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交響組曲「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」 すぎやまこういち指揮 東京都交響楽団 |
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PS2でのリメイク版「ドラクエV」発売のタイミングでリリースされた、東京都交響楽団の演奏による「V」の楽曲を収めたCD。そのせいかよく見られる誤解として、このCDが「PS2版のサントラである」というものがある。リリース時期的に無理もないことだが、PS2版のゲーム中に流れているのは(一部をのぞいて)NHK交響楽団盤の音源である。ではこのCDは何かというと、すぎやまこういち氏の純粋な音楽的欲求によって生まれたもの。「都響の演奏が素晴らしいので、過去のシリーズの楽曲をすべて都響で再録音したい」という動機のものだ。たまたまPS2版「V」とタイミングが合ったので、これが第一弾に選ばれたというわけで、ゲーム本編との関わりは薄い。が、N響→ロンドンフィルを経て辿り着いた都響の演奏がどういうものなのか、興味は尽きない。じっくり聴いてみることにしよう。ちなみに氏の独自レーベル「SUGIレーベル」の第一弾CDでもある。ブックレットに全曲の楽譜が掲載されているのも嬉しい。なお、ドラクエ関連で唯一のコピーコントロールCDとしてもいわくつきの品だ。 2004年・Aniplex/SVWC 7201(CCCD) 2005年・Aniplex/SVWC 7313(CDDA=通常の音楽CD) 2009年・キングレコード/KICC-6304(SUGIレーベルの移籍) JASRAC表記:あり |
楽曲解説は一部、N響盤・ロンフィル盤の改変によって作成しています。 |
01 | 序曲のマーチ Overture |
もともとは「ドラクエVIII」および「PS2版ドラクエV」のゲーム発表会で行う演奏会のため、都響と出会ったすぎやまこういち氏。結果として都響の演奏はすぎやま氏が望む最高のものであったようで、氏は発表会の席で「以後ドラクエシリーズの曲を都響で録音し、CDにしたい」と発表したのです。このことはドラクエ音楽ファンの間でそうとうな話題となりました。既にN響、ロンドンフィルの演奏があるシリーズの音楽に、新たに「東京都交響楽団」という顔が加わるのです。それは即ち「リメイクで追加された新曲や未収録曲の初収録」といった楽しみにも繋がりました。 そしてPS2版「V」発売とタイミングをほぼ同じくリリースされたのが、この都響盤「V」。都響組曲第一弾であり、すぎやま氏の「SUGIレーベル」の第一弾でもあります(おまけにコピーコントロールCD第一弾……)。まずはおなじみの「序曲のマーチ」です。ロンフィル盤で割愛されていた主題のリピートが復活し、N響盤におけるアレンジに近いものになっています。 今回の録音は、マーチングスネアがかなり前に出ている、芯のある印象が強いですね。ロンフィル盤では埋もれがちだった対旋律も邪魔をしない程度に浮き立っています。N響・ロンフィルともレコーディングスタジオにおける録音でしたが、都響はホール録音されています。そのため、N響での「明瞭な楽器の輪郭」と、ロンフィルでの「ふくよかなアンビエンス」両方が程よくミックスされており、「いいとこどり」な仕上がりになっています。非常にまとまった録音で、演奏もバラつきがなくきちんと揃っています。 筆者の印象では、都響盤はドラクエ音楽ファンの間でよく言われる「音(録音)の悪いN響」「演奏がバラバラのロンフィル」といった両者の欠点(それを感じるのは人それぞれですが)をすべて補った「ドラクエV音楽CDの決定版」。これまで収録されなかった曲も追加されてますし、「ドラクエVのCDってたくさんあるけどどれがいいの?」と聴かれたら、迷わず都響盤をオススメしますね。ロンフィルのような(クラシックやオケを知らない人にとっての)敷居の高さもありませんし。 |
02 | 王宮のトランペット Castle Trumpeter |
ゲームではいわゆる「お城」という場所で流れる曲で、これまでのシリーズでは王宮音楽は弦楽主体でまとめられてきたのですが、「V」で初めて金管(トランペット)が主役となりました。しかしその印象は過去のシリーズから大きく外れることはなく、やはり全体を包み込むような美しい弦楽器が主体となっています。トランペットは言わばアクセント的な味付けとなっていますが、これまでの「ドラクエの城=弦楽」というイメージに一石を投じることに成功しています。 都響の演奏は非常に「優等生」で、スコアを丁寧になぞった聴き易いものになっています。縦の線の揃い具合はN響にひけをとらず、もしかするとこういうものって日本人的な性質なんでしょうか?ゲーム音源のオケ化、という点ではまったく違和感のない、安心して聴くことができる演奏であると言えるでしょう。 |
