカダージュを苦しめます(1分31秒)。この神々しさ、力強さは鳥肌モノです。シンセとは言え、人の声(コーラス)の持つパワーを思い知らされます。いったん楽曲はクールダウンし(1分49秒)、エアリスの声に導かれクラウドは再度カダージュを追い始めます。楽曲もいっそう宿命的な展開をみせ(2分0秒)、最後の「ドン!」で神羅ビルのアップになるところはゾクッときますね。これも映像ありきの構成。作編曲の皆さん、職人です。ゲームの作曲では画のタイミングに音を合わせるという作業は(ムービー以外では)なかなか無いことですが、やっぱりさすがです。 この曲は関戸氏が「(制作サイドから)もう一曲、と頼まれて、植松さんが知らない間に作りました」ということだそうです。植松氏は「そうだったのか!」と驚いているようですが、ん?作曲クレジットは植松サンになってますヨ……どうもこのブックレットは信用できないなあ。Disc-1の誤植はあるし。正しいデータをくれ!このトラックのコンポーズは関戸氏だと思って間違いないようです。ところで、関戸氏は当初このシーンを「カダージュが"母さん"を手にして悲しんでいる」と捉えていたそうで、後から「怒っているんだよ」と教えられて曲調を変えたのだとか。「曲のテーマを取り違えていたんですよね」とは関戸氏の談。その「悲しいバージョン」も聴いてみたいなあ……。 |
08 | J-E-N-O-V-A (FFVII AC Version) 植/関 E.G:関戸剛 |
「思念体は何も知らない、か……」「どうせ僕は操り人形……」ということで、「FFVII」の代表曲としては「エアリスのテーマ」「片翼の天使」があるわけですが、実は影の人気曲として君臨するのがこの「J-E-N-O-V-A」だったりします。圧倒的な高揚感のある早いテンポ、転調を繰り返して盛り上がっていくトランシーな展開は今回も健在。知らず知らずのうちに身体がリズムをとってしまいますよね。 既にTHE BLACK MAGESで一度はロックアレンジされていますが、「AC Version」はそのTBMバージョンをベースとして、さらに発展させたものになっています。アポロフォーフォーティっぽいリフは健在ですが、大きな違いと言えば「AC Version」はメロディを受け持つ楽器もギターになっていることでしょうか。もちろん細部に至るまでかなり変わっているんですけど。しかし、もともとが転調の面白みで成立しているタイプの曲なので「ヘタにいじれない」とは関戸氏の談。また、リズムがドラムンベースのループだったTBMバージョンに対し、今回のリズムは生っぽいものにされています。ちなみに関戸氏としては唯一、映像チームに「曲に映像を合わせてほしい」とお願いした曲とのこと。 ジェノバを手にし、リユニオンを目前にしたカダージュとの戦いにこの曲はまさにうってつけの選曲です。ただ、これに関しては「人気のある曲だから」なんて単純な理由だとしても許せてしまいますね。イントロが鳴り始めた瞬間、「きた!」と身体を震わせた人は少なくないでしょう。「片翼の天使」への繋ぎももちろん考慮されているのでしょう。「ジェノバ→セフィロス」という流れは崩せませんから。ファンとしてもこの曲が流れたとたん、セフィロスの出現を予感しているのかもしれません。 しかし、ここにはこれしかないだろうという選曲と思いきや、最初はこのシーンには別の曲が採用されていたというのですから驚き。ここで登場するのがおなじみ野村氏。彼の「ちょっと違ったアプローチで何かできないか」という提案を受け、関戸氏が3時間ほどでデモを作ったというのがこの「ジェノバ」だったのです。受け手(筆者)としては「ここにはこの曲しかないだろう」と思っていても、制作サイドでは紆余曲折があるものなんですね……。野村氏の一言がなければ、ここに「ジェノバ」は流れなかったのかもしれないのですから。 |
09 | 再臨:片翼の天使 〜Advent: One Winged Angel〜 植/浜+福 原詞:野村哲也 翻訳:山下太郎 指揮:配島公二 E.G:関戸剛 Bass:河盛慶次 Drums:福井健一郎(!) コーラス:G.Y.A |
