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すぎやまこういち交響組曲「ドラゴンクエストVI 幻の大地」(SBM盤) | |||
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「ドラゴンクエストVI」から、オーケストラバージョンの演奏をそれまでのNHK交響楽団からロンドンフィルハーモニー管弦楽団に変更したすぎやまこういち氏。1997年にはそのロンドンフィルの演奏で過去作を再演奏し、2枚のベスト盤としてリリースした(ロト編・天空編)。2000年には全シリーズのロンドンフィル盤リリースを開始、過去未演奏・未録音だった曲を追加し、SBM処理を施したものが発売された。その一貫として発売されたのがこのSBM盤「ドラクエVI」である。ただし、「VI」は当初からロンフィル演奏だったため追加・変更曲はなく、交響組曲に関しては95年のスーファミ版サントラと収録内容に違いはない。異なるのはSBM処理されていること、そして「魔物出現」と「魔王との対決」が別トラックに分離されたこと、ゲーム音源が割愛されたことの3点。ゲーム音源も欲するのであれば95年盤が必須だが、オーケストラだけを求めるのならこちらが入手しやすいぶんオススメ。 ソニーミュージックエンタテインメント(アニプレックス) SVWC 7066 2000年 JASRAC表記:あり |
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楽曲解説はスーファミ版サントラのレビューをもとに作成しています。 |
01 | 序曲のマーチ Overture |
まずは「ドラクエ」シリーズおなじみの「序曲のマーチ」。ちなみに天空編では「IV」が「序曲」、「V」と「VI」では「序曲のマーチ」という表記になっています。「IV」からはイントロのファンファーレが変わり、「V」からは対旋律が加わったりと新作ごとにマイナーチェンジしてきた「序曲」ですが、「VI」では特に目新しい追加要素はありません。また、これまで偶数作品(「II」・「IV」)ではいわゆる「3連ベース」のアレンジがなされてきましたが、同じく偶数作品である今回の「VI」は3連ベースではありません。演奏のうえでは主題のリピートが省かれ、1分23秒と短くまとまっています。ゲーム音源バージョンと同じ構成になっているわけですね。 時期的にはロンフィルが初めて「ドラクエ」の楽曲を演奏したのは90年の「IV」ポニーキャニオン盤で、続いて94年にスーファミ版「I&II」がリリースされています。「VI」の交響組曲はそろそろロンフィルも「ドラクエ」の楽曲に馴染んできた頃の演奏で、すぎやま氏とのコミュニケーションも円滑に進んだもよう。N響盤が存在せず比較対象がないものの、過去のロンフィル盤と比べても完成度の高い演奏になっていると思います。 ゲーム中ではオープニングタイトルとエンディングの2回、流れます。 |
02 | 王宮にて At the Palace |
ゲームでは主にお城で流れる王宮BGMがこちら。これまで「ドラクエの城」といったら弦楽のイメージだったのですが、「V」ではそのイメージを保ちつつもトランペットを主役にもってきていました。以後のシリーズはそういった形でいくのかな、という予想もありましたが、「VI」ではシンプルな弦楽に戻っているのは聴いていただければわかりますね。 「ドラクエ」のお城における「弦楽」は荘厳、優雅といった曲調が優先されてきたと思うのですが、本作では作品全体に流れる悲しげな雰囲気のせいか、お城の音楽もどことなく憂いがあります。そのため、事件や悲しいイベントが起こりがちな本作のお城において、どんな場面に流れていても違和感がありません。もしこれが単に優雅なだけの楽曲だったら、イベントのたびに曲を変えなければならなくなってしまうでしょう。もちろん従来の優雅さも忘れられていないので、通常のBGMとしてもまったく邪魔をすることがありません。このように相反する要素を1曲に内包させているあたり、「うまいなあ」と思わされてしまいます。 「ドラクエVI」はゲーム音源のクオリティも非常に高いものでしたが、ロンフィルによるオーケストラバージョンはそれを補完して余りある演奏。ゲームでの冒険の日々が思い出される郷愁感もあり、この音でゲームをしていたかのような錯覚を覚えます。粛々としたストリングスは一糸乱れぬまとまりと空間的な拡がりを持っており、ロンフィル盤でよく指摘される「不揃いの縦の線」はまったくありません。とても上品な演奏になっています。 |
