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ゲーム機(ハード)の歴史

コメントには筆者の偏見と思い込みが多分に混入されていますが、御参考までに。
興味を持たれた方は、Wikipediaやその他マニアックなサイトで各自研究のこと!
1972年・家庭用ゲーム機の歴史、始まる
ODYSSEY
(マグナボックス)
1972年1月発売
「世界初の家庭用ゲーム機」と言われているのは、米国の「オデッセイ」。日本では発売されていない。価格は当時の100ドルだった。初のコンシューマーハードにして、既にソフト(カード)の交換が可能だった点も注目に値する点。ソフトごとに付属の「オーバーレイ」と呼ばれるシートをテレビ画面に取り付けてプレイする。
1975年・日本でも家庭用ゲーム機が登場
PONG
(アタリ)
1975年発売
アタリ社が設立されて初めて発売したゲーム機。パドルを動かして玉を弾き、相手側に入れる(つまり卓球)といったシンプルなゲームながら、大ヒットした。この本体で遊べるのはもちろん「PONG」のみである。24800円。日本ではセガ、タイトーなどが輸入販売をしていた。
テレビテニス
(エポック社)
1975年発売
日本初の家庭用テレビゲーム機、ということで良いのだろうか。ただしソフト交換という概念はなく、遊べるのはもちろんテニスだけである。しかもちゃんと2人いないとプレイできない。画面はモノクロであったが、テレビとの接続はなんとワイヤレス!UHF電波を飛ばすというものだった。19500円。
1976年・カートリッジ交換式ゲームハードの登場
チャンネルF
(フェアチャイルド)
1976年8月発売
海外産のカートリッジ交換式ゲーム機で、価格は128000円。そう、いわゆる「業務用機」として販売されていたもの。本体に最初から「テニス」「ホッケー」を内蔵、さらにカートリッジによって20本以上のラインナップをプレイすることが可能だった。もちろん当時でこの価格であるから、個人で所有していた人などほとんど存在しないであろう。
SUPER PONG
(アタリ)
1976年発売
1975年の「PONG」の後継機。4種類のゲームをカラーでプレイすることができた。
Ricochet
(MSC)
1976年発売
米国MSC社のゲーム機。カラーで4種のゲームをプレイ可能。外見的には本体が2つに分かれたデザインが最大の特徴だが、後のゲーム機におけるコントローラーの形態の始祖とも言えるのかもしれない。本体を内蔵したセパレートの2コントローラー、といった感じ。
TELSTAR
(COLECO)
1976年発売
米国COLECO社のテレビゲーム機。モノクロだが3種類のゲームをプレイできた。ただこの性能では「SUPER PONG」を前にして分が悪かったことは想像に難くない。
1977年・アタリの誕生
テレビゲーム15
(任天堂)
1977年発売

実は任天堂もこの頃、家庭用ゲーム機を発売していた。トランプや花札だけの会社ではなかったのである。ただし三菱電機との共同開発であり、それに際してODYSSEYのマグナボックスからライセンスを取得している。おそらくボリュームコントローラーなどの権利だろう。

「15」というだけあって、15種類のゲームが内蔵されていたようだ。テレビに接続して遊ぶのだが、もちろんプレイできるのは内蔵のものだけで、ソフトという概念はまだなかった。15000円したが、後述(テレビゲーム6の項で解説)の販売戦略により好調な売り上げを記録したらしい。それでも筆者はこの存在をまったく知らず、掲示板にて来訪者から教えていただいた(H.N.ムスカ様に感謝)。
テレビゲーム6
(任天堂)
1977年発売
上のテレビゲーム15の廉価版にあたる機種で、同時に発売された。こちらは9800円で、遊べるゲームは名前の通り6種。「15」でケーブル接続だったボリュームコントローラーは、本体に固定されるなどコストダウン仕様となっている。それでもこの「6」は、完全に赤字となる価格であった。

1万円を切る価格で勝負をかけた製品…のようだが、実は任天堂にとってはこれは「15」を売るためのダミーのようなものだった。実は内部的には15種のゲームがすべて入っているのだが、あえて回路的な「封印」がされている。最初は客を安価な「6」で惹き付けておき、それより高性能でしかも5000円ほどしか価格の違わない「15」に目を向かせたのだ。その戦略は成功し、「どうせ買うなら」とみな「15」を買っていったのである。赤字価格の「6」は客寄せで、少ないながらも採算の取れる「15」を売ったわけだ。

先行していた他社の家庭用ゲーム機が安いものでも2万円近い価格だったことから、1万円を切る「6」に人々はよく食いついたのだ。結局は「15」を買わされたとしても、それでも15000円は安く思えたに違いない。後発の任天堂としては価格でインパクトを与えることが最も効果的であると考え、ギリギリの賭けに出たのである。
アタリ2600
(アタリ)
1977年10月発売

カートリッジ交換式家庭用ゲームハードとしてある意味、世界に向けて最初に発売されたのは、米国アタリ社が1977年にリリースした「アタリ2600」。当時の日本円にして、5万〜6万円ほどする高価なものだった。また、すでに8ビット処理のマシンだった。ミリオンセラーを達成したソフトも多数存在したが、俗に言う「アタリショック」によって衰退したのも有名なエピソードである。アタリのハードを総称して「ATARI VIDEO COMPUTER SYSTEM」と呼称し、略称の「VCS」で呼ばれることも多い。

日本では1983年5月に、日本版VCSとして「アタリ2800」が発売された。
1978年・初の国産「カセット交換式」ハード誕生
TV JACK
アドオン5000

(バンダイ)
1978年発売
バンダイが発売したカートリッジ交換式家庭用ゲーム機。ゲームソフト2本同梱で19800円だった。初期型は本体色がイエロー、通常モデルはブルーである。
ビデオカセッティ・ロック
(GL)
1978年発売
国産初のカートリッジ交換式家庭用ゲーム機。8つのゲームが入った基本ソフトが付属して17600円だった。本体のみの購入も可能で、こちらは9800円。もちろん別売りのソフトも販売されていた。
TELSTAR ARCADE
(COLECO)
1978年発売
1976年の「TELSTAR」の後継機。三角形をした本体デザインが目を引く。カートリッジも交換式になった。また、従来のコントローラーの他、本体にハンドルやレバー、ガンコントローラーが付いている点も特徴。とにかく外見が面白い逸品。画像が用意できずすみません。
1979年・ゲームハードに意欲的なバンダイだが・・・
TV JACK
スーパービジョン8000

(バンダイ)
1979年12月発売
バンダイのカートリッジ交換式家庭用ハード。59800円。本体にCPUを内蔵することで(今では当たり前だが)、これまでそれをカートリッジ側に内蔵していた過去のゲーム機に比べ、格段に表現力を向上させた(ただしモノクロである)。そのため価格は高騰したが、ソフト(「ミサイルベーダー」)を1本同梱することで購買欲を抱かせる作戦を採っていた。

しかしやはり、この値段でゲームを買う人はほとんどいなかったらしく、さっぱり売れずにわずかな数のソフトを残して自滅。ライバルもいなかったことだし、本体の価格さえ抑えられていたら状況は変わっていたのかもしれない。昨今では「赤字覚悟でハードを売り、ソフトの売り上げで儲ける」ことは基本的な戦略となっているが、当時はまだそういった思想はなかったのだろう。
1980年・遊びの大ブーム
ゲーム&ウォッチ
(任天堂)
1980年春発売

任天堂の「ファミコン以前」。一台で1種類のゲームしかできず、家庭用ゲーム機と呼ぶにはまだまだ至らないものの、中毒性があると思えるほどの単純にしてゲーム性の高い遊戯と、どこにでも持ち歩けるその携帯性に、日本国中が虜になった。まさにゲームボーイの原型と言っても過言ではない。価格はそれぞれだが、5000円台が最も多かった。代表作は「ファイア」「マンホール」、そして「オクトパス」あたりになるだろうか。筆者の思い入れも多分に含むが。

後に二面ディスプレイなど多様に発展していき、この時点でファミコンにも採用された「十字ボタン」が初めて登場。後世のゲーム機に付属するコントローラーの基礎は、間違いなくゲーム&ウォッチによってもたらされたのだ。
TVベーダー
(エポック)
1980年8月発売
エポック社が発売した、インベーダー専用ゲーム機、15000円ナリ。1タイトルでこの価格、時代をよく反映しているのではないだろうか?当時、ゲームは「高いもの」だったのだ。

テレビの「チャンネル表示用チップ」を利用して表示されるゲーム画面はかなり粗く、同時に表示されるインベーダーも8体までと本家のインベーダーには遠く及ばない仕様だったが、ゲームセンターや喫茶店で100円玉の山を積んで熱狂的にプレイしていた人は「家でインベーダーができる!」と即購入したとか。

かなり売れたのか、気をよくしたエポックは翌年に同じような仕様でソフト交換が可能な、カートリッジ交換式ゲーム機「カセットビジョン」を発売する。
1981年・日本にも本格的な家庭用ゲーム機の波が
カセットビジョン
(エポック)
1981年7月発売

国産のカートリッジ交換式家庭用ゲーム機。処理速度は4ビットだったが、13500円と非常にお手軽なこと、そして何よりカートリッジ交換によって、1台のゲーム機でいろいろなソフトが遊べることから、かなり売れていた(70万台売れたとも)。メーカーとしてもその特徴を大々的にアピールしており、本体の箱には「カセットを次々にチェンジ、テレビがスーパーマルチゲームマシンに変わる」と書かれていた。全部で11本のソフトが発売され、価格はいずれも4980円であった。

カセットビジョン本体の低価格化の秘密は、その構造にある。なんと画面の表示にはテレビ側の「チャンネル表示用チップ」を利用していたのだ(80年の「テレビベーダー」と同様)。そのため、表示されるゲーム画面は非常に粗いものだったが、ハード内部に余計なものを詰め込まずに済み、結果として低価格化を実現したのだ。CPUやマイコンはカートリッジ(ソフト)側に内蔵していたのである。

ファミコンが登場するまでは、間違いなく国内で最も普及したハードであったはずだ。そう、ファミコンが登場するまでは、ね……。
1982年・ハード開発ラッシュ。発売されては消えていく……
エクセラ
(PIC)
1982年7月発売
こちらは海外製のカートリッジ交換型8ビットマシン。39800円ナリ。飛行機のコクピットのようなボディが特徴的で、見た目はとてもグー。その実は米国エマーソン社のハード「アルカディア2001」のクローンマシーンである。このようなクローンは多数存在しており、朝日通商が同じ1982年に発売した「ダイナビジョン」という名でも知られるほか、バンダイも1983年に「アルカディア」を発売している。
ダイナビジョン
(朝日通商)
1982年11月発売
↑「エクセラ」参照。49800円という価格で16ビットのマシーンだった。
オデッセイ2
(フィリップス)
1982年9月発売
米国でしか発売されなかった「オデッセイ」に対し、「2」は日本でも発売された。正統な「オデッセイ」の後継機であり、49800円と高価な8ビットマシンである。

ソフトは多数発売されたものの、その本体の価格からか国内ではほとんど売れることなく、29800円へ価格改定を実施するも消滅してしまった。持っている人は大事にしてほしい、正真正銘の「幻のマシン」である。
インテレビジョン
(バンダイ)
1982年6月発売

もとは米国のメーカー(マテル社)が開発したもので、国内販売をバンダイが請け負ったもの。バンダイがハードを設計したわけではない。49800円という価格ながら16ビットの域に達していた、当時としては驚くべきスペック。10キーの付いたコントローラーが印象的。「オーバーレイ」と呼ばれる操作方法の書かれたシートを取り付けて遊ぶ。