ついにリユニオンを成し遂げるカダージュ。現れたのは……曲を聴いておわかりの通り。「リユニオン・トラックス」でフルオーケストラアレンジされたものをベースとしたアレンジです。オーケストレーションは今回も浜口史郎氏によるもので、「リユニオン・トラックス」と聞き比べても大きな違いはないように思います。最大の特徴は「再臨」ならではのバンドサウンド(39秒〜)。このバンドアレンジメントは福井健一郎氏によるもの。氏によれば「オーケストラ盤のCD音源をまずパソコンに取り込み、そこにこちらでベースやリズムをテンポをきっちり合わせて付けた」とのこと。やっぱりオケ部分は「リユニオン・トラックス」収録のフルオケバージョンを流用・加工しているようですね。あれ?ではコーラスは?という疑問もありますが、「リユニオン・トラックス」の隠しトラックである「コーラスなしバージョン」ならカンタンなこと。これにバンドサウンドを加え、新たなコーラスをオーバービングすればはい、できあがりというわけです。 ところが、掲示板にお寄せいただいた情報によると、2004年10月にこの曲のオケ録音が行われていることが判明したんですよ(参照)。フルオケではないんですが、「Cloud Smiles」とともにレコーディングをしています。となると、福井氏の発言は何でしょう?「オーケストラ盤のCD音源をまずパソコンに取り込み、そこにこちらでベースやリズムをテンポをきっちり合わせて付けた」……ガイドとして、ということでしょうか。謎です。 ギター、ベースはおなじみのメンツですが、ドラムのクレジットに注目。なんと福井健一郎氏によるものです。筆者の知り合いにもキーボーディストでありながらドラムも叩く人はいますし、小室哲哉なんかもやってましたが……。TBMでの巧みな打ち込みから推測して今回も「打ち込みだろ?」と言う人が多いのですが、これ打ち込みじゃないと思います。スネアの音色なんかけっこうランダムですし、複数のサンプル音色で打ち込めば似たような表現はできますが、微妙なモタリ、ゴーストノート……もし打ち込みなら逆にその上手さは神技ですよ。「叩いてるにしては上手すぎる」ということなら、例えばシンバルやタムのフィルは別録りもできますし、この過剰にかけられたリバーブはそのあたりの辻褄あわせにも思えるんですけどね。あまりにドライにするとカブリでバレちゃうとか。周囲のオケに比べてかけすぎなまでのリバーブは福井氏の照れ隠しでは?でもオケ+ロックの録音てだいたいこんな感じですよ。ライブならともかく、レコーディングでオーケストラの真ん中にドラムセット置くわけにいかないですから、残響はまず後付けになりますし(だからこそ"やりすぎ"になることも)。 ドラムの話ばかりするのも何なんで、話題を変えて。植松氏によると、オリジナルの「片翼の天使」については「作ったことのない曲を作ろうという意識はありましたね」とのこと。そして今回の「再臨」については、過去にもオーケストラとロックの融合を試みた人たちはたくさんいた、しかし大抵は失敗に終わっている、と前置きしたうえで「なぜうまくいかないかを、自分で体験してみたかった」と言います。そうなんです、それこそが本作における「再臨」バージョンの動機になっているんですね。「(片翼は)クラシックの曲ではないし、ロックの作り方でもないんで、実験できるかなあと」。では、これは失敗作なんですか、植松さん?「やってみたら、なんで昔の人たちが失敗してきたのか、よくわからなかった。(今回は)うまくいっちゃったんで」「もとがオーケストラでもロックでもない曲なら、お互いが噛みあうのかもしれないなあ、と」「クラシックの音楽にロックがロックのままぶつかってもうまくいかない、その逆もそう。その点"片翼"は、もともとどちらでもなかったからうまくいったのかもしれない。"うまくいった"っていうのは、自画自賛ですけどね」。……ふーむ、"オーケストラとロックの融合"という命題について、日本のゲーム作曲家は解法の糸口を見つけたようですゾ、全世界のアーティスト諸君!それにしても「片翼」ってのはいずれの場合も、植松氏の好奇心とチャレンジ精神によって成り立っているんですな。 今回、歌詞も一新されています。内容についてはブックレットに載っているんで、CDを買えよ、と(byレノ)。ラテン語であることについては変わりありませんが、前作のものとは違い「カルミナ=ブラーナ」の引用ではありません。野村哲也氏が書いた詞を、山下太郎氏が翻訳したという流れは「約束の地」「天来」と同様です。 なお、スペシャルパッケージ「ADBENT PIECES : LIMITED」に同梱の特典DVDで、メニュー画面のBGMとしても使用されています(1コーラスのみですが)。 |