03 | 木漏れ日の中で〜 ハッピーハミング〜 ぬくもりの里に〜 フォークダンス〜 木漏れ日の中で In the Town〜 Happy Humming〜 Inviting Village〜 Folk Dance〜 In the Town |
このトラックは街関係の組曲ですね。最初の「木漏れ日の中で」は、ゲーム中ではほとんどの街で耳にする「VI」で最も耳馴染みのある曲であるほか、そのメロディは後に続く「ハッピーハミング」や「フォークダンス」の基礎として印象のあるものになっています。跳ね回るようなピッコロのメロディがなんとも楽しげで、活き活きと動き回る人々の生活のようすを感じさせます。そこかしこで子供が駆け回っているイメージ。世界は魔王の影に脅かされているのですが、それでも人は自分の人生を精一杯生きなければなりません。「辛いこともあるけど、それでも一生懸命生きなければならないんだよ」というメッセージを、「ドラクエVI」というゲームから感じるのは筆者だけでしょうか?どんな事情があっても、困難な状況があっても、自分の人生を諦めてはいけない・・・諦めてしまった人の姿が、本作の「はざまの世界」では描かれているのです。全体的に暗めのトーンに仕上がっている本作において街の曲がこんなにも楽しげなのは、そんなメッセージが込められているからではないでしょうか? 1分18秒からは主にカジノで流れる「ハッピーハミング」。「ドラクエ」では「カジノの曲は街の曲のアレンジである」という伝統がありますが、もちろんこの曲も「木漏れ日の中で」をビックバンドジャズ風にアレンジしたものです。すぎやま氏のアレンジャーとしての技能の高さをこれでもかと感じさせてくれますね。ゲーム音源ではボーカリーズが歌う独特のアレンジでしたが、オーケストラバージョンはお聴きの通り正統派なビッグバンドジャズになっています。こちらでは金管群がユーモラスに「歌って」おり、そこから感じる楽しさ、人々の喧騒は共通。およそクラシックらしからぬロンドンフィルの演奏を堪能できます。 2分57秒からは「ぬくもりの里に」。このトラックで唯一「木漏れ日アレンジ」ではない曲で、ゲームでは小さな建物などで使われていた、シリーズでいうところの「ほこら」的扱いをされているものです。本作「VI」では井戸というフィーチャーがあるため、そういった小さな建造物がさらに増えています。しかし、教会には専用の曲が用意されており、シリーズでおなじみの「神聖な場所としてのほこら」といった意味合いが薄れました。そんな本作で、従来の「ほこら」的用途で使われているのがこの「ぬくもりの里に」です。「教会」という雰囲気を表現する必要がないため、従来のシリーズのような「神聖さ」はなくなり、旅の経過点といったようなイメージが重視されています。そのおかげか、どちらかと言うとフィールド音楽のような感じに仕上がっていると思えます。この曲がここに組み込まれていることで「街の変奏なのでは?」と言う人もいるようですが、これを変奏と言うのは無理がありますね。まったく別の曲だと考えてよいのではないでしょうか。オーケストラバージョンは木管を基調とした素朴なアレンジで、リピートは清楚なストリングスによる心安らぐ演奏がされています。街組曲に組み込んでも違和感のない仕上がり。 5分15秒からは再び「木漏れ日の中で」をアレンジした「フォークダンス」。ライフコッドの村祭りでの踊りなどで使われている曲です。「VI」の世界ではフォークダンスがブームなのか、レイドックの城でも宴のダンスシーンは必ず「フォークダンス」が使われています。原曲(ゲーム音源)は「木漏れ日の中で」と大きく差別化を図った独特の音源によるものでしたが、オーケストラバージョンは木管(クラリネット)+弦の編成で、「木漏れ日の中で・ワルツバージョン」といった感じ。フォークダンスっぽくはなくなっていますが、イメージは壊していません。これならお城で流れていてもおかしくなさそうですよね。 6分1秒からはもう一度「木漏れ日の中で」でシメ。さて、この組曲の特徴はなんと言っても、各曲の繋ぎ目に「木漏れ日の中で」の一部を挟み込むことで違和感を解消していること。その中で微妙に転調を施し、調の異なる曲どうしをスムーズに繋げているのです。それぞれが「木漏れ日の中で」のアレンジであるゆえの統一感も生まれ、組曲として非常に秀逸なものになっています。 |
04 | さすらいのテーマ〜 静寂に漂う〜 もう一つの世界 Through the Fields〜 Wandering through the Silence〜 Another World |