海外ではゲーム機としてアタリ以来のヒットとなっていたマシンだが、日本国内ではまったく売れなかった。やはり、ほぼ5万円という価格が影響したのだろう。
ぴゅう太
(トミー)
1982年10月発売

59800円で16ビット。今になって見てみると、かつてはゲーム機とはこんなにも高価なものだったのだ。ゲーム機がまだ子供のおもちゃではなかった時代。でも筆者の親戚のウチにはあったのだ。金持ちだったんだな〜、親戚。

位置付けとしてはゲーム機というよりは、プログラム(G-BASIC)も可能な「ゲームパソコン」という名目で販売されていた。価格が高いのもこのためだろう。個人的に親戚の家にあったとは言っても、一般的視点で見ればヒットしたとは言い難い。ソフトは30種ほど発売された。ちなみに筆者は初代ソフトでもある「ボンブマン」を最もプレイした。念のために記しておくが、ハドソンの「ボンバーマン」とは無関係。
ゲームパソコン(M5)
(タカラ/ソード社)
1982年11月発売

非常にパソコンライクな外見の8ビット機。それもそのはず、いわゆる「ゲームパソコン」である。49800円だった。パソコンのキーボードが少し大きくなったような外見を持ち、製品名のとおりの印象だ。

当時としては珍しい、今の言い方をすると「コラボレーション」というやつか?タカラ社は当機を「ゲームパソコン」という名で玩具店を中心に展開し、一方でソード社は「M5」の名前を付けてコンピュータショップ等で販売した。もちろん両者は完全互換である。ソフトは50本ほどリリースされ、ROMだけでなくテープでの供給が多いあたりも当時のパソコンっぽい。

ソード社は後(1983年)に、独自に上位機種「M5 pro」と、廉価版の「M5 Jr.」といった後継機を発売しているが、ここでは割愛する。
マックスマシーン
(コモドールジャパン)
1982年11月発売
34800円の8ビット機。いわゆるゲームパソコンの部類である。ソフトは20本ほど発売されており、いずれも3000円ほどと低価格だったが、ゲーム機として普及するには至らなかった。このマシン、知ってる(持ってた)人、いる?
コレコビジョン
(COLECO)
1982年発売
米国COLECO社のカセット交換式ゲーム機。日本国内では発売されていないが、「ドンキーコング」「ドンキーコングJr.」「ギャラクシアン」などの御馴染みのゲームがリリースされていた。
クリエイトビジョン
(チェリコ)
1982年10月発売
「ホームビデオゲームパーソナルコンピューターシステム」と銘打たれたゲーム機。59800円の8ビット機。テープレコーダーやプリンターも接続可能で、パソコンを意識した構造だった。8本のソフトが発売され、それぞれにコントローラーに取り付ける「オーバーレイ」が付属(この頃ってオーバーレイやたら多いね)。

しかし6万円弱も出して買ったゲームのソフトが8本って・・・当時はそれで良かったのだろうか?あまり売れなかったのか、現在はほとんど資料が残っていない幻の名機、という評価をされている。中古ショップやレトロショップで血眼になって捜し求めている人も少なくない。
1983年・コンピューターゲームが世に浸透しつつあった頃
アルカディア
(バンダイ)
1983年3月発売
8ビット、19800円とお手頃価格の、カートリッジ交換式ハード。しかし後に発売されるファミコンとの勝負に、ソフトの充実度という点で完全に敗北してしまう。もともとは米国エマーソン社が発売していた「アルカディア2001」の日本版クローンである。

この頃からキャラゲーを作っていたバンダイの姿勢には頭が下がる思いだ。当時のゲームに比べたら、現在のキャラゲーははるかにレベルが上がったもんだと本気で思う。ちなみにアルカディアでのキャラゲーは「ガンダム」「マクロス」「ドラえもん」「ドクタースランプ」がラインナップされていた。
光速船
(バンダイ)
1983年7月発売
GCE社のゲーム機「Vectrex」を、日本国内でバンダイが発売していたもの。過去の「TV JACK」シリーズが成功したとは言い難く、バンダイは徐々に海外産ハードを国内販売する路線にシフトしていったようだ。ゲーマーであればその名前を一度は聞いたことがあるであろう、風変わりな名称とその独特の形状は決して忘れられることはないだろう。
アタリ2800
(アタリ)
1983年5月発売
アタリが日本支社を作り、気合を入れて国内販売したカートリッジ交換式家庭用ハード。国外でのみ発売されていたVCS「2600」の日本版である。

価格は24800円と、海外での「2600」に比べたらかなり安価である。海外で1500万台を売り上げたモンスターマシンだけに日本での普及も期待されたが、運の悪いことにこの年には任天堂からファミコンが登場してしまう。あと1年・・・いや、半年早かったら天下を取れていたのかもしれない。
SG−1000
(セガ)
1983年7月発売
セガ、初の家庭用ゲーム機、15000円。8ビットマシンである。それまではセガと言えば生粋のアーケードゲームメーカーだっただけに、家庭用への参入はけっこうな話題となった。

ソフトは100本近く発売されていたはず。セガ独自のオリジナルタイトルが多いのかと思いきや、他社の移植タイトルがかなりの割合を占めている。また、同年11月に発売となったツクダオリジナルの「オセロマルチビジョン」とソフトの互換性を持ち、あちらのソフトでも遊ぶことができた(8本だけだけど)。

「SG」は「SEGA GAME」の略。
SC−3000
(セガ)
1983年7月発売
SG-1000の上位機種というか、Basic追加版。SG-1000と同じく8ビットで、こちらは29800円だった。キーボードが装備されていることからもわかる通り、もちろんプログラムもできる。いわばセガ産「ファミリーベーシック」?Basic用のソフトも数本発売された。もちろんSG-1000のソフトもプレイ可能。黒・白・赤の3色が存在する。「SC」は「SEGA COMPUTER」の略。
ファミリーコンピュータ
(任天堂)
1983年7月発売

ご存知、ファミコンはここで生まれた。多数のハードが発売されては姿を消していく中、ファミコンはすべてのゲームソフトを呑み込んでいき、一人勝ちとなる。8ビットで14800円という、ダントツのお手頃感もヒットにつながった。

ソフトは総計で1200本以上リリースされた。このことからも、他機種のラインナップとの圧倒的な差が理解していただけるであろう。もちろん中にはクソゲーも相当あったのだが・・・。一応、任天堂がソフトのチェック&規制を(表面的にでも)行っていたため、第二のアタリショックまでは引き起こさずに済んだのだ。ロイヤリティを徴収していたことも、デタラメなメーカーがデタラメなソフトを発売する事態を事実上抑制する効果を発揮していたのではないだろうか。

コントローラーは本体を分解しなければ着脱できず、そのくせシューティングやアクションのブームでコントローラーのボタンは磨耗する一方。当時のファミコンショップでは交換用のコントローラーのほか、ボタン単品とか、ボタン内側のゴムなんかを販売していた。筆者も何度かコントローラーや本体を分解し、消耗したパーツを交換したものである。モノを大事に使っていた時代だったな・・・。

本体前面に外部コントローラーなどを接続する拡張コネクタを配置。また、IIコントローラーにマイクを装備するなど、先を見越した「余裕」があったことも大きい。開発当時は「こういうものを付けておけば、どこかのソフトハウスが面白く使ってくれるだろう」ぐらいの動機だったらしいが、息の長いハードというものはそういう「遊び」が大事。
C1
(シャープ)
1983年10月発売
シャープが発売した、ファミコン内蔵型のテレビ。その名も「マイコンピューターテレビ」である。いや、ファミコンであってマイコンじゃないんだが・・・・・・今なら訴えられそうな名前である。

19型が145000円、14型は93000円と2種類のラインナップ。オサイフの具合と部屋の大きさに合わせてお好みのものをどうぞ、といった感じか?テレビ+ファミコンでこの価格が高いかどうかは人それぞれだろう。ちなみにお絵描き機能とメモ機能も内蔵している。さらにソフト1本付属!「ドンキーコングJr.」が入っているのだが、なんかちょっと内容が端折られてるんですけど・・・・・・。
TVボーイ
(学習研究社)
1983年10月発売
知ってる?学研さんもやってました。それにしてもこの時期に発売されたゲーム機ってカワイソウ……。ファミコン相手に頑張らなければならなかったんだから。結果、本製品はソフト6本を出したところで天寿をまっとうしてしまう。本体は9800円と破格のお値段。8ビットマシン。とち狂ったデザインのコントローラーは一見の価値あり。というか、全体のフォルムが電話機みたい。

っていうか「ミスターボム」ってさあ、「ぴゅう太」の「ボンブマン」じゃないの?。「エキサイトインベーダー」とか、「地対空大作戦」とか、微妙なソフトばかりっス。
ぴゅう太Jr.
(トミー)
1983年7月発売
16ビット機、ぴゅう太の廉価版。オリジナルの「ぴゅう太」と比べるとパソコンっぽさはさっぱり捨て去られ、だいぶゲーム機としてわかりやすいデザインになっている。価格は19800円。このスペックで2万円を切っているのは評価に値するが、ファミコンが強すぎた。こうして「ぴゅう太Jr.」は注目されることすらなく、時代の波へと沈んでいったのである。合掌。
オセロマルチビジョン
(ツクダオリジナル)
1983年11月発売
19800円、8ビット。カセット交換式のハードでありながら、カセットを挿していない状態だと内蔵済みの「オセロ」がプレイ可能。それゆえの名称である。また、セガのSG・SCといったハード専用のソフトがプレイ可能という、「コンパチ機」としても独特のハードだった。型番はFG-1000。

しかし結局、当機オリジナルのソフトは8本しかリリースされず、あとはセガにオンブにダッコ。これではハード独自のコンテンツなど皆無に等しく、その存在価値を問われて歴史の闇へと葬られてしまう。それにしても1983年は凄いですな……。ゲーム機発売ラッシュとでも言おうか、ほとんどはファミコンを前にして朽ちるのだが・・・。
カセットビジョンJr.
(エポック)
1983年7月発売
1981年の「カセットビジョン」の廉価版で、価格はなんと5000円だった。ファミコンの出現に対抗したものと思われるが、その猛威は想像以上のものであったようで、翌年に後継機の「スーパーカセットビジョン」を発売するものの結果としてファミコンに敗れ、カセットビジョンという名はゲーム市場からあっけなくその姿を消してしまうことになる。近年のレトロブームで再評価されており、ファンサイトもちらほらと見かける。
PV-1000
(カシオ)
1983年10月発売
カシオが発売した家庭用ゲーム機。ファミコンに対抗したのか14800円という価格設定となっている。ソフトは全15本で、「ディグダグ」「プーヤン」など、移植ものの定番タイトルを揃えていたものの、ファミコン様の前には雑兵でしかなかった。自分の買ったゲーム機がソフト15本で昇天してしまっては泣くに泣けないだろうなあ。買ってしまった人はさぞ・・・。
PV-2000 楽がき
(カシオ)
1983年10月発売
上のPV-1000と同時に発売された亜種。ゲーム機にBasicと、テレビ画面に絵を描ける「お絵描き機能」を付加したマシンである。そのため29800円と少々お高め。ただしPV-1000とは一切互換性がないため、PV-1000用としてリリースされているソフトはPV-2000ではプレイできないのが致命的である。もちろんこんなもんが売れるわけがなく、時代の藻屑となってしまう。