10 | Cloud Smiles 植/浜 指揮:配島公二 |
教会を満たした水の中で、意識が戻るクラウド。周囲には子供たち、そして仲間たち。いわゆるシメのエンディングで流れる曲がこちら。「クラウド・スマイル」という曲名……、植松伸夫氏は開発の極めて初期、台本の最後のほうにあったある一文に注目しました。「クラウドが笑った、だか微笑んだ、って書いてあって、"ああ、これだ〜"って。クラウド、笑うんだぁ、って」。そこにかなり刺激されて、まず最初に(まだ映像もない段階で)この曲を作ったそうです。「ああ、クラウドって笑うんだ、って。僕も含めて皆さん、あまりクラウドがゲームの中で笑うというイメージがないと思うんですけど、この映画では笑うんだ、と。これはイケんじゃない?って。その"笑う"っていうのがヒントになりましたね。そういうなにげない一言が曲作りのヒントになることがあるんですよ」と植松氏は語っています。 曲は植松氏が得意とする、「エアリスのテーマ」を思わせる癒し系のインストゥルメンタル。ここまでの波乱をすべて飲み込む懐の大きさを持ちながらも無駄な壮大さは決してない、情景に沿った上質の映像音楽です。浜口氏のアレンジはほんと安心して聴けます。木管とピアノに導かれて始まり、それらを優しく包み込むように入ってくるストリングスのアンサンブルは浜口氏が最も得意とするところ。曲のおかげで、場面の持つ「泣き」の要素が映像から伝わる情報以上に増幅され、見る者の胸に届きます。世界観的にはまだ「完結」した感がありませんが、楽曲が「AC」という物語だけはきっちりと締めてくれました。 この曲がかなり早い時期に作られたことの証明として、携帯電話P900ivがあります。内蔵の着信メロディに「Melody from FFVII AC」というタイトルでこの曲が収録されているのです。また、植松氏は台本を読んだ段階で、だいたいの新曲の元になるものは作ってしまったそうです。あとはそれをもとに、映像に合わせた編曲・サイズの調整などを行っていったとのこと。 |
11 | End Credits 植/外 指揮:竹本泰蔵 |
「F.F.VIIメインテーマ(オリジナルでのフィールドBGM)」を基軸として展開していく、エンディングスタッフロールの曲。見難いスタッフクレジットだな〜、というのは曲に関係ないので置いといて。この「メインテーマ」は映像チームからのリクエストだそうですよ。2分41秒から顔を出すのは「エアリスのテーマ」。オリジナルのエンディング同様、様々な楽曲が現れては消えるメドレーかと思いきや、すぐに「メインテーマ」に戻ります。 そして3分42秒からはシリーズのテーマ曲「ファイナルファンタジー」。「AC」が「VII」の続編であることの実感とともに、これも紛うことなき「FFシリーズ」なのであることを楽曲が示しています。「FFX」「FFX-2」では封印(避けられた?)されてきたシリーズのメインテーマを、久しぶりに新作で聴くことができたという意味でも感慨深いですね。ふくよかなオーケストラが雄大に語りかけるアレンジは浜口史郎氏によるものではなく、外山和彦氏が手掛けたもの。これはシリーズでは珍しいことではないでしょうか。エンディングがフルオーケストラとなった「VIII」以降、常に編曲は浜口氏が行ってきましたから。もちろん外山氏も過去のアレンジを大きく崩すことなく、ファンの心の中で響く形での編曲を行ってくれています。このまま終わってくれていれば、ファンも大満足だったのでしょうが……↓ |
12 | CALLING 作詞:氷室京介+松井五郎 作曲:氷室京介 編曲:氷室京介+佐久間正英 |