フィールドBG組曲です。「さすらいのテーマ」は下の世界(現実世界)のフィールドで流れるもので、フィールドBGMの基礎となっているものです。徹底的に場面ごとのモチーフの統一を意識した本作。ダンジョンや戦闘は「悪のモチーフ」、人々の生活の場は「木漏れ日の中で」を核としているのと同じく、この曲はパーティの「旅のモチーフ」となっています。上の世界のフィールドBGである「もう一つの世界」、そして海底のBGである「静寂に漂う」にこのメロディを使用し、イメージの統一を図っています。同時に楽曲の印象も高めているのです。管が「パッ・パッ・パッ・パッ」と淡々としたリズムの役割を担い、そのうえでブラス群が高らかにメロディを歌い上げます。ストリングスはこれを追いかける形で対旋律を奏でます。これによって単に淡々とした楽曲ではなくなり、次へ次へと移り変わっていくような「流れ」が生まれています。次の目的地を目指してひたすら前へ歩み続けるパーティに寄り添うかのような演奏です。 マーメイドハープを入手すると、主人公たちの船は海底を探索できるようになります。海底を船で進む間に流れるのが、1分48秒からの「静寂に漂う」。「さすらいのテーマ」を少ない音数でアレンジした曲で、ここでもすぎやま氏のアレンジの妙味を堪能できるでしょう。音の隙間が海の底の静寂を表現しています。ピチカートストリングスがまるで泡音のよう。メインを務めるのがファゴットというのも面白いですね。右側で鳴っているミュートトランペットによる「ホワン」という音も味付けとして楽しい雰囲気を生み出しています。どことなくコミカルに聞こえるのはコイツのせいです(笑)。 3分17秒からは上の世界(夢の世界)におけるフィールド音楽「もう一つの世界」。基本的には「さすらいのテーマ」をゆっくりにしたアレンジバージョンですね。さきほど「さすらいのテーマ」をフィールドBGMの基礎と書きましたが、実はゲーム内では「もう一つの世界」の方を先に耳にすることになります。オーケストラバージョンでは「さすらいのテーマ」よりも起伏のある壮大なアレンジがなされており、組曲としてリプライズ的な役割も持たされているようです。 |
05 | エーゲ海に船出して Ocean Waves |
船で海上を航行中に流れる「エーゲ海に船出して」。「エーゲ海にふなでして」ですよ。「ふねだして」じゃありません。たまに勘違いしてる人がいるので、念のため。一部では「ドラクエ」の船BGM中いちばんの名曲、と絶賛されているこの曲、「IV」「V」と続いてきた壮大な海上BGの完成形とも言えるもので、スーパーファミコンによって可能となった展開の豊かさと表現力は、ゲーム音源の段階で既に組曲としての骨格を成していました。 ゲーム音源がかようにクオリティの高いものになってくると、ゲームと交響組曲の関係も以前とは異なるものになってきます。ファミコン時代はゲーム音源の表現力が低かったため、「ゲーム音源と交響組曲はあくまで別のもの」と捉えられており、ユーザーはゲーム音源からそれぞれの交響組曲を思い描き、想像力を膨らませていました。それに対してすぎやまこういち氏からひとつの回答として提示されたのがレコードだったのです。それがスーパーファミコンになると、音色とパートの基本的な骨組みはゲーム音源で既に示されていますから、より完成形に近い組曲を想像できるようになりました。即ち交響組曲はファミコン時代の「ゲーム音源とは別もの」という存在から、「ゲーム音源の豪華補完バージョン」という位置付けに変化したのです。 もともと展開に富んだ楽曲だったのですが、オーケストラバージョンはたっぷりと感情を盛り込んだ起伏のある演奏になっており、決して二度とは同じ表情を見せない海の様子を描ききっています。時におだやかに、時に荒れ狂う波を感じさせる構成は、主人公(そしてプレイヤー)の人生をも投影しているかのようで、聴く者をなんともたまらない気持ちにさせるでしょう。単に垂れ流されるだけのいわゆるBGMではなく、「考える音楽」だと言っても過言ではありません。弦、管、ハープが渾然一体となってリスナーに問いかけてくる、そんな曲です。「壮大」「雄大」などというお決まりの誉め言葉ではとても語りきれません。ゲーム全体に漂う独特の雰囲気にバッチリはまっています。 よく「ドラクエVIは暗い」と言われますが、シリーズのどの作品と比べても、確かに本作は「暗い」と思われます。しかしその暗さは単に「世界が危ない」といった恐怖からくるものではなく、「自分探し」という大テーマと、人間の内面をチラリと覗かせるイベントからくるものでしょう。そのイベントも悲しいものが多いですし、かなり「大人の」シナリオになっていると思います。それだけにユーザーには「暗さ」だけが増幅されて印象付けられているのでしょうが、だからこそ子供の頃にだけプレイして本作を敬遠している人には、大人になってから再プレイしてほしい作品でもあります。子供の頃とはまた違った印象を持てると思いますよ。残念ながら筆者は発売時すでに20代でしたが、それでも30代になってからのプレイではまた違った印象を持てました。 |