ソフトは全10本で、「ミスターパックン」「ギャラガ」などが代表作か?PV-1000と同じく、PV-2000用としてあらためて「プーヤン」もリリースされている。こりゃそうとうにマヌケだ。
マイビジョン
(日本物産社)
1983年10月発売
ニチブツか?ニチブツなのか?ハードやってたのか?という感じのゲーム機。販売は関東電子社、19800円。ゲーム機としてここに並べるのも疑問な存在である。完全に大人向けの展開をしていく作戦だったようで、麻雀、将棋、花札、リバーシ(オセロ)などテーブルゲームばかりのソフトでファミコンと勝負・・・・・・できるわけない。ファミコンでもテーブルゲームはリリースされたわけで。

結局6本のソフトを残し、消滅した。
1984年・ファミコンの一強体制がまだまだ続く
RX−78 GUNDAM
(バンダイ)
1984年7月発売
18メートル、等身大のガンダムがなんと59800円で!なわけがない。8ビットのゲーム機である。ゲーム機ではなく、正確には「ゲームパソコン」と分類されるもの。ワープロソフトやグラフィック関係のソフトもリリースされているが、ゲームのラインナップは約20本。RX-78の名を冠しているだけに(そしてバンダイだし)、「ガンダム」のゲームも当然リリースされている。

ここまで読んでいればおわかりでしょうが、もちろんヒットなどすることなく時代の闇へ葬り去られてしまった。
SG−1000 II
(セガ)
1984年7月発売
SG-1000のマイナーチェンジ。価格は変わらず15000円。別売りのBasic、キーボードを購入すればなんと憧れのパソコンとしても使える・・・・・・って、おーい。SC-3000の存在意義は?
SC−3000H
(セガ)
1983年3月発売
前年のSC-3000がキーボードにパッドを採用していたのに対し、マイナーチェンジの本機ではキーボードがプラスチック製の本格的なものになっている。型番の「H」は「ハード」の意か?本体色はSC-3000と同じく黒と白、赤がある。
スーパーカセットビジョン
(エポック)
1984年7月発売

同社のカセットビジョン(1981年)の後継機、15000円。価格設定や時期から、ファミコンに真っ向勝負を挑むつもりで発売されたマシンのようだ。なんと当時では珍しいRGB出力を備えているのが驚き。

ソフトは30本ちょいリリースされたが、このラインナップでファミコンと勝負しようとしていたのだろうか?「ドラえもん」「ドラゴンボール」などのキャラゲーや、後期のナムコ作品もあるにはあったが、その後が続かなかった。ハード自体はファミコンをも凌駕するスペックだっただけに、その敗退が惜しまれる。ちなみに筆者の後輩は「ネビュラ」がかなりのお気に入りのようだ。現在も根強いファンがいるハードなのだ。
ぴゅう太MKII
(トミー)
1984年7月発売
日本語Basicだったオリジナルの「ぴゅう太」に対し、英語Basicを搭載した亜種。キーボードもマイナーチェンジしている。29800円だった。知っている人がほとんどいない、存在していたことすら怪しいハードである。
オセロマルチビジョン
(ツクダオリジナル)
1984年発売
前年の「オセロマルチビジョン」の色を変更したマイナーチェンジバージョン。コントローラーも付属のジョイパッドに変更されている。型番はFG-2000。
1985年・変わらぬ任天堂の一強状態にセガの逆襲?
セガ・マークIII
(セガ)
1985年10月発売

今なお一部セガファンの間では名機とされるハード。15000円・8ビットという仕様もファミコンを意識したものか?セガが任天堂に戦いを挑む!・・・ものの、折りしもファミコンで「スーパーマリオブラザーズ」が発売され、戦況はいきなり厳しいものとなってしまう。

「アフターバーナー」「ファンタジーゾーン」「スペースハリアー」など、セガの人気アーケードゲームを多数移植。しかし、当初はサードパーティを参入させずにセガ製タイトルのみで勝負したため、そのラインナップが非常に偏ったものになってしまい、セガファン以外の興味を惹くことは困難だった。後期になるとサードパーティの参入が始まったが、時すでに遅し・・・である。それでもアーケード派には垂涎の80本強のソフトが発売された。シューティングの名作「R-TYPE」も、88年にこのハードで初めて完全移植されている(PCエンジン版は2枚のDiscに分かれてしまった)。

なお、SG、SC(1983年)シリーズのソフトもマークIIIでプレイ可能であった。プレステが成し遂げて一強に至る要因ともなった上位互換を、セガはこの時にすでに行っていたのである。しかしセガは敗北した・・・。即ち、上位互換だけでは勝ちは見えないのである。そのソフトのラインナップ次第、なのだ。
ゲームポケコン
(エポック社)
1985年発売
ゲームボーイすらまだ影も形もなかった時代、まだまだゲームで勝負する気マンマンだったエポック社は、「携帯できるゲーム機」に目を付けた。そして発売されたのがこの「ゲームポケコン」、12000円なり。

カートリッジ交換式という利点をもって、「第二のゲーム&ウォッチ」の座を虎視眈々と狙ったわけだが、携帯機のわりに重く、気軽に持ち運べないシロモノだった。結果、「麻雀」「リバーシ」など無難なテーブルゲームを含め5本のソフトを残すのみとなった。「倉庫番」がラインナップされていたのは評価したいのだが。
カラービジョン
(Romtec Enterprises)
1984年発売
海外産のカートリッジ交換式ハードで、日本国内では発売されていない幻のマシン。なんとなく後の「バーチャルボーイ(任天堂)」を想起させる形をしている。外部の光を取り込んでそれを鏡に反射させ、LCDの表示をするというキテレツな構造である。
1986年・しかし任天堂も黙ってはいなかった
ファミコンディスクシステム
(任天堂)
1986年2月発売

ファミコンの機能拡張システム。ファミコンと接続して使用した。ゲームソフトは磁気ディスクを使用。その容量を利用してこれまでにないボリュームを持つ作品が多数発売された。現在もシリーズが製作される「ゼルダ」「メトロイド」などの名作もこのハードで誕生。飽きたゲームのディスクを新作に書き換えることができるサービスも画期的だった。本体価格は15000円。ファミコン本体と合わせて、29800円。これでも安い?筆者は中学生の頃、月数百円の小遣いとお年玉をコツコツ貯めて購入したものだから、凄く高いものに思えるけど。

なお、継続してきた書き換えサービスは、残念ながら2003年9月30日を持って終了。一部ソフトはゲームボーイアドバンスの「ファミコンミニ」シリーズとしてリリースされている。今でもオリジナルの本体を自力で修理して使い続けるファンも少なくないだけに、あと心配されるのはソフト側の磁気ディスクがいつまでもつか・・・。そういう意味では、Wiiの旧作ダウンロードサービスはとてもありがたいね。
ツインファミコン
(シャープ)
1986年7月発売

ファミコンとディスクシステムを一台のハードに格納した機種。29800円という価格はファミコン+ディスクシステムに相当するが、当時のファミコンには付いてなかったAV出力があり、画質は一段上のものだった。カラーは赤(AN-500R)と黒(AN-500B)が存在する。

ちなみに当時、ツインファミコンのテレビCMはハドソンの高橋利幸氏(俗に言う「高橋名人」)が出演していた。仮にもハドソンの社員である氏がシャープ社のCMに出演し、『カセットでスターソルジャー、ディスクでスーパーマリオ2』と任天堂のPRまでしていたのも、古き良き時代の思い出。
アタリ7800
(アタリ)
1986年発売
日本国内で発売されたアタリVCS「2800」の上位機種。2800用のソフトとも互換性を持つ優れたマシンである。これに倣い、国内のハードメーカーも上位互換を実現していれば、現在のようなプレステ一強はなかったかもしれないのに・・・。

ゼビウス、ギャラガ、ディグダグといったナムコの主力ソフトがラインナップされていた他、ドンキーコングもあった。
1987年・第三の刺客あらわる?
マスターシステム
(セガ)
1987年10月発売
セガマークIIIの海外バージョンと言えるであろう「Master System/Power Base」を、日本国内用にアレンジを施して発売したもの。もちろん、日本版セガマークIII用ソフトが使用できる。言わばマイナーチェンジハードである。オリジナルのマークIIIではオプションであったFM音源を搭載した、8ビットマシン。16800円だった。翌年にはメガドライブが出るわけで、よく言えば「つなぎ」、悪く言えば「悪あがき」?

ちなみに海外版は本体に光線銃が同梱されていた。
PCエンジン
(NEC HE)
1987年10月30日発売

ここでいよいよPCエンジンが発売。24800円、8ビット。当時は話題性の高かったアーケードゲームの移植や、独特なマニア路線のラインナップで、コアなゲーマーを中心にかなりの盛り上がりを見せた。初期に発売された「R-TYPE」や「ネクロマンサー」、「ドラゴンスピリット」を見た時のインパクトには、今でも忘れられないものがある。映像はRF出力ながら本体の圧倒的なスペックで魅せる美麗なグラフィックは、「ファミっ子」を虜にするに充分の説得力を持っていた。薄いカード型のカートリッジ(Hu-カード)も、ファミカセに慣れた子供の目には斬新だった。

ファミコンに比べると、客層はヘビーユーザーが多かった。今でもコアなファンが熱く語るハードでもある。そういえば愛称、当時は聞いたことなかったなあ。「PC」って言っちゃうとパソコンだしね。今でこそ「PCE」とか呼ばれてるけど、当時はみんなフルネームで呼んでたな。後の様々な「PCエンジンたち」と区別するため、「白エンジン」と呼ぶ場合もある。ちなみに海外で「ターボグラフィックス16」と言ったらこのPCエンジンのことを指す。

後にパソコンメーカーであるNECならではの「コア構想」によって、周辺機器を用いた拡張が様々な展開を見せたPCエンジンだが、その度重なる本体のマイナーチェンジと価格の高騰化に付いていけるユーザーは少なく、優れたプラットフォームでありながら自滅。「策士、策に溺れる」を体現したハードである。
X1 twin
(シャープ)
1987年12月発売
ゲーム機とテレビをくっつけるのが得意なシャープさんが、またまたやってくれた逸品。シャープ製テレビパソコン「X1」と、「PCエンジン」をフュージョンしたマシンである。見た目はまるっきりパソコン。パソコン畑のNECによる「PCエンジン」だけに、テレパソ「X1」との相性はバッチリ?99800円。正式な型番はCZ-830C-BK。
1988年・3強の時代となるか
メガドライブ
(セガ)
1988年10月29日発売

主力機が8ビット1色の時代、セガが満を持して世に問うた16ビットマシン。それゆえ本体にも誇らしげな金色の「16-BIT」ロゴが輝く。音源もFM音源をはじめて標準内蔵するなど、話題になった。21800円。アーケードゲームの移植など、ファミコンでは決して実現できないクオリティーの作品をリリース(筆者は友人宅で「大魔界村」などをプレイ)。ユーザーの間では「メガドラ」という略称で呼ばれていた。

一方で、短い期間でハードを切り捨てるセガの方針に対して「アンチセガ」のような立場を取る人々が出現しはじめたのも事実。はっきりと「アンチ」を名乗る人々が出現したのも、この頃ではなかったか?