03 | 街角のメロディ〜 地平の彼方へ〜 カジノ都市〜 街は生きている〜 街角のメロディ Melody in an Ancient Town〜 Toward the Horizon〜 Casino〜 Lively Town〜 Melody in an Ancient Town |
街関係+フィールドのメドレーです。まず最初は「街角のメロディ」。ゲーム本編をプレイした人には妖精の世界の曲としておなじみではないでしょうか?妖精の世界のフィールドと妖精の村で、途切れることなく流れ続ける曲です。フワフワとした3拍子にのせて暖かなフルートがのびやかに歌っており、非常に心地良い曲ですよね。パーカッションのアレンジはロンフィルのものと同じで、N響とは少しだけ異なってます。 続く1分55秒からは、通常のフィールドBG「地平の彼方へ」。暗黒世界と妖精の世界をのぞくフィールドで、少年期・青年期を通して流れるものです。オーボエに導かれて始まる「心細さ」は、シリーズではもはや伝統となりつつある「寂しげなフィールド」のイメージを貫いたものでしょうか。都響の演奏はN響・ロンフィルいずれと比較してもテンポが早くなっています。タンバリンもかなり明瞭になってますね。かつての懐かしい冒険が脳裏に次々と浮かんでくる名演奏。 3分28秒でチラッと顔を出すトランペットは「宿屋」のME。N響盤でも行われていたサービスですね。そして3分33秒の「カジノ都市」へと繋がります。小刻みなピチカートと対照的にずっしりとしたバス、そして木管(クラリネット)によるメロディが、そこかしこの悲喜こもごもを表しているかのよう。この「カジノ都市」、かなり印象は変えていますが「街は生きている」のアレンジです。パーカッションとピチカートから成るリズムを構成するパートはN響に負けず劣らずしっかりと揃っており、ロンフィルにあった「ヨレ」は感じられません。非常に安定した演奏です。 4分35秒からは「街」で流れる曲「街は生きている」。フルートによる優しげ・楽しげな音色と清らかなストリングスでまとめられており、ゲーム中で安心できる場所であることをはっきりと示しています。これなどは豊かな残響と各パートのまとまりが如実で、「いいとこどり」の充実した演奏を実感できるのではないでしょうか? 6分43秒からは「街角のメロディ」をリプライズして終わります。 |
04 | 愛の旋律 Melody of Love |
N響盤、ロンフィル盤を聴き込んでいた人は「あれっ」と思うかもしれませんね。これまで、組曲の並びとしては4トラック目は「空飛ぶ絨毯〜大海原へ」だったのですが、都響盤では順番がこの「愛の旋律」と入れ替わっています。組曲というものは楽曲の並び(曲順)も重要であることは言うまでもないことですが、今回変更されたのはどういった事情でしょうね。 3トラック目の「街・フィールドメドレー」からの繋がりは「空飛ぶ絨毯〜大海原へ」の方が美しいのですが、それだと「愛の旋律」から「ダンジョンメドレー」へと繋がることになり、ギャップが目立ちます。これを入れ換えることで、曲調の繋がりのみならず、これを聴いた人の没入感を高めようとしているのではないか、と筆者は思っています。単純なトラック順の間違いかもしれませんが……ドラクエCDでは収録ミスも珍しくないので。 さて、「愛の旋律」ですが、ゲームの中では主人公(=プレイヤー)が結婚前夜、サラボナの町を歩く際に流れる曲です。イベントではここでしか流れず、ほとんど聴く機会のない曲ではあるのですが、プレイヤーの印象にはイベントともども強烈に残り、作品中でもファン人気の高い楽曲となっています。夜ということもあり、楽曲はもの静かなフルートとピチカートストリングスで始まります。そのうちに主人公の葛藤を表すかのように、壮大な弦楽セクションが挿入されて気持ちを盛り上げます。この「静」と「動」の対比もこの曲の特徴で、単なる劇伴に留まらないゆえん。独立した楽曲としてじゅうぶんな完成度で、1分39秒からのバイオリンソロも聞きどころです。このバイオリンソロは、90年に22歳の若さで都響のソロ・コンサートマスターに就任した矢部達哉氏によるもの。 |