06 | 空飛ぶベッド Flying Bed |
「IV」は気球、「V」で魔法のじゅうたんときて、あ、「VI」もじゅうたんはありますね。しかし本作の隠し玉はなんと完全に予想外の「空飛ぶベッド」。夢の世界の船はひょうたん島ですし、だんだんキテレツなことになってきてますね、乗り物。ということで、空飛ぶベッドでスイスイと飛行中している時に流れるのがこの曲です。魔法のじゅうたんに乗る際に流れる曲としても流用されています。 「ドラクエ」では珍しく、木琴(シロフォン)が主役を張る曲です。もちろんゲーム音源もそういうアレンジで、交響組曲になっても楽曲のイメージ自体はほとんど変わっていません。軽快に跳ねるような木琴のトレモロは、敵にエンカウントせずスイスイと移動する快適さをプレイヤーに感じさせてくれます。これについてはすぎやま氏の言葉を借りるのが最もわかりやすいでしょう。「敵と会わずにずっと流れているからねえ、快適じゃなきゃ」。堀井氏もお気に入りのようです。 |
07 | ペガサス〜 精霊の冠 Pegasus〜 Saint's Wreath |
哀愁系トラック。「ペガサス」はゲーム終盤、天馬のたづな入手後に乗ることができるようになる「空飛ぶファルシオン」に乗っている間、流れる楽曲になります。どこにでも行くことができる最終的な飛行手段を手に入れれば、普通のゲームなら明るく爽快な楽曲をあてそうなところをそうしないのは「ドラクエ」ゆえ。ファルシオンが飛べるようになる頃にはゲームも終盤、メインの舞台は人間の「負の部分」をいやというほど見せられる「はざまの世界」となっているわけで、むしろこういった憂いを帯びた楽曲の方がハマるのです。しかし、ペガサスに乗ることができるようになるのは、前述の通りゲーム終盤も終盤。それまでこの曲をオアズケにするのはあまりにもったいないということで、ユーザーに「使い回し」を感じさせないよう配慮したうえで、ゲーム前半で発生するいくつかのイベントに流用しています。 楽曲を支配するのは憂いを帯びた木管のメロディ。すぎゆま氏は聞く者の心に訴えかけるような木管の使い方が抜群に上手く、特にオーボエはドラクエ音楽では定番と言っていいほど。この曲の主役は間違いなくオーボエとフルートでしょう。主題のリピートでのストリングスによる壮大な歌い上げも定番と言えば定番ですが、木管による伏線があってこそ、より聞く者の心に響き渡ってくるのです。 3分10秒からの「精霊の冠」はイベントBGM。ゲーム中では曲名通り「精霊の儀式」のイベントで使われているもの。こちらもオーボエが主役になっているため、「ペガサス」からの繋がりが実に自然です。まるでひとつの楽曲であるかのよう。イベント楽曲として作られた曲だけに遠慮がなく、オーケストラバージョンも雰囲気重視で奏でられております。静かな曲なのにすべての音が主張に満ちており、装飾のないアレンジです。ロンフィルの演奏もその意図を理解してか、一音一音にしっかりと感情を込めた名演奏となっています。 この曲も「精霊の儀式」だけではもったいないということで、後のイベントでも印象的に流用されているほか、カルベローナのBGとしても耳にすることができます。 |
08 | 悪のモチーフ〜 ムドーの城〜 戦慄のとき〜 ムドーの城 Evil World〜 Satan's Castle〜 Frightening Dungeon〜 Satan's Castle |
本作の楽曲が大きなモチーフによって貫かれているのは語り尽くされた感もありますが、気付かない人は気付かない仕掛けでもあります。そういう人にはこのトラックを聴き込んでいただきたい!冒頭の「悪のモチーフ」の「ターッタラター」。この音形を頭に叩き込んで、「ムドーの城」〜「戦慄のとき」を聴いてみましょう。どうです?そこかしこに「悪のモチーフ」が入っているでしょう?さらに次のトラック9や、トラック12〜14にも顕著ですね?つまり、悪を象徴するモチーフを、ダンジョンBGMや戦闘BGMにテーマ的に盛り込むことで、強大な悪の存在を印象付けるとともに楽曲の印象を高める効果にもなっているんです。 ここまで徹底してモチーフの統一が図られているのはシリーズでも珍しく、だからこそ「VI」の音楽は良くも悪くもユーザーに強く印象付けられています。「良くも」の要素は、ムドー→デスタムーアと連なる、悪しき存在の統一されたイメージ付け。すべてはバラバラに好き勝手をしている悪者ではなく、ひとつの意志のもと縦に繋がった強大な悪であるということを示しています。「悪くも」は、一部ユーザーにとっての「使い回しじゃん、手抜きじゃん」という印象付け。後者はちょっと考察が足りないかな、表面しかなぞっていないのでは?という感じで、伝わらない人には何を言っても伝わらない、ということです。 以上をふまえてトラックを聴いてみましょう。