思ったよりスタッフ少ないか?と思いつつ、いったんは終わりそうになるエンドロール。そこに突然の実写合成のムービーが挿入され、物議を醸したこの曲が流れ始めるのです。日本のバンドブームを牽引したカリスマグループ「BOOWY」のボーカリスト、氷室京介。BOOWY解散後ソロとなった彼が発表した、2枚目のソロアルバムに収録されていた曲がこの「CALLING」です。なお、正しくは「BOφWY」と表記しますが、PC的には機種依存文字となるので化けるかもしれません。よって「BOOWY」と表記させてもらってます。 野村哲也氏いわく「今回のテーマ、世界観にこれ以上ぴったりの曲はない」「僕の想定するあるシーンにぴったり合った」とのことで氷室サイドに交渉、使用許諾を申請したところ快く承諾されたとのこと(氷室氏のホームページでも告知されました)。年齢的にもろBOOWY、ヒムロックがドンピシャリな野村氏、熱心に聴いていたのではないでしょうか。それでひっくり返ったのはFFファン。「蛇足」「ぶち壊し」「野村の自己満足」と散々な言われようです。サントラを購入しても「iPodにはヒムロだけ入れなかった」という人も少なくありません。ヒムロはヒムロとして新曲を依頼したならともかく、微妙に古い曲を持ってきましたね、という感じです。筆者も個人的には知っている曲ですし、同世代なんだなーと感じはしましたが、やっぱり「FF」ということを考えた時、植松氏がフェイウォン→白鳥→RIKKIと築いてきたものがガラガラと音を立てて崩れてしまった……というのは言い過ぎ? なんとなく「キンハーの主題歌は宇多田にします、僕が熱心に聴いてるんで」というノリに近いんですよね。「X-2」のようなタイアップの方が「仕方ないか」と諦めもつくわけで。ディレクター自身の選曲ってあたりに、皆さん引っ掛かっているんだと思いますよ。まして身内に主題歌の作れるサウンドチームがいるのに、なんでよその既成曲なんだ、と。このあたりはファンの持つ「FFはなんでもあり」という概念よりも、野村氏の持っている「なんでもあり」という感覚の方が一枚上手だったと解釈するべきでは。ファンが言うところの「FF」に対する「なんでもあり」というものには、実は意外と一定のルールが存在してるんですよね。「これをやっちゃFFじゃなくなる」みたいな。でも野村氏にはそれがないんです、おそらく。 でもやっぱり唐突だよなあ……。 |
関連CD | |
氷室京介 NEO FASCIO 日本のロックバンド界に君臨し、バンドブームの先駆けとなった伝説のグループ「BOOWY(ファイは機種依存文字なので…)」解散後、ソロとなったボーカリスト氷室京介がリリースしたセカンドアルバム。筆者は高校生だったと思います。世代的には野村氏もドンピシャかな。筆者は中学の頃からBOOWYは聴いており、ソロも追いかけましたがこのセカンドアルバムで最後。これより後のことはよく知りません。まさか「FF」で再びヒムロックと再会することになるとは思いませんでした。これも……再臨?ヒットシングル(?)「SUMMER GAME」「RHAPSODY IN RED」も収録した全11曲。 東芝EMI CT32-5555 1989年 (2003年にCCCD化されています) |
トレイラーのBGM 製品版の発売が延期となりつつも、徐々にクオリティを上げながら小出しにされ、バージョンアップを繰り返した各種トレイラーは、完成を待ちわびる我々にとって数少ない貴重な情報源でした。ここではそのトレイラーに使われた楽曲をまとめておきます。初期は「FFVII」からの流用もあったのです。なお、ここに挙げたトレイラーのうち、スクウェア・エニックスのオフィシャルサイトで見られるのは4本のみ。すべてのバージョンは「ADBENT PIECES : LIMITED」同梱の特典DVDに「Trailers」として収録されています。 |
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2003年東京ゲームショウ1日目 | ゲーム「FFVII」サントラから「オープニング」 |
2003年東京ゲームショウ2日目 | ゲーム「FFVII」サントラから「オープニング」 →「リユニオン・トラックス」から「片翼の天使」 |
2003年東京ゲームショウ3日目 | 「リユニオン・トラックス」から「F.F.VIIメインテーマ」 →「リユニオン・トラックス」から「片翼の天使」 |