海外名は「ジェネシス(GENESIS)」で、後にジェネシス2、ジェネシス3も発売されているが、それらは日本では発売されていない。
CDロムロム
(NEC HE)
1988年12月発売
「コア構想」に基づく、PCエンジンの記念すべき第一弾拡張ユニット。事実上の、家庭用ゲーム初のCDメディア採用機種である(世界初と言ってよい)。それまでパソコンのものであったCD-ROMを初めてゲーム機に使用したことで話題になった。生の人声がゲーム機から出た瞬間、驚いた人も少なくないだろう。ただし、57300円という価格は決して誰もが手を出せるものではなかった。
PC-KD863G
(NEC HE)
1988年10月発売
パソコン用15インチモニターに、PCエンジンを内蔵してしまった珍品。非常にレアな品である。仕様上、拡張ポートが排除されてしまったため、CDロムロムが付けられないという致命的欠陥がある。138000円。
1989年・人類はゲームを持ち歩く
PCエンジン シャトル
(NEC HE)
1989年11月22日発売

PCエンジンをモデルチェンジ&低価格化した廉価版。宇宙戦闘機のようなSFチックなデザインが斬新だった。18800円、8ビット。この独特の形状が仇となり、あまり売れなかったのだから皮肉なものである。なぜって?CD-ロムロムを繋ぐことができなかったからさ。Huカードのゲームだけやりたい人、CDまでは興味のないライトユーザー向けといった位置付けの微妙な商品である。今ではその希少さから逆に価値が上がっていたりする。

シャトルの本体は、実はオリジナルのPCエンジンよりもかなり大きいという事実は意外と知られていない。廉価版=小型化、という思い込みを覆す珍品。また、オリジナルにはなかったAV出力が備えられている。
PCエンジン
コアグラフィックス

(NEC HE)
1989年12月8日発売
オリジナルPCエンジンの正統な上位機種。24800円。もちろんCDロムロムも接続可能で、映像出力もAV出力が採用された。しかし、同時に3種の「PCエンジン」という名のハードが存在することとなってしまい、ユーザーは大混乱。今にして思えば、この戦略がPCエンジンの衰退を招いたような気すらしてくる。いったい何を考えていたのか。「コア構想」って何がしたかったのか、今でもさっぱり理解できません。
PCエンジン
スーパーグラフィックス

(NEC HE)
1989年12月8日発売
PCエンジン最上位機種。完全なマニア向け、39800円。スペックは当時最高峰と言っても過言ではないが、対応した専用ソフトはなんと6本のみ……。すでに「ハードはソフトあってこそ」ということはわかりきっていた時代、完全に失敗だろう。

スペックや機能もメガドライブを意識したものだったのだろうが、翌年にはあっさりとスーパーファミコンに超えられてしまう。そのままではCDロムロムが繋げないなどの欠点もあり、ユーザーからその存在を無視された機体。
ゲームボーイ
(任天堂)
1989年4月21日発売
多数の人気ソフトを抱え、ゲームウォッチで技術を蓄積した任天堂が発売した携帯用ゲーム機。その後、ポケット・カラー・アドバンスと進化し続けながら現在に至り、NDSへ王座を引き継ぐ。ある意味では最も息の長かったゲーム機だと言えるだろう。この頃のゲームボーイはもちろんカラーではなかったが、どこでもできるゲームに人々は熱中することに。8ビット、12500円だった。
ツインファミコン
(シャープ)
1989年発売
基本的には1986年のものと変わりないが、コントローラーに連射機能が付けられた。パッケージも変更されている。
LYNX
(アタリ)
1989年発売
ATARIが発売した携帯ゲーム機。任天堂のゲームボーイと同じ年に、既にカラー画面だったのが驚きである(ちなみにカラー携帯機として世界初)。縦持ち・横持ちどちらでも使えるインターフェイスは、後のワンダースワン(バンダイ)がヒントとしたものだろうか?右利き・左利きどちらの人も問題なくプレイが可能だった。

携帯ゲーム機でありながら異常に大きいものだったらしく、後にコンパクトになったLYNX IIも発売されたらしい。日本ではムーミン社が発売していた。
1990年・世代交代の時期、そして混沌へ……
NEO GEO
(SNK)
100メガショック!のキャッチコピーで登場。ゲームセンターのゲームがそのままのクオリティで家庭で遊べる!がウリだった。58000円、16ビット。ゲームソフトの価格の高さと、ソフトそのものの重量は現在もなお伝説のように語り継がれており、「カートリッジで人を殴り殺せる」とまで言われている。

なんと2000年までの10年間、対応ソフトはしぶとく発売され続けていた。金に糸目はつけないから、とにかくアーケードそのままのゲームで遊びたい!というコアユーザーには理想のマシンだった。
スーパーファミコン
(任天堂)
1990年11月21日発売

時代の波と、技術の進歩についていくのが苦しくなっていたファミコンの次世代機。25000円、16ビット。格段に向上したグラフィックとサウンドに加え、ファミコンから擁していた人気タイトルの続編が次々と発売され、名実ともに最強ハードの座を容易く手に入れることに成功した。国内では1700万台強を出荷。

モザイク機能や画面回転機能など、独特にして新たなプログラムも可能になった。また、後期にはカートリッジ側に特殊な用途に応じたチップを内蔵させることで、表現の幅を大きく広げる。「スーファミなのにポリゴン」といったことも実現されるように。しかし、特殊チップの搭載や大容量化するROMのためにソフトの価格は高騰する一方となってしまう。それでも売れる人気シリーズを擁したことは、スーファミにとってなにより幸運なことであろう。

愛称は「スーファミ」。正式名称が「スーパーファミコン」であり、あくまで「スーパーファミリーコンピューター」の略ではないようだ。

余談であるが、本体後部の「使った記憶がない」拡張ポートを思い出していただきたい。実はスーファミには、外部拡張機器としてCD-ROMドライブの構想があった。もろもろの事情から実現しなかったが、そのCD-ROMドライブは後に「プレイステーション」となり、王者の座を脅かすのである。あーあ。
PCエンジンGT
(NEC HE)
1990年12月1日発売
劣勢になりつつあったPCエンジン勢力の悪あがき。ゲームボーイに対抗した携帯型PCエンジンとでも言うべきもので、画面とコントローラーを一体化し、Huカードのゲームがそのまま使用できるハード。オプションのPCエンジンGT用TVチューナーを接続すればテレビも見られた。が・・・44800円では誰も飛びつかなかった。このあたりからPCエンジンはマニア層に向けた独自路線へ移行していった。
SF−1
(シャープ)
1990年12月発売
スーパーファミコンをテレビに内蔵した商品。それにしても売れたのだろうか。21型テレビにスーファミが付いてくると思えば、133000円も安い?なお、同時に14型も発売された。
ゲームギア
(セガ)
1990年10月6日発売
セガの発売した携帯ゲーム機、19800円。任天堂に先んじてカラー液晶を採用したのが最大の特徴だった。しかし、またしてもセガの野望は失敗に終わる……。いつも発想は一歩先なのにコケてしまうのはナゼなんですかね?

別売りオプションでテレビチューナーや充電式バッテリーを用意。ただしそれらを着けてしまうととても「携帯機」とは呼べない大きさになってしまった。バッテリーの持続時間も短く、実用的とは言い難い仕様であったのは誰もが認めるところ。後に「キッズギア」と名称変更される。
1991年・メディア変革の時代へ
テラドライブ
(セガ)
1991年5月発売
メガではなくテラです。ギガを通り越してテラまで行っちゃいました!この時代にテラの容量を持つスーパーマシン!のわけがないDOS/Vパソコンとメガドライブを融合させたものである。168000円という価格もこれで納得。もちろんパソコン部分はセガ製ではなく、IBMが共同開発したもの。画面はRGB出力のため、通常のテレビに繋げたメガドライブよりもはるかに美麗である。ただしディスプレイは別売り。
PCエンジンDUO
(NEC HE)
1991年9月21日発売
8ビットでまだ頑張ってました。59800円。HuカードソフトとCDロムが一台で遊べる、一体型マシン。RAM容量もアップし、CD-ROMソフトの質がさらに向上した。また、バッテリー駆動もするという、PCEユーザーにとっては至れり尽くせりの製品である。
PCエンジンLT
(NEC HE)
1991年12月13日発売
液晶ディスプレイを搭載した、折り畳み型携帯PCエンジン。言ってみれば1990年の「GT」の上位機種。ソフトはPCエンジン用の「Hu-カード」がそのまま使え、CDロムロムの接続も可能。TVチューナーとアンテナも内蔵になり、テレビとしても使用できた。ところが携帯機のくせしてバッテリーは搭載していなかった(つまりコンセントに繋いで遊べということ)。価格は「もう勝手にして下さい」の99800円。高い!
PCエンジン
コアグラフィックスII

(NEC HE)
1991年6月21日発売
スーパーCDロムロムの発売に合わせ、コアグラフィックス本体をリニューアルしたもの。本体の配色も、スーパーCDロムロムのものに合わせられている。19800円という価格は、オリジナルのコアグラフィックスと比べると事実上の5000円値下げとなる。付属のコントロールパッドには連射機能が付けられた。
スーパーCDロムロム
(NEC HE)
1991年12月発売
CDロムロムをコンパクトにし、本体色をこれまでの白からコアグラフィックスに合わせた黒に変更したモデル。初代CDロムロムはそのままでは「スーパーグラフィックス」に繋げなかったが、それについても改良された。「Duo」同様にRAM容量のアップも行われている。39800円。
メガCD
(セガ)
1991年12月12日発売
PCエンジンのCDロムロムに対抗するべく、セガが発売したメガドライブ用のCD-ROM拡張ユニット。49800円。CDロムって高かったのね。

メガドライブを上部に乗せて使用する。メガCD側にもCPUを搭載することで、回転・拡大・縮小などのスーパーファミコンが得意とする機能を持たせた。
1992年・スーパーファミコンが依然独走
ワンダーメガ
(ビクター)
1992年4月24日発売
メガドライブとメガCDの一体型、79800円。マイク端子やMID端子を標準装備し、カラオケなどゲーム以外の用途もウリにしていた。

なお、同年4月1日、セガが発売する前にビクターから「ワンダーメガ」がリリースされている。こちらは82800円とやや高いが、ゲームやカラオケの入ったCD-ROMが1枚同梱だった。
1993年・スーパーファミコンが他を圧倒、それでもそろそろ限界が?
レーザーアクティブ
(パイオニア)
1993年8月発売

ゲームソフトとしてのCD-ROMが次第に認知されていた時、パイオニアはさらに上を行った。なんとメディアとしてレーザーディスク(LD)を採用したハードを出してきたのだ。もちろんLDの再生も可能で、ゲーム機にLDが付いたのか、LDプレイヤーにゲーム機能が付いたのかわからんが、89800円!

さらに凄いのは、「コントロールパック」の存在。これは何かと言えば、多機種のソフトをレーザーアクティブでプレイできるようにしてしまえるオプション。なんとメガドライブソフト用、PCエンジン用が発売された。価格はそれぞれ39000円。これがあれば、一台でいろいろなゲームをプレイ可能なのだ!