05 | 空飛ぶ絨毯〜 大海原へ Magic Carpet〜 The Ocean |
乗り物メドレーです。まずは「まほうのじゅうたん」に乗って移動する際に流れる「空飛ぶ絨毯」から。「てんくうのベル」を手に入れ、マスタードラゴンの背中に乗って飛んでいる間も流れる曲ですね。イントロではヒラヒラヒラ〜とじゅうたんが舞い上がり軽快に飛んでいくさま、そして様々な景色に呼応してテンポが変化、時にのどかに、時に憂いを帯びる展開が聴きものです。まほうのじゅうたんと言えばアラビックなイメージもありますが、そういった音階は用いられていません。ですが、イントロ直後や1分18秒のあたりなどにはエキゾチックな音の並びが感じられます。ドラクエの乗り物は非常に多彩で、新作のたびに「今回は何がくるか」という楽しみとともに、どんな音楽になるのかという楽しみもあるわけです。 3分43秒からは船で海上を移動する際に流れる「大海原へ」。本作「V」では「IV」に続いてワルツの要素を廃し、雄大なイメージをいっそう押し進めた曲想になっています。主人公の波乱の人生を波間に投影しているかのような壮大な展開で、ドラクエシリーズの「海BG」の中でも屈指の人気を誇る名曲。都響の演奏はN響のように丁寧でありながら、ロンフィルに負けないダイナミクスも有しています。すぎやま氏自身の指揮者としてのレベルアップや楽団の持つパワーはもちろん、録音技術の進歩も無関係ではないでしょう。なにしろN響盤の録音から12年も経っているのですから。それでも曲自体の魅力はいまだ衰えず、最新作にもまったく劣りません。10年経ってもなおみずみずしい曲なんて、この世にいくつあるでしょう?流行りのヒット曲が10年後には懐メロ扱いか笑いのタネにしかならないことを考えると、ドラクエ音楽って凄いと思いませんか? |
06 | 洞窟に魔物の影が〜 死の塔〜 暗黒の世界〜 洞窟に魔物の影が Monsters in the Dungeon〜 Tower of Death〜 Dark World〜 Monsters in the Dungeon |
ダンジョン系メドレーのトラックです。最初は洞窟系ダンジョンで流れる「洞窟に魔物の影が」。ジワジワと迫り来たかと思うと消え入りそうになる、強弱の付けられたストリングスの上にオーボエのメロディが乗っています。寒々しい不気味さを醸し出しながらも怖いだけの曲に留まっていないのは、このオーボエの音色によるところが大きいでしょう。面白いのは1分41秒以降の終結部付近。木管とストリングスの役割がここでガラッと入れ替わるのです。木管が後ろでジワジワジワジワ、そのうえでストリングスが主題を奏でているのです。都響の演奏ではホールリバーブがかなり濃厚で、広いダンジョンにぽつんとひとり……という孤独感が出ています。 2分2秒からは塔で流れる「死の塔」。木管メロ・ストリングスの伴奏・金管のアクセントという構成は「洞窟に魔物の影が」と共通です。ゲーム音源ではあからさまなベンドダウンが強烈なインパクトを放っていたこの曲ですが、オーケストラバージョンでは弦のポルタメント奏法(弦から指を離さずスライドさせ、持続音の中で音程を変化させる奏法)でこれを再現しており、楽曲の特徴を損うことなく演奏されているのはN響やロンフィルの演奏と同様。ゲーム中ではひたすら不気味な曲という印象があったのですが、オーケストラバージョンではやはりオーボエの音色が持つ暖かさのおかげか、だいぶ恐怖感が和らいでいます。子供だけで侵入したレヌール城における主人公たちの心細さ、を思わずにはいられません。 3分27秒からは暗黒世界のフィールドで耳にする「暗黒の世界」。これまでとはうって変わってピッコロが押し出され、伴奏も金管メイン。威圧感もあるのですが、なぜだかゲームの終盤も終盤、ここにきて妙に呑気な雰囲気になっています。普通なら「暗黒の世界」の名の通り、ひたすら怖いオドロオドロしい曲を充てそうなところですが、そうしないのはひとえにすぎやま氏の人柄ゆえ、なのでしょうか?都響盤ではマリンバがかなり際立っており、N響やロンフィルの演奏とはまた異なった印象を受けます。もちろんこれは編曲の変化ではなく、録音時のバランスによるものですが。 4分37秒からは再度「洞窟に魔物の影が」を演奏して締め括ります。 |
07 | 淋しい村〜 はめつの予感〜 さびれた村 Sad Village〜 Mysterious Disappearance〜 Disturbed Village |