威圧的な金管が奏でる「悪のモチーフ」に続き、9秒からが「ムドーの城」。ゲーム音源では印象的なボーカリーズが用いられていましたが、オーケストラバージョンはまさに「ドラクエ」的な「城」をイメージさせる弦楽アレンジになっています。悪の巣窟でありつつも荘厳さを感じさせる「お城」のイメージはもちろん「悪のモチーフ」を積み重ねて奏でられるもので、徐々に音量が上がってくる演奏が迫りくるような緊迫感を醸し出しています。曲名通り、ムドーの城の中でもムドーが待ち構える最終フロアで流れる曲ですが、他のダンジョンへの流用もされており、たいていはボスのいるラストフロアで耳にすることになるでしょう。また、「はざまの世界」ではフィールドBGとして使われています。 1分24秒からは「戦慄のとき」。ダンジョンBGMで、ムドーの城だけに流れる専用曲です。ゲーム音源ではエコーやディレイなどの効果をふんだんに使っており、どのようにしてオーケストラ化するか非常に興味深いものでした。使われていた音色もボーカリーズ、エレピなどおよそオーケストラとはかけ離れていたものだったのですから、こりゃあ組曲には入らないだろうと思っていたのですが、甘かった。金管のタッチはそのままに、木管・ハープ・鉄琴・弦をフルに活用して原曲のニュアンスを完璧に再現しております。まいりました!というほかありません。しかもコンサートでも演奏されるのです。 コンサートと言えば、この曲の演奏で面白いのは、エコーの表現を担当するホルンをステージ袖に隠して演奏していたこと。あくまで楽音ではなく自然の現象であるエコーを担う楽器はその姿を見せず、「この音はどこから聞こえてくるんだ?」という、まさに天然のエコーのような存在感を作り出しているのです。このアイディアは誰が考えたんでしょう、グッドです。 3分1秒からは「ムドーの城」を繰り返して組曲を締めます。 |
09 | 勇気ある戦い〜 敢然と立ち向かう Brave Fight |
戦闘系組曲その1。まずは通常のザコ戦BG「勇気ある戦い」から。ゲーム音源では崎元氏によるものと思われる攻撃的なドラムが入っていましたが、オーケストラバージョンではあくまでオーケストラ然としたスネアのみに留められています。こうしたゲーム音源とオーケストラバージョンの違いは単純に興味深いだけでなく、ゲーム音源においてすぎやま氏はオーケストラのシミュレートを最優先にしているわけではない、ということを証明しています。ゲームの音楽として必要ならばポップスの楽器も使う、ということです。 ゲーム音源ではベースの刻みをイントロとしていましたが、オーケストラバージョンは新たな駆け下り系のイントロが加えられ、過去の「ドラクエ」シリーズの戦闘音楽に似た感じになっています。ちょっと懐かしいですね。管弦を駆使してベースに相当するパートが再現され、音色こそ異なるものの違和感のないリズム隊を再現。ティンパニも効果的に用いられ、ゲーム音源での独特なドラム(キック、タム)の役目を担っています。金管がバリバリと鳴り響く「悪のモチーフ」、ストリングスが危機感を高める主旋律も特に新しいことはせず、ゲームバージョンをなぞっています。一体感のあるロンフィルの演奏もまた、ゲーム音源と違和感のない「粒の揃った演奏」の再現に貢献しているのは言うまでもありません。そういったアレンジ、演奏すべてが一体となった結果、とても高いレベルでの原曲の再現が行われているわけですが、それはなにもオーケストラだけの功績ではありません。もともとのゲーム音源のクオリティが高かったからこそ、オケ化した時の再現性がより高まっているのです。 3分36秒からはムドー戦専用音楽「敢然と立ち向かう」。2分45秒からの前奏で既に主題を匂わせているのが効果的。主人公視点の曲であくまで勇ましく、そして対比するかのように挿入される「悪のモチーフ」は相対するムドーを感じさせます。ムドー戦でしか流れないため、楽曲の評価は二分されています。一方は「ムドー戦限定という希少さが曲の印象を強めている」、もう一方は「ムドー戦でしか流れないのでまったく印象に残っていない」というもの。ムドー戦はどちらかというとゲーム序盤であり、その後も「悪のモチーフ」を使った曲が頻出するため、この曲の存在が忘れられてしまうんですね。まあ確かにどちらも理解できる意見。筆者としては「ムドーの城へ向かう」と合わせて一本、という感じですね。言われてみればゲームの中で最も印象が薄い曲です。せめてゲーム終盤にもう一度ぐらい出番があれば……。 |
10 | 哀しみのとき Melancholy |