・・・そんなに上手くいくわけなく、高すぎる価格のためにまったく売れなかったと言っていいだろう。この値段だったら、PCエンジンとメガドライブそれぞれ買うよ・・・という意見もごもっとも。独自に30本強のソフトも発売されたが、本体を購入する動機になり得るほどのものはなかったようす。

PS2はDVDが再生できることで爆発的に売れたが、きっとそれはタイミングが良かったのだろう。もしかするとレーザーアクティブの二の舞になっていたかもしれないのだ。商売って難しいね。
NEWファミコン
(AVファミコン)

(任天堂)
1993年12月1日発売
なぜかここに来てファミコンをリニューアル。一回りコンパクトになったボディになり、AV出力を標準装備。一方でIIコントローラーからマイクを廃した。レトロゲーム愛好者に飛ぶように売れたという(筆者も買いました)。新品でも定価7000円はお買い得。でも今となっては肝心のソフトが稀少。それと、マイクがないと一部のソフトで非常に困るんですが……。

2003年9月をもってとうとう製造終了。おつかれさまでした。
PCエンジンDUO-R
(NEC HE)
1993年3月25日発売
PCエンジンDuoの廉価版として登場。さほど重要ではない機能(バッテリー、ヘッドホン端子など)を削ってコストを削減した機体で、実質Duoから2万円の値下げを果たし、39800円となった。とは言え、この頃はすでに市場でのDuo実勢価格がこのぐらいに落ち込んでいたようである。本体カラーは、よりパソコンを思わせるものに変更された。
ワンダーメガ RG-M2
(ビクター)
1993年7月2日発売
前年の「ワンダーメガ」が早くもマイナーチェンジ。コントローラーがワイヤレス、6ボタンになった。一方でMIDI端子は排除されている。1年やそこらで変更するってのはいかがなものか?発売元はビクターで、59800円だった。
メガドライブ2
(セガ)
1993年4月23日発売
本体を小型化・一部仕様を廃止(ヘッドホン端子、パワーランプなど)し、12800円という価格を実現した廉価版メガドライブ。本体形状もかなり簡略化され、シンプルに。
メガCD2
(セガ)
1993年4月23日発売
メガドライブ2と同時に発売された拡張CDユニット。こちらも徹底した簡素化が行われており、29800円となった(2万円の値下げ)。従来のメガドライブとの接続も可能。
1994年・次世代機戦争にあらたな挑戦者
3DO REAL
(松下電器)
1994年3月20日発売
松下が満を持して放った新型ハード、54800円。32ビットマシンの先駆者であったのだが、それにしても運がない。同年にサターン、プレステなどの32ビット機が発売されてしまい、注目されることすらほとんどなかった。次世代機としては最も早く登場したにもかかわらず、三つ巴のゲーム機戦争に入れてさえもらえなかったのが不憫。その原因はやはり魅力的なソフトが乏しかったゆえだろう。

ちなみに後継機として発売が予定されていた「M2(コードネーム)」は発売中止となった。
3DO REAL 2
(松下電器)
1994年11月11日発売
序盤からコケてしまった3DO。なんとか体制を立て直すべく、本体をリニューアルし、名称を「2」と改めて発売、44800円ナリ。つまりマイナーチェンジである。しかし仕方なかったとは言え、同じ年の間に本体を更新することは、ユーザーにあまり良い印象を与えなかったようだ。プレステとサターンは3DOには目もくれず激しくぶつかり合っていた。不憫・・・・・・。
3DO TRY
(サンヨー)
1994年10月1日発売
サンヨーが発売した3DO機。サターンといい、当時は複数のメーカーからOEMを出すのが流行っていたのか?実は本家の「3DO REAL2」よりも早く発売されている。価格は同じ44800円。異なるのは形状のみである。

「3DO」という名称はゲーム機の名前ではなく、The 3DO Companyが提唱する規格の名前である。さらに「3DO REAL」シリーズは純粋なゲーム機というよりは「情報家電」であったため、サンヨーからの発売が可能だったのである。が、その「情報家電」という括りによって、ライバル機よりも価格が高めになってしまったことも敗因のひとつであろう。
NEO GEO CD
(SNK)
1994年9月発売
「NEO GEO」を知らない人にありがちな誤解として、この「NEO GEO CD」が本体に取り付けるタイプの拡張CDユニットだという思い込みがある。そうではなく、これも立派ないちゲーム機。つまり、「NEO GEO」にはカセットROMタイプCD-ROMタイプ2種が存在するということ。

「NEO GEO CD」は、高騰化するROMソフトの問題を解決するべく、供給メディアをCD-ROMにするという意義で作られたもの。ソフトも当然2種存在している。両者で出ているものもあるが、片方だけのタイトルも当然あるので、どのソフトがどっちの機械で遊べるのか・・・をよく調べなければならない。

CD機はROM機に比べて読み込みがかなり目立つ。さらにサウンドやグラフィックなどが一部改変されているので、ゲームセンターそのままのゲームを遊びたいのであればROM機の方が優秀。

初期型はフロントローディングで、かなりレアな逸品。写真は普及型のトップローディング。価格を抑えるため、ドライブはいずれも等倍速のものを採用している。
プレイディア
(バンダイ)
1994年9月発売
1979年の「TV JACKスーパービジョン8000」以来、久々にバンダイが放ったオリジナルハード。ハードが乱立する中、多機種とは異なる路線で展開していこうと計画していたようである。その名も「ゲーム機」ではなく、「インタラクティブプレイヤー」。やや低年齢層を狙っていたのか、教育ソフトや図鑑も発売された。

しかし、ソフトハウスは自社バンダイのみ、リリースされるのはお得意のキャラゲー、しかもいわゆるゲームではなく、ソフトに記録された動画をどう再生するかを操るだけの選択肢型ゲームばかりとなれば、ユーザーが他機種に向かうのは当然の流れ(そのウリの動画再生機能も、現在のような"動画"を想像してはいけない)。今や記憶に残っているのは、当時さかんにやってたCMの安達祐実。それだけだ。24800円、なのに8ビット。ファミコン並みかい!
CSD−GM1
(AIWA)
1994年9月1日発売
メガドライブとラジカセを合体させた、無謀な商品。メガCDも使用できるが、絵はTVの画面に出てるのに、音声がラジカセのスピーカーから出るのも良いんだか悪いんだか。かなりレアであるのは間違いない。45000円って、買い?デザインはいかにもアイワって感じで好感が持てるんだけど。
メガジェット
(セガ)
1994年3月10日一般発売

もともとは日本航空(JAL)の航空機内で、サービスとして乗客にゲーム機を貸与するため、JALとセガの共同開発によってメガドライブを小型化したもの。ゆえに「ジェット」というわけだ。座席に備えられた画面にコードで接続して使う。本体はカセット挿入部とコントローラーを一体化し、電源は画面に繋げたコードから供給されるしくみ。

後に一般店頭でも15000円で発売された。ただしその仕様上、周辺機器を接続することはできない。
セガサターン
(セガ)
1994年11月22日発売
セガが巻き返しを図るべく投入した、32ビット次世代ハード。44800円。この頃になるとスーパーファミコンに機能的限界が見え始め、そこを一気に逆転するつもりだったようだ。

バーチャファイターをはじめとした3D格闘ゲームなどが話題となり、セガの大勝利は誰もが疑っていなかった。しかし、まさかあんな強敵が潜んでいようとは……。略称は「サターン」。セガ製6つ目の家庭用ゲーム機→第六惑星→土星、というのが名称の由来である。価格は最終的に2万円まで値下げされた。ライトユーザーよりもアーケードゲーマーに愛されたハードである。
V-サターン
(ビクター)
1994年11月22日発売
ビクター版セガサターン。オリジナルと同時発売で、価格も同じ44800円。何が違うのかわからない(っていうか色だけ)。OEM?っていうか何がしたいのかすらわからない。「V」は「ビクター」ってこと?こちらも2万円まで値下げされた。
PC-FX
(NEC HE)
1994年12月23日発売

一般層を完全に切り捨て、コアユーザー(というか、マニア)のみにターゲットを絞ったハード。俗に「ギャルゲー専用機」などと呼ばれる。32ビット、49800円。当時の「三つ巴の戦い」の内訳は間違いなくプレステ・サターンとこのPC-FXなのだが、早々に戦線を離脱してしまうことになる。

ソフトは60本強リリースされたが、初期のラインナップはともかく、後期のアニメ系・ギャルゲー系オタク向け偏重は潔くもある気がしないでもなく。また、PC-FXはパソコンメーカーのNECらしく、パソコンとの連携もウリだった。パソコン上でPC-FXのソフトを動かせるボードもNECから発売され、しかもパソコンで開発もできてしまうとなれば、ますますマニア向けというか、一般層からはソッポを向かれて当然のような気が。なお、「PC」という名ではあるが、過去のPCエンジンとは一切互換性はない。

なお、「ギャルゲー専用機」という呼称は、この製品のキャラクターを簡潔に説明すべく筆者が勝手に捏造したものであり、実際にそう呼ばれていたかは保証いたしかねます。にもかかわらず、それも含めてコピペしちゃうのはいかがなものかと思いますよ(サイト訪問者からのタレコミにより)。このサイトさん凄いわ。オレは怖くて真似できません。そのわりにハードによってはウチより画像が充実してて資料価値高。コピーがオリジナルを超えるって、こういうことなのですね。くやしいっビクビク。
PC Engine DUO-RX
(NEC HE)
1994年6月25日発売
1993年のPC Engine DUO-Rを、さらにさらに廉価版として発売した機種。機能変わらずで29800円と1万円の値下げだが、ここまでくるともうヤケクソくさい。唯一の評価点は、これまでの2ボタンパッドから、格闘ゲーム対応の連射機能付き6ボタンパッドとなったことか。誰もこの機械を格闘ゲーム目当てにはしていなかったと思うが・・・。
プレイステーション
(SCE)
1994年12月3日発売

ゲーム会社として誰もがノーチェックだったソニーが「ソニー・コンピュータ・エンタテイメント」としてゲーム界に参入。いったい誰があのような一人勝ちを予想していただろうか?当時は真面目に、サターン優勢だと誰もが思っていたのである。

ライトユーザーを取り込む斬新なソフトや、ソニーならではの印象的なCMを多数展開。結果、FFやドラクエといった人気タイトルを味方に付け、一方では「バイオハザード」などの3Dの利点を活かした、魅力に富んだキラータイトルが出現。こうして第二次次世代競争はSCEの圧倒的勝利に終わる。32ビット、39800円。

圧倒的に「プレステ」と呼ばれていたが、一部では略語そのまま「ピーエス」と呼ぶユーザーもいた。
スーパー32X
(セガ)
1994年12月3日発売
早い話が、メガドライブの拡張ユニット。コイツをメガドライブに装着することで、16ビットマシンがあ〜ら不思議、32メガビット機に。サターンを発売しつつもメガドラユーザーも見捨てないよ、というセガの良心が見えるハードですね。ハードの切り替えと互換性のなさからオールドユーザーを切り捨ててきたセガにもやっと芽生えた良心。プレステと同じ日に発売されたのがなんとも因縁めいてます。

ところが市場では次世代機への移行が順調に進んだため、スーパー32Xは18本の専用ソフトを残して使命を終えた。
1995年・任天堂の迷走
サテラビュー
(任天堂)
スーパーファミコンの周辺機器。任天堂が出資した衛星放送「セント・ギガ」を利用し、衛星からゲームデータや放送コンテンツを発信。それを対応アダプターを繋げたスーファミで受信するという、これまでにない試みは話題にこそなったが、いまひとつユーザーサイドがピンと来なかったため不発に終わってしまった。ちょっと先に行き過ぎてしまったか。環境を揃える為の機器は18000円。

実は隠れた名作が多いらしく、例えば「クロノ」シリーズのファンがいまどれほど遊びたくても叶わない、「ラジカルドリーマーズ」など。
バーチャルボーイ
(任天堂)
1995年7月21日発売
ゲームボーイで独占状態にあった任天堂が放った、これまでにない小型ゲーム機。望遠鏡のようなディスプレイを覗き込むことでバーチャルな立体ゲームを楽しめるのだが、むしろプレイしている人を見ている方が楽しめるほど滑稽。結局失敗に終わり、現在は業界では「なかったこと」になっているらしい(国内出荷台数15万台)。15000円、32ビット(!)。任天堂は「実験の年」だったのだろうか?
HIサターン
(日立)
1995年7月発売
セガサターンにビデオCD・フォトCDの再生機能を付加した製品。64800円。「HI」は「HITACHI」の意か。
ゲームナビ HIサターン
(日立)
1995年12月6日発売
カーナビである。が、サターンのゲームもできる。いや、サターンであるが、カーナビ機能も付いている・・・どっちでもいいわい!15万円するうえに液晶モニタは別売り、テレビが見たいならチューナーも別売り!でもこれ一台あったら、車の中でも退屈しないね!渋滞もなんのその!ですが運転中のゲームはやめましょう。
NEO GEO CDZ
(SNK)
1995年7月発売
「NEO GEO CD"2"」ではなく、「ゼット」。CD-ROMドライブを高性能化し、読み込み速度を向上(2倍速)させたマイナーチェンジ機種。形状も小型化されている。39800円。こうもしょっちゅうリニューアルされては、ファンとしてもたまったものではないだろう。
1996年・任天堂の起死回生となるか?
ピピンアットマーク
(バンダイ)
1996年3月電話注文販売
1996年6月15日店頭発売
プレイディアでももうコケまくったバンダイさん、今度はアップルと手を組んだ!MacOS互換の64ビットマシン。ネットも閲覧可能(ただしHDDは未搭載で、あくまでPCではなくゲーム機ではあった)。発売当初は64800円、後に49800円に改定。

もし持っている人がいたら、大切にして下さい。非常にレアです。スペックで見ると立派に「超・次世代機」だったんだけどねえ。1998年3月に事実上の完全撤退となった。
NINTENDO 64
(任天堂)
1996年6月23日発売

ゲームボーイ以外で勝ちのなかった任天堂が発売した64ビット機。25000円(後に14000円まで値下げ)。プレステ・サターンの間に割って入り、ファミコン・スーファミのように再び一人勝ち状態になるかと期待されたが、時すでに遅し。いかんせんこの時点でプレステが強すぎた。タイトルにも恵まれず、信頼していたエニックス(ドラクエ)までもがプレステに行ってしまうという展開に。もはやマリオやゼルダだけではユーザーは付いて来ないのか?