多くの人が都響盤の購入動機としていたであろう「未収録曲」のメドレーです。最初のN響盤で収録に漏れた「哀愁物語」はロンフィル盤で補完されたわけですが、まだ「V」の楽曲にはオーケストラ録音されていない楽曲が残っていました。そのほとんどは曲自体が短かったり、ほんの数箇所でしか流れなかったりといったものでしたが、時間の経過とともに作品の評価が高まっていくのに伴い、「なぜあの曲はCDに入っていないのか」ということも頻繁に指摘されるようになったのです。 都響盤の楽しみというものは「新たな楽団によるおなじみの楽曲の新録音」という点がメインなのでしょうが、ファンの立場ではそれと同等かそれ以上に「未収録やリメイク版での新曲が入るかもしれない」という期待も無視できない要素でしょう。作り手としてもそれは理解しているでしょうし、既に過去にリリースされた多くのCDを所有しているファンにまた新たなCDを購入してもらうためには、そういった付加価値が必要です。 このトラックはまさにその「付加価値」。ゲームをプレイした人が「あそこで流れたCDに入ってない曲はなに?」「CDに入ってないあの曲は何という曲?」と言うものが集まってます。まず最初は「街角のメロディ」のスローアレンジ「淋しい村」から。パーカッションを廃し、木管と弦でゆっくりと奏でられるメロディの持つ暖かさは健在。無意識にホッとさせられます。ゲーム中ではカボチ村が初出となり、あとは成長したビアンカがダンカンとともに暮らす山奥の村で耳にすることができます。なぜ村の曲が街の曲(「街は生きている」)のアレンジではなく、妖精の世界で流れる「街角のメロディ」のアレンジなのかは不明ですが、開発初期は街に「街角のメロディ」が使われる予定だったのではないでしょうか。予想にすぎませんが。 1分4秒からはうって変わって不安な曲調の「はめつの予感」。ゲーム中では主人公がグランバニアの王に即位したことで開かれた宴の夜、静まりかえった城内に流れた曲です。また、幼年期のグランバニアでヘンリーがさらわれる際にも流れます(おでんの戦士さんからの情報)。短いモチーフを繰り返すME的な曲で、だからこそこれまでの組曲では見送られてきましたが、逆に聴く機会が限定されているからこそユーザーの印象に残り易いのも確か。「あの曲はなに?」という質問が絶えない曲でしたが、都響盤に収録されたことで認知度も上がるのではないでしょうか。ゲーム音源ではあからさまなシンセ音でしたが、オケでは弦・木管・鉄琴という編成になりました。 2分18秒からは「さびれた村」。ドラクエにおける「ほこら」の雰囲気を持つ寂しげな楽曲です。ゲームでは青年時代、朽ち果てたサンタローズに辿り着いた時に初めて耳にします。その後、洞窟内のパパスの隠れ部屋でも流れていました(PS2版ではカット)。青年時代後半、ルラフェンにあるベネットじいさんの家でも流れます(パルプンテ習得後)。イベントでは、ラインハットでニセたいこう撃破後にヘンリーと別れるシーン(PS2版ではカット)や、大神殿クリア後、グランバニアで子供達が石像から戻った母に「おかあさーん!」と抱きつくシーンで使われました。 |
08 | 哀愁物語 Make Me Feel Sad |
トラック7の3曲と同様、最初のN響盤では収録に漏れた楽曲で、ファン人気やゲーム中での使われ方などを考慮した結果、ロンフィル盤でみごと組曲入りを果たしたのがこの「哀愁物語」。ゲームでは青年になった主人公がサンタローズへと戻り、そこでパパスの残した遺書を読むイベントが初出。また、グランバニアでのサンチョとの再会、イブール撃破後にいのちの指輪から母・マーサが語りかけてくるシーン、その母とエビルマウンテンで出会うシーンなどなど……。いずれも作品中では珠玉の名場面に流れていたため印象深く、N響盤を受けてのファンたちのリアクションはごく当然のものだったと言えるでしょう。 すぎやまこういち氏としては、この曲を「歌謡曲っぽい」と感じ、当初は交響組曲(N響盤)に組み込むことを考えていなかったようです。そして、そのまま交響組曲を録音。しかしゲームの製作が進むうち、いろいろな名場面に付けられていく「哀愁物語」。結果としてかなり頻出、それも印象に残る場面ばかりに充てられているにもかかわらず、組曲の録音はもう終えてしまった……ということになってしまったようです。やむなくN響盤はそのままリリースされましたが、それを受けてのファンからの反響・問い合わせもあって、すぎやま氏は「哀愁物語」をオーケストラ演奏用に編曲し、94年にコンサートで初めてオーケストラバージョンを披露します。そしてやっと2000年、ロンフィル盤でやっと収録が実現。もちろん都響盤でもこのように欠かせない曲になったというわけです。 都響の演奏は非の打ち所のない、情感たっぷりの演奏。ロンフィルと異なり国内オケである都響には、当然ドラクエファンも在籍しているでしょう。そうなれば楽曲の背景についての説明は必要最小限で済むというものです。まして日本人同士であれば、いざという時のコミュニケーションも容易。あとは楽団と指揮者のシンクロ率とテンションさえ上がれば、最高の演奏となる条件は揃っています。残るは録音のコンディションですが、お聴きの通り良い状態であることは言うまでもないでしょう。音圧重視のポップス的録音と言われれば否定はできないのですが、もともとがゲーム音楽である本作には適していると筆者は思います。 |
