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KOUDELKA(クーデルカ) / SNK・SACNOTH
ジャケット画像
 かつてスクウェアで「聖剣伝説2」「聖剣伝説3」「双界儀」の作曲を担当した菊田裕樹(きくたひろき)氏。同社を退社後、1997年にSNK傘下で自ら制作会社サクノスを興し、同時に着手したのがRPG「クーデルカ」である。当時はスクウェアも「FFVII」で絶好調の時。「もとスクウェアのスタッフが創る新作RPG」というキャッチはかなりの注目を集めていた(もっともメディアが勝手に作ったキャッチだが)。「クーデルカ」が実際に発売されたのは1999年。ディスク4枚の中にどのような世界を詰め込んだのだろうか。

ポニーキャニオン
PCCB-00396
1999年
JASRAC表記:なし


こちらでCDを購入できます。
ゲーム紹介

 スクウェア(現スクウェア・エニックス)は、ゲーム業界で多大な影響力を持った会社である。新作は必ずと言っていいほどWebサイトや雑誌のトップに掲載され、ユーザーの議論も賛否含めて尽きることはない。その影響力はゲームそのもののみならず、ユーザーの興味をスタッフにも惹き付ける。そして、スクウェアを去ったクリエイターの動向もまた、コアなユーザーの興味の対象になり得た。

 菊田裕樹氏はコンポーザーとして、スクウェアで聖剣伝説シリーズや「双界儀」を手掛けた人物だ。その独特の楽曲は固定ファンを多く持つ。その菊田氏がスクウェアを離れ、自らサクノスという名のゲーム制作会社を興した。そしてアナウンスしたのが新作RPG「クーデルカ」である。「もとスクウェアの人間が新たなRPGに取り組む」、当時はこれだけでそうとうな話題になった時代。しかも菊田氏が企画・シナリオから全体的な統括、もちろん音楽も担当するというのだから、その内容は未知数ながらユーザーの興味は深々だったろう。ちょうど「FFVII」のリリースでスクウェアのブランドが急上昇していた頃、ライトユーザーにもRPGというものが認知されつつあった。「FFVIIのスクウェアにいた男が、独立して新しいゲームを作っているらしい」というニュースはゲーム雑誌でも大々的に取り上げられ、元スクウェアということをアピールするように美麗なビジュアルを前面に押し出しアピールしていた。「視覚効果と音楽効果の融合」には特にこだわりがあることで有名な氏がみずからゲームを手掛けるとあれば、話題にならないわけもない。

 「クーデルカ」の発売は1999年12月。プレイステーションCD-ROM4枚組という圧倒的なボリュームと、独特のゴシックホラーな香りのする雰囲気、美しいビジュアル。「FF」にも先駆けて多人数でのモーチョンキャプチャーに挑戦し、画期的なリアルさと臨場感を盛り込まれたイベント。しかし、それに対してユーザーの評価はまっぷたつに割れた。まず、CD-ROM4枚組というボリュームが決して内容に比例していないこと。結論を急げば、その容量のほとんどはボイスとムービーに当てられている。基本的にイベントシーンも含めてキャラクターの芝居はフルボイス。ムービーの量もかなり多い。そのため、実際のプレイ時間は個人差こそあれ、10〜20時間もあれば間違いなくエンディングに到達する。RPGとしては異例とすら言える短さだ。もちろんビジュアルは美麗。リアルタイムモデルも当時としてはかなりの出来であるし、ムービーはおそらくあの頃の「FF」や「バイオ」など比較にならないクオリティである。CD-ROMの容量を考慮して、当時のムービーはほとんどが圧縮されたものだった(それによりブロックノイズが目立つ)。しかし、本作のムービーはブロックノイズが出ておらず、最低限の圧縮で美しさを優先している。そのため前述のフルボイスという要素と合わせ、ゲームの本筋以外の部分で容量を消費してしまっているのだ。個人的には今でもその他のタイトルにひけをとらないムービーのクオリティは評価したいが、「ゲームにムービーは不要」と主張するユーザーは少なくない。そういった人たちから批難されたことがひとつ。

 もう一点は、ビジュアルに力を注いだためか、ユーザビリティに乏しいシステムが挙げられる。書き込まれた背景はやはりかなりのクオリティだが、結果として「FF」同様、必要なものを見落としやすいという弊害を招く。クリアに欠かせないアイテムが小さいドットで無造作に置かれていたり、ドアが背景に溶け込んでしまっていたり。それでもそういったフィーチャーを光で目立たせるなどの措置があれば良かったのだが、一部を除いてそういった対策は採られていない。ただし、それも難易度のうちだとする肯定的なユーザーもいることを付け加えておく。さらに、操作性にも難があった。ドアや階段への接触判定が甘く、入りたい扉になかなか入れない、昇りたい階段が昇れないといった意見はよく見かける。また、特定のマップに入った時には画面左下に場所の名称が表示されるが、プレイヤーが何らかのボタンを押さないとこの表示が消えず、その間はキャラクターが操作できないという仕様も不評である。移動においてエンカウント以外のストレスを発生させてしまっているのだ(これはアイテムを拾った際の表示も同様)。