採用メディアについてカセットROMにこだわり続けたことも敗因と言えようか。ムービーや音楽がゲームと密接なものとなりつつあった時代、大半のユーザーはもはやCD-ROMのアクセス速度やロードに慣れてしまっており、カセットROMの読み込みに魅力を感じなかったのだ。それよりも美麗なムービー、豪華な音楽を!ユーザーの欲求はそちらが主流となっていた。

略称は「ロクヨン」。ちなみにロクヨン関係のCMの冒頭に付けられていた「ロク・ヨン」という男声サウンドロゴは、ナレーターのウォード・セクストンによるもの。あのひと声で1億円だとか・・・。
ゲームボーイポケット
(任天堂)
1996年7月21日発売
7年の月日を経て、ゲームボーイを小型・軽量化し、3800円という低価格を実現した機体。本体サイズが小さくなってもディスプレイサイズは変わらず、より見やすく改良されている。スケルトンの流行もいち早くとり入れ、カラーラインナップに加えた。
キッズギア
(セガトイズ)
1996年3月29日発売
90年発売の「ゲームギア」の名称を変更したマイナーチェンジモデル。やや本体形状やデザインに変更はあるものの、スペック的には変わりなく、価格は14800円と実質値下げになっている。
1998年・プレステが変わらずゲーム界で圧勝、そこへ!
ゲームボーイライト
(任天堂)
1998年4月14日発売
ゲームボーイポケットのディスプレイにバックライトを装備した機種。使用電池をこれまでの単4から単3に変更することで、駆動時間も長くなった(バックライト点灯で12時間駆動)。6800円で発売された。
ゲームボーイ カラー
(任天堂)
1998年10月21日発売
バーチャルなんたらとか作ってるんなら、早くゲームボーイをカラーにして!などとのユーザーの声に反応したかは定かではないが、ようやくカラー化。ゲームボーイライトと同じ6800円は安い!バックライトは廃されたが、反射型TFT液晶の採用でディスプレイの見やすさをフォローしている。
スーパーファミコン Jr.
(任天堂)
1998年3月27日発売
ファミコン同様、スーファミも小型化し廉価版が発売された。拡張端子は廃止されているが、使ったためしなどないのでかまわないだろう。7800円という価格も魅力。ただしコントローラーは1つしか同梱されていない。

ニューファミコンと同じく、残念ながら2003年9月をもって製造終了となった。末期は飛ぶように売れたらしい。
ネオジオポケット
(SNK)
1998年10月28日発売
SNKが発売した携帯ゲーム機。今では訴えられかねない挑発的なCMから何から、任天堂への敵対心(もしくは妬み)丸出し!いざ尋常に勝負を申し込んだつもりだったが、モノクロ画面ではゲームボーイカラーのライバルとしてはちょっと弱かった。もちろん、モノクロだった頃のゲームボーイと比べるとクオリティの上がった「モノクロ画面」ではあるのだが、やっぱり見た目のインパクトはカラーにはかなわず。本体価格は7800円。持ってる人は大切にしませう。
ドリームキャスト
(セガ)
1998年11月27日発売

今度こそは!の想いでセガが打ち出した次世代機。32ビット、29800円で発売された。ちなみに命名者はセガ会長とも親交の深かったワープ(当時)の飯野賢治氏とも言われており、「Dream(夢)をBroadcast(散布)する」という意味である。PSにはなかったネット接続を武器に、バーチャなどをひっさげて登場。湯川専務出演の一連のCMも鮮烈だった(ちょっと自虐的すぎたが)。「バイオハザード」も最新作の発売を表明し、未来は明るいかと思われた。開発コードは「KATANA」で、「刀」ではなく、「勝たな」の意である。もちろん、ライバルに「勝たな」との思いであり、当時のセガの切羽詰った様子が窺える。

ところが、PS勢力の強さは並ではなかった。圧倒的にキラータイトルに乏しい状況の中で健闘したと言えるが、2001年3月にとうとう生産中止。セガはハード生産から撤退することになってしまった。バイオやりたさに購入したドリキャスが埃に埋もれているユーザーも多いことだろう。後に19800円に価格改定され、撤退の頃には9900円まで値下げした。

一般的に「ドリキャス」と呼ばれていたが、一部ユーザーの間では「ドリー」「ドリャス」「なると(渦巻きロゴマークから)」と、なかばヤケッパチのように多様化していった。セガ取得のドメインが「dricas.com」であることから、やはり「ドリキャス」が公式略称(?)のもよう。

一部での本製品紹介や、発売前のコピーに「128ビット機」とうたっているものがあるが、前述の通りドリキャスは32ビット機。搭載GEが4つの演算を並行処理できるため、見かけ上の「32×4」という数値を言っているにすぎない。言ってみれば誇大広告。
1999年・携帯ゲームで圧倒する任天堂の苦悩
ネオジオポケットカラー
(SNK)
1999年3月19日発売

ネオジオポケットの発売後ほぼ1年でカラー化。発売当時の価格は8900円。さらに半年後にはモデルチェンジして小型になり、値段も6800円となった、ユーザー泣かせの携帯ゲーム機。そんな扱いに耐えられる寛容なユーザーはそんなにいなかった。

CMでのキャッチコピーは「I'm not Boy」。暗に「ゲームボーイで遊ぶようなお子様じゃないゼ」とでも言いたいのだろうが、まあ子供には半年でモデルチェンジするような機械は買えないだろうね。それに子供はもっとたくさんのソフトで遊びたいしね。
ネオジオポケットカラー
(SNK)
1999年10月21日発売
発売後わずか半年強で小型化・低価格化がなされた新しいネオポケ。こりゃあ上のヤツ買った人は黙っちゃいないでしょう。なお、01年10月にはソフト生産終了、っていうかSNKが倒産
ワンダースワン
(バンダイ)
1999年3月4日発売
ゲームボーイを生み出した横井軍平氏(故人)の構想によって製作された携帯ゲーム機で、バンダイとコトが共同開発した。4800円という価格も魅力だった。横井氏の名を冠した「グンペイ」の大ヒットも記憶に新しいが、ライバル機種に合わせて翌年にはカラー化されることになる。最初からカラーで出していれば、あるいは・・・・・・。

特徴は、ソフトに合わせて本体を縦にも横にも使える点。
64DD
(任天堂)
1999年12月1日サービス開始

ニンテンドウ64用の外部ディスクドライブ。専用の磁気ディスクをメディアとして用いる。のだが、見事にコケました

本来96年冬を目指していたDDの発売が延び延びになっていた理由として、64本体がじゅうぶんに普及していない、という判断があったようだが、それが逆にアダとなったのかも。DDを早くに発売しておけば、ディスクからキラータイトルが出たかもしれないし。任天堂、何やってもダメ状態。しかもDD向けに開発していたタイトルは、大容量化したROMカセットで余裕で作れちゃうし、ファミコンディスクと同じ失敗を辿ってます。

結局店頭販売はされず、ランドネットDDとの契約でのみユーザーに届けられた。デフォルトで付いてくる6本のソフト以外で、発売されたのはわずかに2本とお粗末すぎ。3年で50万ユーザーの獲得を目標にしていたが、スタート1年でたったの1万5千ユーザー。見切りを付けて2001年2月28日で全サービス終了。
2000年・一強体制をさらに伸ばすか、SCE
PlayStation 2
(SCE)
2000年3月4日発売

言わずと知れたプレイステーションの後継機。ファミコンやセガの「次世代機」たちが一切やってくれなかった、前身機種とのソフト互換を実現。これまでのPSユーザーならば、今まで買ったPSソフトも遊べることの意義は大きい。「調子の悪くなったPSの代わりに」と買い換えたユーザーも多くいることだろう。勝利の鍵はそんなところにあるのかもしれない。当然、通信にも対応している。また、人気タイトル「ファイナルファンタジー」「ドラゴンクエスト」もPS2での展開を表明し、初代PSに引き続き一強を確実なものとした。

128ビット、39800円だったが、幾度かの価格改定を経て最終的にはオープンプライス(実売26000〜29000円)。「プレステツー」と呼ばれるが、「ピーエスツー」と言う人もいる。期間限定のカラーバリエーションも人気だ。2004年11月には、はるかに小型化された新型のPStwoが発売される(同時にこの旧型PS2は撤収された)。
ワンダースワンカラー
(バンダイ)
2000年12月9日発売
99年に発売されたワンダースワンのカラーバージョン、6800円(最終的に4800円に改定)。本体発売と同時にスクウェアの「ファイナルファンタジー」が発売され、同梱版も売れた。ただしカラー液晶の出来はお世辞にも褒められるものではなかった。

「FF」は「III」までがワンダースワンでの発売を予定され、「ドラクエ」を擁するゲームボーイのライバルは、このワンダースワンを除いては考えられなかった。しかし、「FFII」発売の後「III」は音沙汰がなくなり、そのまま自然消滅。同時にワンダースワンに暗い影が落ち始めた。「FFIII」がきちんと発売されていれば、もうちょっと寿命は延びたかもね。しかしワンダースワン・ワンダースワンカラー合わせて300万台売れたというのだから、立派。
PlayStation(PSone)
(SCE)
2000年7月7日発売
PS2の発売を機に、プレイステーションがモデルチェンジ。呼称も「PS One」と改め、ボディをひとまわり小さくした。15000円だったが、後に9800円に価格改定。こうなると、携帯ゲーム機と価格的な差がほとんどない。そのため持ち運びを考慮してか、専用液晶モニターも発売された。
2001年・PS陣営のライバルとなるのは?!
ゲームボーイアドバンス
(任天堂)
2001年3月21日発売
ロクヨンでは苦渋を舐めたと言っても過言ではない任天堂が発売した、2001年最初のゲーム機。これまで縦型だったデザインを一新、イメージチェンジを図っている。これまでのゲームボーイソフトとも互換。携帯分野における任天堂の一強はまだまだ続きそうな気配である。当初は9800円だったが、2004年のアドバンスSPの価格改定に合わせて8800円となった。
NINTENDO
ゲームキューブ