09 | 戦火を交えて〜 不死身の敵に挑む Violent Enemies〜 Almighty Boss Devil is Challenged |
戦闘メドレーです。まずは通常戦闘のBG、「戦火を交えて」から。このトラックを聴けば、都響の持つ潜在的なパワーはじゅうぶんに感じ取れるはずです。見事に縦が揃った演奏はN響にまったくひけをとりませんし、圧倒的なダイナミクスはロンフィルに匹敵するものです(録音も大きく貢献していますね)。とにかく迫力充分な快演。スネアやティンパニといったアタック要素を担うパートがかなり前面に出されているのも、組曲全体を通しての特徴です。そのため繊細な木管楽器がマスキングされがちなのが難点と言えば難点なのですが……。 なお、1分7秒のところで聞き取れるブラスのフレーズは「高貴なるレクイエム」のモチーフ。こうした要素をもブレンドすることで、戦いの末に待つものを暗示しているかのよう。 いったんクールダウンし(3分2秒〜)、静かな「地平の彼方へ」のモチーフが挿入されます。戦い終わってひと息、というところでしょうか。傷付いた仲間を回復したり……と、息もつかせないようにして現れるさらなる強敵!3分30秒からは中ボス戦BGM「不死身の敵に挑む」。実はリメイクを除き、正統なナンバリングシリーズで初めて中ボス戦の曲が用意されたのがこの「V」でした。 オーケストラ全体で鳴らす強烈なヒットから始まり、打ち鳴らすティンパニのインパクトも絶大。今から戦う敵はそのへんのザコとは違うんだぞ、ということを音で明確に提示しています。オケヒット+ティンパニの組み合わせは通常戦以上に威圧的で、激しい戦いをいやでも想起させてくれますね。「戦火を交えて」からのテンションを衰えさせることなく、リスナーをグイグイと引っ張っていきます。このクオリティはちょっと、後に続くであろうシリーズの録音が楽しみになってしまいますね。 なお、4分30秒のところでチラッと聞くことのできる、右側にいる低い弦楽器によるフレーズも「高貴なるレクイエム」のモチーフになっています。レクイエムのモチーフが戦闘音楽に散りばめられているのはシリーズでも「V」ぐらいではないでしょうか。 |
10 | 高貴なるレクイエム〜 聖 Noble Requiem〜 Saint |
ドラクエの交響組曲では既に恒例の「全滅+ほこら」組曲。まずは全滅時に流される「高貴なるレクイエム」です。前作「IV」から、レクイエム系の曲がイベントでも多用されるようになりました。全滅時だけに流すのではユーザーになかなか聴いてもらえない、というのはすぎやま氏にとって悩みのタネであったようで、イベントへの転用を試みたのです。本作においてもそれは同様であり、中でも最も印象的なのは少年期・古代の神殿におけるパパスの死亡イベントではないでしょうか?青年期での「石になった主人公」イベントも強烈でしたね。何を言ってるのかわからないという人はゲーム本編をプレイして下さいね。 低く暗い導入は「本当に死んでしまったの?」という戸惑い、そして事実を受け入れて瞬間的に感情が昂ぶるかのような、悲劇的なストリングス。そして葬送を思わせる粛々としたティンパニと、死者を弔う鐘の音。この楽曲は弦とティンパニ、鐘だけという構成ながら、どんな曲よりも「語って」います。パーティの全滅時においては「やりすぎ」な感もありますが、むしろイベント優先で楽曲を作ったのではと思えるほどです。さらにすぎやま氏がこの曲のモチーフを戦闘曲(「戦火を交えて」「不死身の敵に挑む」)に散りばめるという試みも行っていることは、トラック9で説明した通り。そのため、高貴なる血を引く者(パパス→主人公)のテーマ、というふうにも受け取ることができるでしょう。 4分14秒からはほこら音楽「聖」。「高貴なるレクイエム」とは対照的な、オーボエと弦から成る優しくあたたかな雰囲気で、人の気配は感じさせないものの暗さ・寂しさはなく、心が安らぐ小曲です。同一トラックにはなっていますが「高貴なるレクイエム」と無理に繋げず、独立した構成としたのは正解でしょう。本当の意味での組曲とするには、曲の意味合いが正反対もいいところですから。別トラックでもかまわないほどですが、そうすると「聖」が短すぎますからね。まあ仕方ないでしょう。 |