シリーズには必ず「レクイエム系」と呼ばれる楽曲があります。主人公パーティが戦闘で全滅した際に流されるものですが、「ドラクエ」では全滅しても即ゲームオーバーではなく、所持金は半分にされるもののすぐに再開できることから、多くのプレイヤーはほとんどレクイエムを聴くことがありません。しかし、レクイエムとは言えすぎやま氏にとってはそれも一生懸命に作った曲。やっぱりしっかり聴いてほしい・・・・・・氏はなんとかならないかと思案したうえ、「IV」からはレクイエム系楽曲をイベント音楽としても積極的に流用していくことにしたのです。その効果は絶大で、「IV」の「エレジー」、「V」の「高貴なるレクイエム」は全滅曲というよりも、イベントBGMとして多くのユーザーに認知され、人気曲になりました。 本作でも同様に全滅時に流れる「哀しみのとき」ですが、やはり全滅時の曲というより、悲しいイベントでの曲、という印象の方が強くなっています。しかも今回、ゲーム音源では「哀しみのとき」だけで3バージョンを用意し、シチュエーションによって微妙な使い分けをしているのです。オーケストラバージョンはバイオリンソロを中心とした、ゲーム中におけるストリングスバージョンに近いテイストで編曲されています。とは言えこの切なすぎるバイオリンの感情の込め方は、決してゲーム音源では出せない味ですね。「哀しみ」という点について徹底的に突き詰めた感のある演奏です。イントロの「エレジー」のような部分は原曲(ゲーム音源)にはなく、オーケストラバージョンで追加されたものです。 いろいろな楽器が入れ替わりながら主題を繰り返していく後半部分は、ゲーム音源の収録に漏れた「木管バージョン」の補完でしょうか。 |
11 | 奇蹟のオカリナ〜 神に祈りを Ocarina〜 The Saint |
「奇蹟のオカリナ」は、ムドーの城に向かう際にミレーユが吹くオカリナのメロディ。ここではもちろんオカリナではなく、ピッコロによって演奏されています。こういった楽器の置き換えもオケ化における興味のひとつ。「悪のモチーフ」に対して「神のモチーフ」といったところでしょうか。 14秒からはそのモチーフを拡大しひとつの楽曲にした「神に祈りを」。ゲーム中では主に教会で流れるBGMで、原曲はオルガンバージョンとストリングスバージョンの2種がありました。ロンフィルによるオーケストラバージョンはそのいずれとも雰囲気を異にするもので、木管群を中心に構成されています。徐々に重なっていくオルガンのパートを再現するかのように、オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴットが次々に現れます。1分1秒からの再現は弦で構成され、ゲームにおける「ストリングスバージョン」に近いものになっております。ゲーム音源のグレードアップバージョンとして楽しむのも可ですし、逆に「ゲーム音源もよくできているなー」との再認識もできるでしょう。 なお、「教会専用BG」が用意されたのはこの「VI」がシリーズ初なんです。これまでは街の曲がそのまま流れ続けるか、「ほこら曲」が充てられていたんですよね。 |
12 | 迷いの塔 Devil's Tower |
洞窟曲よりも塔の曲が先にくるというのは「ドラクエ」の組曲において珍しい構成ですね。「悪のモチーフ」をひたすら繰り返し展開していく、塔タイプのダンジョンで使われている曲がこちら。ゲーム音源では最大の特徴とも言えるドラムセットがあったのですが、オーケストラバージョンではもちろん省かれており、違った曲というより別アレンジ、という雰囲気があります。ドラムの有無でずいぶん印象が変わるものです。 ゲーム音源はエレピをメインにしたアレンジでしたが、ここでは木管、特にファゴットを中心にした珍しいアレンジがなされております。木管のみの編成も珍しいですね。弦すら入っていません。あとはリズムを担うパーカッション(ウッドブロック)ぐらいです。確かにオケ視点では珍しいアレンジだな、という着眼点はあるものの、原曲に比べて無難にまとまりすぎな感じはしますね。収録時間も1分30秒ちょいと短いですし、ティンパニやスネアを伴う再現があってもよかったかも。 |
13 | 暗闇にひびく足音〜 ラストダンジョン〜 暗闇にひびく足音 Dungeons〜 Last Dungeon〜 Dungeons |