旧称ドルフィン
(任天堂)
2001年9月14日発売
ロクヨンでは決して成功したとは言えない、ぶっちゃけ大失敗してしまった任天堂が、さらなる新ハードでPS陣営に戦いを挑む。任天堂ハードとして初めてROMカートリッジ/磁気ディスクをやめ、独自規格の光ディスクメディアを採用した。かつて開発時には仮称「ドルフィン」と呼ばれていたもの。

発売当初は25000円だったが、幾度かの価格改定により、最終的な価格は本体のみで1万円を切った。周辺機器の「ゲームボーイプレイヤー」とメモリーカード251をセットにしたエンジョイプラスパックがかなりオトクなセットとなっている。

任天堂の人気タイトルのほか、カプコンも「バイオハザード」シリーズをキューブに独占供給すると宣言、強力な後ろ盾を得てブレイクの兆しが見えた。が、今になって振り返るとカプコンは早々に掌を返したわけで、「バイオ」のために購入したユーザーを置き去りにしてキューブは自然消滅してしまう。
「Q」(旧称マーメイド)
(松下/パナソニック)
2001年12月14日発売
ニンテンドーゲームキューブにDVD再生機能を持たせた機種。2001年12月の発売時は39800円だったが、2002年7月1日から34800円に改定。現在はオープンプライスとなっている。

が、形状の問題から2003年3月に発売された「ゲームボーイプレーヤー」が接続できないなど、一部のユーザーにしてみれば純正キューブにしておけばよかった……という状態。今から買う人は純正を選ぶと吉。
ドリームキャスト R7
(セガ)
2000年3月業務用販売
2001年9月6日一般限定発売
ドリームキャスト本体の生産停止により需要が高まり、品薄となったのはなんとも皮肉なことだが、その品薄に対処すべく、パチンコ店用端末として業務用に販売されていた「R7」を急遽一般販売。価格は通常の本体と同じく9900円、本体色はブラックだった。

「MIL CD」規格に対応している点が、オリジナルのドリームキャストと異なる仕様である。
2002年・さらなるニューハードは現われるのか?
X box
(マイクロソフト)
2002年2月22日発売

誰もが驚いた、PC界の雄マイクロソフトが放ったゲーム専用機。2002年2月22日発売。通信機能はあたりまえとして、8ギガのハードディスクを標準で搭載。MSらしく、ゲーム機というよりはまさしくパソコンといった装備。その他の性能も、PS2をはるかに凌駕するスペックを誇っていた(らしい)。

誰もがノーマークだったSONYがゲーム業界に参入して圧勝したように、波乱を巻き起こすのか?とも思われたが、間もなくその存在自体が風前の灯のようになってしまう。参入ソフトハウスが少なく、ユーザーに対して圧倒的にソフトの選択肢を欠いてしまった。その少ない選択肢の中に魅力的なソフトがあったのかと言えば、真面目に100本も売れなかったソフトもあるような状態。さらに発売直後の「ディスクに傷が付く不具合」のせいで、ユーザーの抱く印象を徹底的に悪くしたことも大きな敗因。結果的に、敗れていった幾多のハードと同様、一部のコアユーザーにしか評価されなかった。

発売時は34800円だったが、下げに下げた最終価格は16800円。
スワンクリスタル
(バンダイ)
2002年7月12日発売
ワンダースワンカラーで不評だった液晶を改良し、「より画面が見やすくなったワンダースワン!」をウリとして、7800円で発売。しかし、2003年2月にバンダイは、この現行機種の需要に対応(受注生産)する以外は、ゲームハードから撤退すると発表した。それでもクリスタル単独で20万台売れたらしい。

バンダイの自社ハード再来の日は来るのか?
2003年・圧倒的なPS2の強さに立ち向かう者たち
ゲームボーイアドバンスSP
(任天堂)
2003年2月14日発売
2003年2月発売の、ゲームボーイアドバンス高級モデル。当初の価格は12500円だったが、後発機NINTENDO DSの価格が15000円となったことから改定し、新価格9800円となった。

折りたたみ式の本体、リチウムイオン充電池の採用など、従来型とは見た目・内容ともに大幅に変化している。発売と同時に売り切れ続出で、ファミコンカラーも人気。もちろん従来型のアドバンスも並行して販売されるので、自分に合った方をチョイスできる。
N-Gage(エヌゲージ)
(ノキア)
2003年2月発売

なんと、ここにきて新たな携帯ハード登場!通信機器メーカー・ノキア(フィンランド)が、携帯電話と携帯ゲーム機、MP3プレイヤーを融合したハード「N-Gage」を2003年2月に発売した。ただし、携帯電話部分の規格が日本と海外では異なるため、日本国内で電話としては使用できず、正式な店頭販売はされていない。ネットなどで購入はできるが、ゲーム機としてどうなのか?酷評ばかりを目にするが。

まず、ダメハード定番の要因「ソフトの不足」は当然として、ソフトを入れ換える際には本体裏のケースを開け、バッテリーを取り出さなければならない。「トゥームレイダー」など既存タイトルの移植が多く、独自性がない、など。ゲーム機として、日本のゲーマーにはまず無視されている存在。
SONY PSX
(SONY)
2003年12月13日発売
いよいよ来た、プレステの次世代機種!ではなく、PS2を核としてハードディスクビデオレコーダー、DVDレコーダーなどを装備した家庭用複合AV家電。ビデオレコーダーにもれなくPS2がついてますよ……といった感覚。発売もSCEからではなく、SONY扱いとなる。ハードディスク容量の異なる2タイプが発売され、250GBで98000円。リモコンは付属するが、ゲーム用コントローラーは別売りという何とも微妙な位置付けの製品。

2005年にはPSPとの連携を考慮してマイナーチェンジされた。
2004年・次世代機の行方は?新ハードはあるのか?
N-Gage QD
(ノキア)
2004年5月26日発売
さんざんな売れ行きで、目標販売数にはるか及ばないノキアのN-Gage。そしてノキアがゲーム機能に特化してリリースしたのがこの廉価版機種、「QD」。酷評された点を改善しての再挑戦となるが、はたしてどうなるか。XHTMLブラウザや電子メール機能も搭載しており、PDAのようなマシンである。
PlayStation 2
(SCPH-70000)

(SCE)
2004年11月3日発売
オリジナルのPS2よりもはるかに薄く、小型化した新型のプレイステーション2、SCPH-70000CB。価格は19800円。フロントローディングだったオリジナルに対し、新型はトップローディングとなった。縦置きスタンドはオリジナルのものが使えず、専用のスタンドが発売される。
ニンテンドーDS
(任天堂)
2004年12月2日発売
ゲームウォッチを彷彿とさせるダブルディスプレイを採用した、任天堂の新型携帯ゲーム機。「異質な体験」を主眼に開発されており、ダブルディスプレイやタッチセンサーによる仕掛けは誰の目にも真新しく、特にライトユーザーに広く普及した。価格は15000円。

後のLiteやDSiともに、間違いなく現在の国民的携帯ゲーム機である。特に子供や女性、年配の方々にとっては「ゲーム=DS」といっても過言ではなく、「携帯音楽プレーヤー=ウォークマン」ぐらい定着している。かつてゲームをなんでも「ファミコン」と呼んだおばちゃんがいたように、ゲームが「ディーエス」と呼ばれる日も遠くはないのかも。

ソフトの挿し込み口を2つ備え、ひとつはDS用ソフト、もうひとつはゲームボーイカートリッジが使用可能。ただしDS発売後も、ゲームボーイアドバンス本体は継続して販売された。
PSP
(SCE)
2004年12月12日発売
2003年5月13日にSCEが突然発表を行なった携帯ゲーム機。任天堂の独占状態となっている携帯ゲーム市場に風穴を開けるか?!かつての家庭用ハードのような「下克上」が再現されるのか?価格は20790円(発売当時)。携帯機にして、潜在スペックは「PS2並み」とまで言われている。細かいところを検証すれば別だが、少なくとも初代プレステは軽く凌駕しているだろう。

メディアは独自規格「UMD(ユニバーサル・メディア・ディスク)」を使用。ゲームはもちろん、映画・音楽も供給される。映像を外部に出力させることはできない。データのセーブにはメモリースティックを使用する。2005年には新色もリリースされた。

国民的に普及したNDSに比べ、ややマニアック・男の子向けといった感じが否めないPSPではあるが、順調にユーザーを獲得している。「モンスターハンター」のヒットによって女性にも売れた。皮肉なのは、PSP自身が親分のPS3を脅かしている可能性が否定できないところ。「ゲームってこれでじゅうぶんじゃね?持ち歩けるし」と思われてしまうと、据え置き機は売れないのである。
2005年・各社が次世代機発表、三つ巴の戦い、再び。
ゲームボーイミクロ
(任天堂)
2005年9月13日発売
ゲームボーイを小型軽量化したマイナーチェンジ機種。輝度調節可能なバックライト付きTFT液晶を採用、画面の見やすさをウリにしている。フェイスプレートの換装で「着せ替え」できるあたりは時代のニーズか。価格は12000円で、小型ながらオリジナルのアドバンスよりも高いのはバックライト液晶とメタリックボディのコストか。筆者としてはここまで画面が小さいのはどうも・・・。

なお、2005年は「スーパーマリオ20周年」。ミクロ発売と同時に、限定生産だった「ファミコンミニ」の「スーパーマリオブラザーズ」が再販される。
Xbox 360
(マイクロソフト)
2005年12月10日発売
2005年5月にマイクロソフトが発表したニューハード。いわゆる「次世代機」の先駆けとなった。コントローラーは標準でワイヤレスである。現行機のLANに加え、IEEE1394端子を追加し、さらなるネットワーク機能の強化を図っている。HDD20GB、メモリ512MB、DVD-ROMドライブ搭載。現行機とのソフト互換についてはエミュレーションによって一部対応する(全タイトルの保証はされていない)。

いろいろ大物クリエイターの参加も発表され、人気タイトルの続編も獲得、もしかするともしかするかも?と言われたが、ロンチタイトルの延期もあってスタートダッシュは完全にコケた。新ハードとしての敵は据え置きハードではなく、携帯機のDSだったのだ。

また、前身Xboxにおける「ディスクに傷が付く」のような、ネガティヴイメージももれなくつきまとった。「レッドリング」に代表される、「めちゃくちゃ故障しやすい」というのがそれ。そのたびに交換だの回収だの無償修理だのしてたら、ソフトうんぬん以前に儲かるわけありません。金持ちの道楽と言われてもフォローできないっス。
ファントム
(Infinium Labs)
2005年?
一度は2004年11月18日発売とアナウンスされた海外製ハード「ファントム」。諸々のトラブルを理由に2005年3月に延期され、さらにその後どうなった?ちなみにもともとは2003年末に発売と言われていた。

その名前は「ナゾの新ハード」として、既に何度も耳にしている人も多いだろう。おさらいしておくと、ファントムはネット接続を前提にしたハード。CD/DVDドライブのようなリムーバブルドライブはなく、ソフトはWebからダウンロードして本体のHDDに保存する形式をとる。基本的にはPCゲームを遊ぶための端末という位置付けのようだ。本体は2年間契約でユーザーにレンタル提供すると発表されていたが、2005年には2万〜3万円での発売に変更すると訂正された。