11 | 大魔王 Satan |
激しいティンパニの連打から始まるこの曲は、ラスボス「ミルドラース」第二形態との戦いを彩る、まさに最終戦の専用曲。「I」の「竜王」を思わせる管弦の刻みに、「暗黒の世界」とのイメージの共通化を図ったかのようなピッコロのアクセントが続きます。 この曲ではよく「歌うティンパニ」が指摘されていますが、16秒から左側で繰り返される、ホルンによるフレーズも特徴的。さりげないながらも、これは楽曲を支配するメインのモチーフです。トランペットやフルートがそれを反復したりしつつ、1分42秒からのストリングスへと受け渡す伏線になっており、楽曲全体がひとつのモチーフで貫かれています。2分12秒以降の再現においてもそれは繰り返されていきます。ティンパニすらもこのモチーフを「歌って」いるのです(4分5秒あたりに顕著)。 中ボス戦での「不死身の敵に挑む」がとにかく煽り立てていくような曲だったのに対し、ラスボス戦はあえて音にスキマを持たせるかのような構成にしてあるのもシリーズではおなじみの要素であり、激しい効果音と楽曲の両方を埋もれさせないための工夫なのだと考えます。 残念なのは、「戦火を交えて」や「不死身の敵に挑む」に「高貴なるレクイエム」のモチーフを入れることで統一感を出していたものが、この最終戦で損なわれている点。この曲のどこかにもチラッと入っていたら、と個人的には思います。しかし一方で、別のモチーフがこの曲には入れられています。1分20秒以降に金管や弦で繰り返されていく「パラパパッパッパー」というフレーズ、実はこれ、ゲーム中に登場したMEが元になっています。後にそれは「悪のモチーフ(V)」という曲名であることがわかるのですが、それがラスボス音楽に組み込まれているのです。ただ、伏線とするからにはボスの存在が希薄な頃から早々に行われていること、そして伏線がそもそも短いMEによって張られていることから、それほど印象的にはなっていないのが残念。音楽に注目してじっくり検証するようなタイプのユーザーでなければ気にも留めないかもしれません。逆に、その手法を徹底的にやったのが次回作「VI」となるわけです。 |
12 | 天空城 Heaven |
ゲーム中では天空城のBGとして流される楽曲。前作「IV」でも登場した天空城ですが、お聴きの通り楽曲は変わっています(前作では「謎の城」)。しかし、シリーズにおける「城」のイメージからは逸脱しない弦楽で仕上げられている点は共通。そこにクラリネットによるメインのメロディが乗せられるという編成になっています。厚みと広がりのあるストリングス、まったりととろけるようなクラリネットは美しいことこのうえなく、演奏も録音状態もロンフィル盤と同等かそれ以上のクオリティ。 あっ、決してN響盤が不出来という意味ではないので、誤解なきよう。録音という点においては、さすがにN響盤は最も古いものですし、ちょっと比較対象から外れるということです。演奏そのものについては、もう聴く人の好みですよ。 |
13 | 結婚ワルツ Bridal Waltz |
本来はゲーム中盤、主人公の結婚式で流れる楽曲です。クラシカルな結婚式のイメージとしてワルツという名の舞踏曲は不可欠で、これ以外には考えられない絶妙のチョイスでしょう。さすがにすぎやま氏ならではの本格的なワルツで、知らない人にれっきとしたウインナワルツだよと言って聞かせても信じてしまうに違いありません。 華やかなファンファーレ調のイントロに続くのは、王道的な3拍子の流麗なストリングス。さりげなく添えられたスネアと、右側で清らかなアクセントとなっているトライアングルも邪魔をしていませんね。低音部はコントラバスとともに金管が補強しています。ハープも二人を祝福しているかのように花を添えています。 「V」はシリーズ中で唯一、エンディング専用の曲がありません。そう、クリアした人ならばご存知の通り、この「結婚ワルツ」がエンディングにも流れるんですね。筆者は「エンディングは間違いなく結婚ワルツを核としたアレンジだろう」と当時は予想していたのですが、まさかそのものをそのまま使うとは!でも結果的に、「V」においてはこれ以上の選曲はないですね。楽曲のおかげで、これほど幸せな気分で終われるゲームも珍しいのではないでしょうか? 都響の演奏はこのCDを「ベスト・オブ・ドラクエV」として迷わず推せる完成度を誇っています。