ジャンプフェスタ2004 | 「ピアノコレクションズ」から「F.F.VIIメインテーマ」 |
2004 E3バージョン | 「ピアノコレクションズ」から「F.F.VIIメインテーマ」 →「リユニオン・トラックス」から「片翼の天使」 |
2004年東京ゲームショウ | 「AC」新曲から「Beyond The Wasteland」 →「リユニオン・トラックス」から「片翼の天使」 |
ジャンプフェスタ2005 | 「リユニオン・トラックス」から「片翼の天使」 |
2005 E3バージョン | 「AC」新曲から「約束の地」 →「AC」新曲から「再臨:片翼の天使」 |
スペシャル・エディションのBGMと本編の相違 ヴェネチア国際映画祭で先行上映された「特別編集版」で使用されたBGMのリストです。まだ完成に至らない段階であるため、楽曲にも製品版との相違が見られます。なお「特別編集版」は「ADBENT PIECES : LIMITED」に同梱されている特典DVDに収録されています。 |
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製品版 | ヴェネチア特別版 |
「約束の地」が流れるオープニング マリンのナレーションベース |
「ピアノコレクションズ」から 「F.F.VIIメインテーマ」 |
「Beyond The Wasteland」が流れる 荒野でのタイトルベース |
曲は「Beyond The Wasteland」だが、 アレンジがかなり違う(弦楽器主体)。 キッカケも、手前のティファの電話シーン から流れ始めている |
「Sign」の流れる、ルーファウスと クラウドの会話シーン |
同シーンで音楽は流れず |
「ティファのテーマ(Piano Version)」が 流れる、伍番街スラム・教会のシーン |
アレンジがだいぶ薄い「Water」が流れている |
「For the Reunion」が流れる、 カダージュとルーファウスの会話シーン |
同じく「For the Reunion」が流れる →そのままティファとローズの戦闘シーンまで |
夜中のティファ・クラウドの会話シーン (ズルズルズルズル、に至る場面) |
製品版で音楽は流れないが、 特別版では「Sign」が充てられている |
「Black Water」の流れる、カダージュが 子供達の前で語るシーン |
同じく「Black Water」 |
「エアリスのテーマ(Piano Version)」が流れる、 心象イメージ(「来ちゃったね」、のシーン) |
ギターありの「Water」が流れている |
「Battle in the Forgotten City」の流れる、 忘らるる都でのバトルシーン |
同じく「Battle in the Forgotten City」、 ただしイントロにシンセベースがなく ストリングスソロ主体で始まっている |
「Violator」が流れる、混乱するエッジのシーン、 「天来〜Divinity I〜」が流れるバハムート召喚シーン、 「The Chase of Highway」が流れるバイクチェイス、 「更に闘う者達(AC Ver)」が流れる、仲間たちの戦い 「闘う者達(AC Ver)」が流れる、レノたちの格闘戦、 「Savior」が流れる教会のシーン、 「J-E-N-O-V-A(AC Ver)」が流れるカダージュ戦、 「再臨:片翼の天使」が流れるセフィロス戦 |
これらはダイジェストとなり、 「リユニオン・トラックス」に収録の 「片翼の天使 オーケストラバージョン」で 貫かれている |
「End Credits」が流れるスタッフロール | 「ファイナルファンタジー」の オーケストラバージョンが充てられている |
コラム:「FFVII AC」の効果音 |