その後まったく音沙汰がなくなり、今では「なかったこと」になってるっぽい。検索したところで最新ニュースも出てこない。つまり、2005年に出るかもしれなかった「幻のゲーム機」なのだ。
2006年・いよいよ姿を現す、強き者。最後に笑うのは、誰だ。
ニンテンドーDS Lite
(任天堂)
2006年3月2日発売
「ニンテンドーDS」の機能はそのままに、さらに薄型・軽量化を実現した上位モデル。画面の輝度調整についてもさらに使い勝手を向上させている。各種インターフェイスやGBAソフトの互換など、基本性能は一切省略されていない。16800円。事実上、2005年から2007年にかけてのゲーム機の「王者」は、このDS Liteに他ならないだろう。
PLAYSTATION 3
(SCE)
2006年11月11日発売
PS3
ついに発売された、次世代機戦争の目玉。PS1、PS2のソフトも当然互換を実現し、勝利は確約されたも同然?しかし、発売時期ではXbox360に大きく遅れをとり、また、高すぎる本体価格や目玉ソフトの不在などでユーザーを逃し、現在王座をWiiに明け渡している状態。価格の面でどうしようもなく不利な戦いを強いられていることから、コストダウンのために2007年、PS2ソフトの互換を廃した新モデルを投入した。

本体はやはり縦置き・横置きとも可能。天板が湾曲しているデザインは賛否両論(上にモノが置けない)。USBをはじめとする端子を数多く備えるが、従来のコントローラーやメモリーカード差込口はない(メモカはオプションにて対応)。コントローラーは形状を一新、さらにワイヤレス化し、角度や速度を検地、新たなインターフェイスの標準となるか。
Wii(ウィー)
(任天堂)
2006年12月2日発売
Wii
開発コード「REVOLUTION」。Xbox360やPLAYSTATION 3に並ぶ、任天堂次世代機。ライバルと比べてひときわ小型の本体が特徴。メディアには12cmの独自企画光ディスクを用いる。また、ゲームキューブの8cmディスクとも互換。さらにダウンロードサービスを利用することで、ファミコン・スーファミ・NINTENDO 64ほかのタイトルもプレイ可能!まさしく、ゲームの歴史が集うマシンである。そのまったく新しいコントローラーで非ゲーマー層の興味も誘い、任天堂ハードとしてSFC以来の据え置きハードナンバーワンに返り咲く。

が、ソフトの大ヒットはマリオ関連やFit、Sportsといったものばかりで他に元気がなく、魅力あるソフトの不足感が拭えない点も。同世代機で唯一、HDに対応していないのも残念。Wiiのコンセプト的には不要であろうが、世の流れは「地デジ化、ハイビジョン化」なので・・・。
2007年・王座奪還。猛き者もついには滅びぬ、盛者必衰の理。
PSP-2000
(SCE)
2007年9月20日発売
本体のスリム化・軽量化に加え、映像出力の装備やワンセグ放送への対応など時代のニーズを取り込んだ新型のPSP。それ以外には大きな違いはないが、これが手に馴染んでしまうと従来のPSPがえらい重く・大きく感じてしまうだろう。ただ、イヤホン端子の形状まで変更し、従来のものが使用できないあたりはソニーらしいというか。任天堂だったら間違いなく揃えてくるだろうに。おかげでゲーム売り場では、新・旧それぞれの機種専用のオプションが混沌としている。
Xbox 360 エリート
(マイクロソフト)
2007年10月11日発売
Wiiが圧勝、PS3が苦戦と次世代ゲーム機戦争が収束しつつある頃、「ボクのことも忘れないで」という形でわりとひっそりと発売された、Xbox 360の上位機種。HDD増量、HDMI端子の標準装備など、コアユーザーを意識したスペックになっている。

ただ、世間一般ではその存在すら知られていないかもしれない。ゲームと言えばDS、そこにWiiが定着し始めたという状況では、「Xboxってなに?」というのが実際のところだろう。はっきり言って今の国内市場では、PS3とXbox 360の存在感はほぼ互角なのだ。どちらもライトユーザーにとっては「あってもなくてもいい機械」。
2008年・主戦場は携帯機へ?据え置き機はいずれもパッとせず。
PSP-3000
(SCE)
2008年10月16日発売
軽量化や高画質化をさらに推し進め、外部映像出力をより手軽に、実用的なものに改良したモデル。各部ボタン位置・形状のマイナーチェンジが行われたほか、内蔵マイクも搭載した。「モンハン」人気も手伝って売れ行きは好調、発売当初は転売価格が異常なまでに高騰したのも古き良き思い出。良くない!
ニンテンドーDSi
(任天堂)
2008年11月1日発売
読みは「ディーエス・アイ」。NDSのマイナーチェンジモデルで、本体にカメラ機能を追加したほか、アップデートが行われている。逆に削られた機能もあり、NDSのウリであったGBA互換はなくなった。なお、ACアダプターに以前のNDSとの互換性がなくなったのは任天堂らしからぬ仕様ではなかろうか?
2009年・新ハードはいずれもマイナーチェンジのみ。「FFXIII」がPS3をどこまで押すか?
薄型PS3 CECH-2000A
(SCE)
2009年9月3日発売
噂や情報リークが先行する形で、発表・発売がなされた薄型PS3。HDD容量は、それまで一部限定モデルにしかなかった120GBを標準搭載。前モデルと比べ2/3の薄型化・軽量化を実現し、冷却効率を見直すことで静音性能も格段にアップした。価格も下がり、ようやく土俵に立てたという感もある。DVDアップコンバート機能も備えた、安価なBDプレーヤーとして見ても魅力的な製品と言える……って、それでは初期のPS2と変わらないのだが。

個人的には前モデルの120G限定版購入直後のリークだったこともあって、かなりショッキングだった。待てばよかった・・・。
PSP go
(SCE)
2009年11月1日発売
発表前は「PSP2」とか「PSP-4000」と噂されていた製品、発表されてみれば「PSP go」というなんとも言えない名称になり、現行PSPとはベクトルの異なる製品であると判明した。従来機種に比べて約半分の小型化・軽量化を実現。最大の特色はこれまで主要メディアだったUMDのスロットを廃止、ソフトウェア供給をダウンロードに完全特化した。本体に16GBのメモリーを搭載。これまでのUMDソフトに関しては変換サービスを用意し、PSP goリリース後の一部ソフトはUMDとダウンロード両方の形で発売される。
ニンテンドーDSi LL
(任天堂)
2009年11月21日発売
「PSP go」の対抗馬を出さなければならない状況に焦ったのだろうか、DSi発売後およそ1年にして、マイナーチェンジバージョンの発売。最大のウリは従来機種より大幅に大型化された画面と視野角の向上であるが、当然のことながら本体も大きくなっているわけで、小型化・軽量化をよしとする世の流れには逆行する形である。画面は「大きく」なり「見やすく」はなっているが、画質そのものが向上しているわけではない。バッテリー容量が増え電池の「もち」が多少良くなっている改善点もあるが、基本はDSiのままであり、買い替え需要を喚起するかは微妙。ご年配の方には喜ばれそうである。
2010年・これといった新ハードのない年、しかし新型Xbox360はまずまずの好評。
Xbox 360 250GB
(マイクロソフト)
2010年6月24日発売
Xbox 360の新型モデルで、本体カラーを光沢のあるピアノブラックとし、まずは見た目のイメージを刷新。小型化・軽量化はもちろんのこと、前モデルと比べて静音化も達成している。本体HDDを250GBに増量し、有線LANのほか802.11 b/g/n WiFiを内蔵。当然のことながらHDMI端子も標準装備し、価格は29800円(これに伴い、旧モデルは値下げされている)。「Xbox 360 S」と呼称されることもある。

次第に充実してきたソフトのラインナップもあって、見る限り新型に対する反応は上々。しかし、依然「買ってすぐ壊れた」という声も散見されてもいる。
2011年・携帯ゲーム機戦争が再び?先陣は任天堂、さて、SONYのPSP2は?
NINTENDO 3DS
(任天堂)
2011年2月26日発売

任天堂のゲーム機革命は終わらない。今度は「DS」を「3D(スリーディー)」に。裸眼(特殊な眼鏡などを必要としない)の状態で、立体映像によって描かれるゲームグラフィックを体験できる、驚愕のマシンである。下画面は従来の機種と同様にタッチパネル、上画面が3Dスクリーンとなる。また、操作デバイスとして、十字キーのほかにスライドパッドを採用した。さらに3Dカメラを搭載し、手軽に3D写真が撮影できたりも。

他にもゲームソフトを起動していなくとも「すれちがい通信」が可能だったり(他のゲームをしながらすれ違いもできる)、新たに「いつのまに通信」機能を盛り込むなど、従来のNDSから飛躍的な進化を遂げている。バーチャルコンソールを利用し、ゲームボーイやゲームボーイカラーのソフトをプレイすることも可能になるようだ。当初の本体価格は25000円だったが、ソフトの不足もあり出だしで苦戦したことから、とにかく普及を優先すべきとの考えで15000円に改定。2011年の年末商戦時期に待望の「マリオ」、そして「モンハン」が出たことで本体は飛ぶように売れたものの、一台売れるたびに5千円の赤字が出ると言われており、ハードウェアビジネスとしては依然厳しい状態である。
Playstation Vita
(SCE)
2011年12月17日発売

PS VITA
SONY陣営が擁する、PSPの次世代機にあたるニューモデル。略称はPS Vita(ヴィータ)。いわゆる「PSP2」と言われていたものだ。ディスプレイには有機ELを採用(携帯ゲーム機では初)。左右に計2本のアナログスティックを設け、背面にタッチパネルを有するなど、あらゆる点でPSPのグレードアップ版と言える機体になっている。スペックについてももちろん向上しており、搭載メモリは単純比較でPS3をも上回るほど。一方でこれまで据え置き・携帯機ともに独自のCPU開発にこだわってきたが、Vitaでは既存の製品を採用していることから、主にコストの面で大きく方向転換したハードとも言える。通信機能についてはWi-Fiだけに対応したもの、Wi-Fiと3G回線に対応したものの2モデルがあり、価格も異なる。

ソフトは独自企画のPS Vitaカード、もしくはダウンロードデータでの供給。UMDスロットはなく、パッケージ版のPSPソフトは使用できないが、ダウンロード版が提供されているゲームならプレイ可能。しかし、発売直後はソフトが不足し、かつ初期不良(と思しき挙動)についての情報が発売と同時にネットに溢れたこともあってか買い控えが起こり、期待されたほどの販売数は達成できず、現状は苦戦していると言わざるを得ない。キラーソフトの登場はあるのか、それによってどのように普及するかに注目だ。
2012年・任天堂がWii Uを発売予定。そして噂される新Xbox。SONYはどう出る?
Wii U(ウィー ユー)
(任天堂)
2012年12月発売予定?
任天堂が2012年年末に発売を予定している次世代機。基本的にはWiiの後継機種ということになる。コントローラーにディスプレイを搭載し、テレビ画面とコントローラーとのデュアルディスプレイ環境を提供。ただコントローラーのコスト(価格)が高くなるため、複数のユーザーが同時に遊ぶ場合には現行のWiiリモコンも併用できる。また、任天堂ハードとしては初めて、そしてようやくHDに対応した。ただしDVDやブルーレイの再生機能は持たせないとのこと(それらを再生できるようにするには、特許料が必要となりコストが上がるため)。

ソフトはWii U専用ソフトのほか、現行Wiiのソフトもプレイできるが、その際にアップスケーリングなどは行われない。一方、現行Wiiで実装されていたゲームキューブソフトの互換は廃される。
ボツハード
Jungle
(パナソニック)

2010年10月6日にその存在が明るみに出た、パナソニックが進めていた新携帯ゲーム機「ジャングル」と、そのプロジェクト。ネット接続を前提として、オンラインゲームに特化したものになるものだったようで、発売されていたとしても、パッケージソフトがメインであるNDSやPSPとは性質が異なることから、棲み分けはなされたものと思われる。発売時期も含めた詳細な情報は明らかにされず、日本国内で発売されるかどうかもアナウンスされていなかったが、2011年3月にプロジェクトの中止が発表。理由は「環境の変化と、パナソニックの戦略に合致しなくなった」ためであるとのこと。
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