筆者はN響盤・ロンフィル盤・都響盤どれを買えばいいか悩んでいる人には、都響盤をオススメするようにしています。演奏・録音の良さはもちろん、過去に入っていなかった未収録曲が追加されている点をとっても、ゲームを深くやり込んだ人、「V」をこよなく愛する人にもっとも相応しいのは都響盤でしょう、やっぱり。 惜しまれるのはコピーコントロールCDであるという点で、その点だけは人に薦めるにあたってマイナスポイントなんですよね。機会があったらぜひ通常盤を再発売してほしいです(コピコンは廃れる方向ですし)。筆者はmacで取り込んでそれを聴いてます。macの前にはコピコンも無力なのです……っていうか、そもそも相手にされてない? |
コラム:なぜ都響盤「V」はコピーコントロールCDになったか | ||
さて、そのコピーコントロールCDですが、実際のところどういったものなのか、正確に把握している人はあまり多くないと言えます。ユーザーの立場では「コピーできない」「パソコンで聴けない」という点で特に嫌われ、そのイメージからコピーコントロールCDを問答無用で斬り捨てる人も少なくありません。「よく知らないけどなんか良くないものらしいから、とにかくいやだ」という人が大半ではないでしょうか?ではなぜ、都響盤「V」は嫌われるコピーコントロールCDになったのでしょうか。なぜ、そうせざるを得なかったのでしょうか。 コピーコントロールCDとは言っても、いくつか種類があります。エイベックスや東芝EMIなどが使い始めた元祖コピーコントロールCD「CCCD」がまずひとつ。主にソニー系のレーベルが使用した「レーベルゲートCD」がひとつ。都響盤「V」は後者の「レーベルゲートCD」になります。これらは規格としては「コピーコントロールCD」であり、いわゆる音楽CD(CD-DA)とは区別されます。フィリップスが策定した「コンパクトディスク」規格とは別のもの、ということです。このため、通常の音楽CDで見慣れた「COMPACT DISC DIGITAL AUDIO」のロゴマークを表記することはできません。そして、コピーコントロールCDはその旨を商品の外側(買う前に見える場所)に明示しなければなりません。気に入らなかったら買わないで下さい、というスタンスですね。 エイベックス方式のCCCDは、収録されているCD-DA形式のデータを複製できないよう、意図的に人間の耳には音として聞こえないノイズ成分を混入させ、コピーを抑制するというもの。これにより、相性によっては再生機器のドライブが余計な負担を強いられることがあり、アンチCCCDの人たちからはこのことが特に批難されました。古いCDプレイヤーやポータブルプレイヤーでは再生できないこともあり、「お金を払って購入したにも関わらず聴けない」ということもあったのです。これはパソコンについても同様で、パソコンで聴く場合にはCD-DAとは別に収録された圧縮音源が再生されます。しかも、専用のプレイヤーをインストールしなければならないのです。こちらも、「正規の価格を払ったのに圧縮音源を聴かされる」ということで批難されました。 レーベルゲートCDはCCCDの進化型のようなもので、一部再生機器での再生が保証されない、ドライブに負荷をかけるといったマイナス面は同様。PCでの再生が圧縮音源になるのも同じです。レーベルゲートCDはさらにこの圧縮音源の複製時に認証が必要となり、直接的に課金が生じるというもの。最初の複製こそ認証さえ行えば無料ですが、CDに個別の識別番号が振り分けられており、その識別によって2度目以降の複製に対して課金が生じるようになります。また、認証にメールアドレスとは言え個人情報を要する点も批難の的でした。さらに音楽を発表するアーティストの中にも自分の作品の劣化を良しとせず、コピーコントロールCDでのリリースを拒否する人々も現れたのです。 ではなぜ、レコード会社は批難されつつもコピーコントロールCDの導入を進めたのでしょうか?それは文字通り、ユーザーのコピー行為を抑制するためです。導入当時は違法コピーが百花繚乱。パソコンの普及とCD-Rの普及が、音楽CDの手軽な複製を可能にしました。なおかつ、それらのインターネットでの配布や共有が問題となりました。時を同じくして、音楽業界では「CDが売れなくなった」と言われていました。そうなれば、「違法コピーとインターネットが原因だ」と結論付けられるのに時間はかからなかったのです。実際にはケータイやメール、インターネットなどを始めとする娯楽の多様化と、流行のサイクルがあまりにも早くなりすぎた音楽業界そのものにも原因があるのですが、レコード会社は本気で「ネットが悪い、パソコンが悪い」と信じていたのです。