基本的に音の付け方やそのカラーは、過去のゲーム中のムービーに付けられてきたものの発展系と考えて良いと思います。もちろんサラウンドを前提としているので、ベースノイズ(環境音)やフォーリー、そしてスペシャルエフェクト(爆発などのいわゆるSE)は、定位も神経質なまでに計算され尽くしています。効果音の中でも特に目立つのは、全編でフィーチャーされているバイク系の乗り物ではないでしょうか。もちろん架空のバイクですから、現実に存在する音を加工したとしても元ネタが判別してしまうのはマズいわけで、またおそらく現実のバイクよりも進化した乗り物ですから、通常のバイク的なエンジン音のほかに、キーンというようなモーター音(ジェットもしくはホバーのイメージ)が混ぜられています。特にバイクが停止する際の「ヒュウウウ……ン」という音に顕著です。映画「BACK TO THE FUTURE」でデロリアンの音として使われたものと似た手法と思われます。 ド派手なアクションが見所となっている「AC」ですが、そのアクションやエフェクトに付けられるのはやはり派手でわかりやすい「効果音」。キャラクターがビュンビュンと飛び回る音、銃声、破壊音や爆発音、バハムートが飛行する音、高層ビルや鉄骨がガラガラと崩れ落ちる音、などなど挙げればキリがありませんが、いずれもアニメーション的なデフォルメされた音ではなく、ハリウッド映画のような「誇張されたリアル」を重視したものが付けられています。サラウンド作品としてはあまり低音が重視されていない感じもしますが、音の不足はありません。付くべき画にはすべて何かしらの音が付けられているように聞こえます。 しかし、実はこういったCG作品において重要なのは、派手でわかりやすい効果音よりも「フォーリー」と呼ばれるさりげない音のほう。例えば、足音や人が動いた時のなにげない衣服の擦れ、風に吹かれる衣類の「バサバサ」、携帯電話の「パカ」など、人の動きに付随する音のことです。これらがしっかり付けられていればいるほど、CGのキャラクターがより生々しく感じられるようになるのです。逆に日本のアニメなどでは誇張された音が多く、サラウンド化や劇場アニメのクオリティが高まる中で「フォーリー」という概念が浸透したのはわりと最近のことと言えるでしょう。「FF」では「VIII」のムービーで初めて、専門のフォーリーアーティストが音を付けています。特に野村氏の描くキャラクターはアクセサリーをたくさん付けていますから、画がリアルになればなるほどそういった「カチャカチャ」とした音が重要になってきます。フォーリーは基本的にはさまざまな衣服や靴、小道具を用意し、映像に合わせて実際に動作しながら音を録音し、編集や加工を重ねて映像に乗せられます。 従来の日本のテレビや映画では、いわゆる派手な「効果音」と一見地味な「フォーリー」はあまり区別されることなく、音響スタッフが双方を兼ねていたのですが、ハリウッドでは早くから分業となっていました。ひたすらド派手な効果音を作るスタッフと、ひたすら何かカチャカチャとやっているフォーリーアーティストがそれぞれいたわけです。この考え方は今では日本でもわりとポピュラーになっていますが、金銭・時間的制約からまだまだ完全分業とはなっていないようです。「FFVIII」などではハリウッドのフォーリーアーティストに依頼していたようですが、「AC」はエンドクレジットを見る限り、すべて国内スタッフが担当しています。 そのフォーリーはいわゆる「フォーリースタジオ」という場所で録音されます。基本的にマイクさえあればスタジオでなくともフォーリーは録れますが、あらゆる音をより効率良く、かつ高いクオリティで録れるよう、コンクリートの床、土の床、木の床、鉄板の床はもちろん、ガラスやマンホール、プール(水の音を録るため)、ドア、窓などなど、およそ考えられる日常の音を発するものが揃えられているのがフォーリー専門スタジオです。ハリウッドではかなりの規模のフォーリースタジオが存在していますが、日本にはなかなかありませんでした。「AC」で使われたフォーリースタジオは、テレビ番組を始めDVD版「ガンダムI」や「スプリガン」「アップルシード」などのアニメ映画も多数手掛ける現代音響効果の第一人者・笠松広司氏が自ら設立したデジタル・サーカススタジオ。おそらく現時点で最新・最高規模のフォーリースタジオではないでしょうか。このスタジオで、例えば教会ならば木の床、忘らるる都は土といった感じで、さらに各キャラクターが履いているものと似た材質の靴を持ち込んで足音を録ったりしているのです。こういった音がなければ、我々はここまでクラウドたちをリアルに、生々しく感じることはなかったでしょう。実写作品以上に、CG作品はこのようなきめ細かいフォーリーが不可欠なのです。なんたって元の映像は完全な無音なのですから。音楽だけでなく、縁の下の力持ちである効果音にも耳を傾けてみてはいかがでしょうか。 |