洞窟系ダンジョンメドレー。もちろん骨格となっているのは「悪のモチーフ」です。組曲は「暗闇に響く足音」から幕を開けます。わかりやすい形で「悪のモチーフ」を組み込んだ典型的な楽曲で、冒頭で複数のパートが追いかけっこをする「タッタラター」が、既に「悪のモチーフ」となっています。12トラックの「迷いの塔」に対してこちらはかなり原曲重視。パートの割り振りもほぼそのままで、ゲーム音源でうすら寒い感覚をうまく表現していたトレモロのストリングスも雰囲気バッチリ。木管(オーボエ)による怪しくもどこか暖かいパートも違和感なく取り入れられており、「原曲そっくり大賞」を進呈します!いや、必ずしもオケ版がゲーム音源を再現する必要はないのですが、「ドラクエ」である以上、そして「VI」があそこまでオーケストラにこだわった音作りをしたのであれば、今度はそれをいかに忠実にオケ化するかというのもひとつのテーマじゃないかと思うんですよ。それによってゲームのファンに違和感のないものとなりますし、そこから「ゲーム音源も頑張ってるねえ」という再評価に繋がるわけで。 1分59秒あたりからはいつの間に、という感じで「ラストダンジョン」へ。曲名通り、ラストダンジョン「デスタムーア城」で流れる曲です。冒頭からいきなり「悪のモチーフ」全開で、ここまで長きに渡って張ってきた伏線がついに集束する、という感じでしょうか。「戦慄のとき」をより発展させたものとも言えそうです。やはり隙間を持たせた構成、各パートが現れては消えるという断続的な展開も共通しています。メロディがしっかりとした楽曲というよりも、あくまで劇伴としての効果を最優先したもの。原曲でボーカリーズが受け持っていたパートはそのままストリングスへ。もともとボーカリーズからストリングスへとクロスフェードするようなアレンジがされていたので、特に違和感はないです。静かで不気味な中にしばしば鳴り響く、割れそうな金管もオリジナルのニュアンスをうまく捉えてます。ゲーム音源バージョンをロンフィルの面々に聞かせる、なんてことまではしていないと思われますが……。持続する低音部の楽器群が、地響きするようなラストダンジョンの情景を巧みに描き出しています。 |
14 | 魔物出現 Monsters |
この曲は中ボス戦BGとして、ゲーム中でも多くの戦闘で耳にすることになるでしょう。アタッキーなヒットから始まる典型的な「ドラクエボス戦音楽」。フルオーケストラならではの音圧感で怒涛の幕開け、耳をつんざくようなブリブリの金管、緊迫感に満ち溢れたストリングスが強敵との戦いを盛り上げます。ゲーム音源の持つニュアンスを良い方向に、何倍にも増幅した好アレンジ&好演奏です。全体を「悪のモチーフ」で縛りながらも、「勇気ある戦い」や「敢然と立ち向かう」とはまったく別の楽曲として仕立て上げる手腕には脱帽です。ロンフィルの鬼気迫る演奏は、シリーズすべてのバトル楽曲の中でも珠玉の逸品。 |
15 | 魔王との対決 Demon Combat |
前のトラックで「戦いは終わった……」と思わせておいて、突然雄叫びをあげる「魔王との対決」が、ラスボス戦にふさわしい圧倒的な音圧で始まります。ここまでいくつもの曲で伏線を敷いてきた「悪のモチーフ」がここで完結するわけですから気合も入るというもの。ゲーム中ではデスタムーア最終形態で流れるこの曲、「魔物出現」からの繋がりは間違いなくこの最終戦を意識したものでしょう。これまでの「悪のモチーフシリーズ」のどの曲よりもそのメインモチーフを徹底的に繰り返して進行します。まさに最終決戦!ゴタク言うのはやめ、ひたすら聴き入ることにしましょう。 なお、95年に発売されたスーパーファミコン版サントラとしての交響組曲では、このトラックと前の「魔物出現」は繋がっており、同一トラックに収録されていました。このSBM盤発売に際して切り分けられたのです。組曲の意味合いとしては1トラックの方が正しいのですが、もともとちょっと隙間が空いていたので、トラックを分けたことによる弊害はないと言って良いでしょう。続けて聴くぶんには問題ありませんし、目的の曲をサーチし易いという点では、改良と言えるかも。音が繋がった組曲でそれをやられたら怒ってしまいますけどね。 そういや昔はCDに「インデックス」もありましたねえ。サブトラックというか、トラックをさらに細分化し、インデックスサーチで目的の曲にすばやく辿り着けるのがウリでした。長い曲では章ごとにインデックスを打ったり、1トラックに何曲も収録されているアニメのサントラでよく見られたのですが、最近はインデックスのあるCDもなくなりましたね。そもそも最近のCDプレイヤーからインデックスボタンが消えてますし。けっこう便利だと思うのですが、なんで廃れたんでしょう? |
16 | 時の子守唄 Eternal Lullaby |