結果、実行されたのが「パソコンでコピーできなくすればいいじゃないか」というアイディアであり、そして生まれたのがコピーコントロールCDでした。 パソコンで音楽を聴く人が日に日に増える現状、正規の金額を払っても聞けるのは圧縮された劣化音源とあっては、やっぱり買う側としては気持ちのいいものではありません。さらに、i-podを始めとする、パソコンと連携することを前提とした携帯型音楽プレイヤーの爆発的なヒット。音楽CDはコピーコントロールCDのおかげで売り上げを回復するどころか、ますます悪化しかねない状況に陥りました。「i-podを無視しては音楽はますます売れなくなる」ことを悟った各レコード会社は、「著作権と違法コピーについて、ユーザーをじゅうぶん啓蒙できた」として、順次市場からコピーコントロールCDの撤退を始めます。最近ではコピーコントロールCDも珍しいものになってきました(一部レコード会社はまだ頑張っているようですが)。 では、都響盤「V」はなぜコピーコントロールCDになったのでしょう。すぎやまこういち氏の普段のゲームへの取り組みを知っているファンなら、人一倍「音」にはうるさい氏が、コピーコントロールCDを認めるはずがないと思うかもしれません。しかし、すぎやま氏はJASRACの理事という立場でもあります。直接的な音楽CDの衰退の原因とは断定できないとしても、音楽の違法な複製・配布については見過ごすわけにはいかなかったのではないでしょうか。そこにあったのは「もっとCDを売って儲けたい」という商魂よりも、「不正かつお気軽な作品の複製・流布はいかん」という、音楽および作家へのリスペクトだったのではないでしょうか。そのような音楽文化は作家にとっても消費者にとっても良いものにならない、作品に対してのまっとうな対価があって然るべき、という意味です。よって氏は、コピーコントロールCDの導入に同意したのではないでしょうか。実際、すぎやま氏はネットや一部掲示板における不正な共有を目の当たりにしている、みなさんはやらないでね、とコンサートなどで話しているのです。 結果、世の中の流れから以降の「ドラクエ」CDからコピーコントロールCDはなくなり、都響盤「V」は不運にも唯一のコピーコントロールCDとなってしまったのです。都響盤「V」のコピーコントロールCD化について、すぎやま氏を責める人もいるようですが、矛先を間違っていませんか?そもそもはユーザー側の、罪の意識すら持っていないお気軽なコピーが原因のひとつであって、製作者側に非などあり得ません。あなたが聞いているドラクエ音楽は、きちんと買ったCDですか?レンタルCDの複製ではありませんか?友達からダビングしてもらったものではありませんか?ネットで拾ったファイルじゃありませんか?製作者への還元がない中古CDじゃありませんか?コピーコントロールCDについて文句を言うことができるのは、正規の対価を払って商品を買った人だけです。都響盤「V」がコピーコントロールCDになったことの原因の大部分は、消費者側の姿勢なんです。 余談ですが、このコピーコントロールCD、いずれも「マッキントッシュは未対応」と書かれています。macでは聴くことすらできないのか……ということではなく、これは言葉の使い方の問題で、実際には「未対応」ではなく「未対策」なのです。macでは何の手間もなく、問題なく音源が取り込めますし、それも圧縮音源ではなくちゃんとしたCD-DAの方をです。つまり、レコード会社が標的にしたのは圧倒的シェアであるWindowsだったのです。少数派のmacは特に手を打たなくてもたいした被害はない……ということなんでしょう。なんか優遇されてるのか、バカにされているのか……macユーザーのご意見を伺いたいものです。 結局、コピーコントロールCDは多くのレコード会社でほぼ全廃の流れとなり、この都響盤「V」もめでたく通常のオーディオCDとして再リリースされています(型番もSVWC 7313に変更)。今から購入するなら無論オーディオCD盤ですが、CD屋さん(特に中古ショップ)にはいまだCCCD盤の在庫が並んでる可能性もありますし、通販はさらに要注意です(ソニーはCCCD盤を回収したのかな?)。例えば下のリンクからamazonに行った場合、新品は大丈夫ですが、マーケットプレイスの中古品には注意しないと、送られてきた品がCCCDだったりするかもしれません。ということで、筆者もCD盤、再購入です!そこはやっぱりね。 パッケージが微妙に変わってます……わかるかな? |