コラム:効果音にもこだわる野村哲也氏 |
各セクションのスタッフが細部にまでこだわって作り上げた楽曲や効果音を、最終的にチェックするのはディレクター(=監督)である野村哲也氏。我々ユーザーは彼を「ヴィジュアルサイドの人間」と捉えているのですが、氏は自分でも驚くほど「音にうるさい」んだそうです。ここまでレビューを読み進めた方には既におわかりだと思います、様々な楽曲に対して野村氏の「チェック・修正・リテイク」が入ったことを。さらに氏はセリフの収録にも立ち会い、演技についても細かい指導をしていました。その徹底したこだわりは効果音についても貫かれたようで、「ゲームならそこまでしないだろう」というチェック・修正が入れられたようです。 作品冒頭、ティファが電話を取るシーン。福井氏によると「電話の鳴り始めるタイミングの指示や、"コール音をもう1回増やして"」といった、映画さながらの細かい要求が野村氏から出されたとのこと。効果音スタッフも素人じゃありませんから、映像やセリフとの絡みで最適と思われるタイミングをとって音を付けているはずですが、野村氏はそこにもチェックを入れてくるのです。音楽はともかく、効果音にまでここまで口を出す監督はめったにいないでしょう。しかもこういう「音のタイミング」は完全に感覚の世界なので理屈では説明できない部分が多く、監督の感性に従うしかありません。みんなが「YES」と言っても監督一人が「NO」と言えばそれは絶対に「NO」、それが映像作品の製作なのです。最近はデジタルが前提ですから、タイミングの修正や回数の増減についてはそれほど手間ではありませんが、やっかいなのは「音そのものに対する注文」です。 ロッズが教会に現れるシーン。ゴトリ、ゴトリと木の床を歩いてくる彼の重い足音。これについても野村氏のこだわりが発揮されました。氏は「クラウドとの体重差を感じさせる足音」について、何度もリテイクを出したとか。こういった音については上のコラムで触れているようにフォーリーの領域ですから、録音される素材がすべて。しかし、録音スタッフにロッズと同じ体格・体重の人間はまずいないでしょう(笑)。そういう人間が「体重差を感じさせる足音」を発するのは並大抵のことではありません。靴の材質、歩き方など、おそらくいくつものテイクを重ね、さらにそれらを重ねたり、ピッチやスピードを変えたり、イコライザーで加工することでやっと「ロッズの足音」になります。そんな苦労した音も監督から「もっと重く」と言われてしまえば全ボツですから、効果音担当者は終わりの見えない戦いを常に強いられるわけです。特にCGは実写以上に「説得力のある音」を求められますから、大変なのです。筆者はフォーリーも好きなんですけどね。もともと無音のCGが、さりげないキヌズレやノイズ、足音を重ねていくことで次第に活き活きとしてくるさまは、なかなかどうして楽しいものです。 過去のゲーム作品におけるスタッフインタビューではあまり聞くことのなかった、「野村哲也は音にこだわる」という話。「AC」において、実はかなり音にもこだわる人なんだという一面が明らかになりました。逆に、野村氏自身ですら「自分がこんなにも音にうるさいなんて」と驚いたのですから、今後彼と仕事をするサウンドスタッフは相応の覚悟をキメなければならなくなりましたね。だって野村氏は気付いてしまったんです、「音の面白さ」に。 |
資料:オリジナル版「片翼の天使」コーラス歌詞 estuan interius ira vehementi estuan interius ira vehementi sors immanis et inanis estuan interius ira vehementi estuan interius ira vehementi 対訳(一部植松氏による意訳) |
まさか「FFVII」ゲーム本編をやってないなんて
人は……いませんよね?