本作「ドラクエVI」の終局を飾る曲。どこか緊張した感じの幕開け、そして哀愁漂いまくりの主題、次に続きそうな余韻を含んだコーダ、などなど単体で聴いた時には「これ本当にエンディング?」という疑問もありますが、ゲーム中で流れるものを聴けばすべて解決するでしょう。このあたり、ゲームのためのゲーム音楽として、楽曲単体ではなかなか語りきれない難しい部分ではあります。 ゲームにおいてはこの曲が流れる部分だけがエンディングではありません。「前フリ」があり、「受け」があります。具体的に「前フリ」はレイドックでバーバラが消えるシーンで、「時の子守唄」はその後で画面が暗転すると流れ始めるのです。アタマのショッキングなフレーズはクラウド城が浮かび上がるシーンで、これは主人公らと夢の世界との訣別を意味しています。作品全体を貫く重めのトーン・悲しげな雰囲気を内包するかのように、哀愁を帯びて奏でられる印象的なメロディはクリア後の余韻を味わうにピッタリで、どの「ドラクエ」シリーズとも異なる味わいをエンディングに持ち込んでいると思います。 エンディングにしては短めで、弱々しく消え入るようなコーダで「時の子守唄」は完結します。ここからがまさに「受け」。場面はクラウド城へと移り、そこからは「序曲のマーチ」が引き継ぐのです。「時の子守唄」のコーダを余韻の残るものにしてあるのは、この「序曲のマーチ」との対比を狙ったものではないでしょうか。「時の子守唄」の後に華々しい「序曲のマーチ」がパーンと鳴り響く時の気持ちよさといったら、……言葉にできません。「時の子守唄」は「序曲」の前フリだったのか、と思えてしまうほどです。もしも「時の子守唄」がジャジャジャン!と歯切れ良く終わっていたら、「序曲のマーチ」がまったく立たないでしょう。 さて、話題はガラッと変わりますが、ドラクエ音楽に興味を持っている人であれば、この「時の子守唄」がすぎやま氏の別の作品からの流用であることは既にご存知でしょう。ご存知ない方のために記しておきますと、アニメーション作品「劇場版科学忍者隊ガッチャマン」のための作曲をすぎやま氏が手掛けた際に生み出された、「時の子守唄〜レッド・インパルスのテーマ」です。「時の子守唄」というタイトルも既にこの時あったのです。ではなぜ、他の作品のために作られた曲を「ドラクエ」のエンディングに流用したのでしょうか? その答えはすぎやま氏の言葉を借りるのが最もわかりやすく、かつ真実でしょう。作品の原典こそ明かしていないものの、氏は「VI」発売時にこんなコメントをしています。「あの曲自体、実は十年くらい前からあたためてた曲なんですよ。時の子守唄、って曲なんだけれども、十数年前に書いて、なんかに使われたんだけど、ぶつ切れにされて、ろくな使いかたされなかったんで、返してもらってずーっと取ってあったの。この曲ぜひいい場面で再登場させたいってね。ドラクエVIのコンセプト見て、時の子守唄がドンピシャだった。これこそ出番だっていってね。本当に自信のあるメロディっていうのは、数年に一個ぐらいしかできないものなんですよ」……つまり、「時の子守唄」という数年にひとつの自信作が出来たのに、ガッチャマンでは(編集されたかなにかで)良い使い方をされなかった、それで終わらせるにはあまりに惜しい曲なので、権利を返してもらって暖めておいた、「ドラクエVI」のコンセプトを見た時にここぞ出番だと思った、ということですね。 筆者としてはすぎやま氏自身の曲であることは間違いないし、作品に合っていれば流用そのものはまったく気にならないのですが、やはり否定的意見を持つファンが存在するのも確かです。安易な流用=手抜き、という印象を抱くのでしょう。まあこの後「VII」「VIII」と同様の流用が続きますので、そういった意見も理解できなくはありません。「せっかくのドラクエなんだから手を抜かないで!」という、ドラクエを愛するがゆえの否定的意見であり、それを批難するつもりはないです。が、こうは考えられないでしょうか?音楽家としてのキャリアの長いすぎやま氏ですが、数百万本を売り上げる「ドラクエ」シリーズは、音楽メディア(CD)やテレビ以上に自分の音楽をたくさんの人々に聴いてもらうことのできる「場」。だからこそ、過去に作ってきた「数年に一度の自信あるマイベスト」を、ここぞというエンディングに持ってくるのではないでしょうか。まあそろそろ「数年に一度の自信ある新曲」のエンディングも聴きたいですけどね。「V」は「結婚ワルツ」が使われたためエンディング専用曲がありませんでしたし。 |
参考:スーファミ盤交響組曲(95年)とSBM盤の相違 |
1.ゲーム音源はすべてカットされ、交響組曲だけになった 2.それにともない、ディスクは1枚になった 3.単一トラックだった「魔物出現」と「魔王との対決」が分けられ、結果的に全16トラックとなった 4.SBM(スーパービットマッピング)処理が行われている 5.曲名表記の変更。組曲におけるリプライズ部分も表記に加わった 例:トラック3について、スーファミ盤では最後の「木漏れ日の中で」は表記されていなかった トラック8、トラック13も同様 6.曲名の英語表記の変更。スーファミ盤はすべて大文字だったが、SBM盤はご覧の通り 英語タイトルそのものの改題はなし 繰り返しになるが、収録されている演奏自体は95年盤と同一のもの。95年盤を持っている人は 購入の際には注意を。SBMに価値を見出せるかどうか、で判断すべし。 |