 中でも最もこのゲームの評価を落としているのは戦闘だろう。RPGと言いながら、バトルはマス目の概念があるシミュレーション形式。このマス目の上で移動・行動を繰り返すのだが、RPGのつもりでプレイしたユーザーからは特に不評だ。バトルにおいてテンポ感がよろしくないのも不評の要因で、行動のたびに一定のロードが発生するため、どこか爽快感に欠けるのだ。また戦闘に付随して、一部を除き武器・防具の類については敵の落としたものを使用するところも評価が分かれる。しかも武器には耐久度が設定されており、使い込むうちに壊れてしまう。店やお金といった概念もないので、ひとたび武器を失うと素手での戦いを強いられる。そこをフォローするのが魔法なのだが、すべてのキャラクターが同じ魔法を使えるようになってしまうのが、キャラクターの個性を損なってしまってもいる。セーブポイントについても賛否両論で、通常のRPGであれば難所の前に設置されているものだが、本作ではたいていがボスクリーチャーを倒した後に使えるようになるのだ。これを不親切とするユーザー、適度の緊張感を与えてくれるとするユーザーとに割れている。

 戦闘については、菊田氏はまったくタッチしていないとインタビューで語っている。自分がしっかり監修できればああはならなかったとも言っているが、そこはやはり監督としての責務が果たせなかった結果でしかない。あとで何を言ったところで、ユーザーは結果でしか作品を受け止めないのだ。一説には菊田氏は戦闘の練り直しと発売延期をSNK側に打診したが、資金の面で折り合いが付かずに強行発売されたという事情もあるようだ。結局はその時点でゲームとしての仕上がりは「見えた」のだろう。菊田氏はマスターアップとほぼ同時にサクノスを去っている(バトルディレクターと対立していた、というソースのないウワサ話も)。

 以上を読んだ方は本作を「ビジュアルだけのゲーム」と認識してしまうかもしれないが、人間の業というものを包み隠さず内面に迫っていくシナリオの深さ、キャラクターの作り込み(外見ではなく内面の)、そしてイギリスを舞台とした独特のダークな雰囲気と舞台設定は秀逸な出来。つまり、壮大な構想を練ったものの、時間的・人員的制約によってやりたいことのすべてをやり遂げることができなかった不運なゲームなのだ。その「やりたいこと」と「気合」はじゅうぶんすぎるほど伝わってくる。筆者個人的には、そういった要素が他のもろもろの不満を帳消しにしてしまえるほどである。菊田氏が目指した「しっかりと演出がされているゲーム」という点についてはかなり突き詰められており、「ゲーム」というよりは「作品」と呼びたいほど、作家性が強く現れている。

 残念なのはこれに関わったスタッフが、あまり本作を快く振り返ってはくれない点。Webを引っくり返せば、元関係者たちの溜め息を発掘することができるだろう。製作のうえでいろんなことがあったようだ。菊田氏自身も「スタッフに恵まれなかった」と公言している。しかし、それに反して「クーデルカ」を愛するファンは多い。昨今のヌルいRPGに慣れた(もしくはそれしか知らない)人々には厳しいかもしれないが、プレイする価値はある。陰惨なストーリーは確かに受け手を選ぶが、面白半分の陰惨さではなく、必然的なものであって決して不快感はない。特に、「シャドウハーツ」シリーズのファンなら本作のプレイは義務と言っていい。「クーデルカ」を知らずして「シャドハ」を語るべからず。「シャドハ」はまごうことなき「クーデルカ」の続編なのだから(注:菊田氏は「シャドウハーツ」には関わっていないが)。

 ということで、このCDはそんな「クーデルカ」のディレクションを務めた菊田裕樹氏の手による劇中音楽を収録したサウンドトラック。ゲーム全体の統括をした人間が自ら作り上げた音楽はどんなものなのか。昨今のサントラCDでも稀有な存在である楽曲たちを味わってみよう。

オリジナルBGM(ロンドン録音)
01 Requiem
(オープニング曲)
ゲームを起動すると流れるプロローグムービーで流れる曲です。構成している音はベルの音、単発のパーカッション、そしてソプラノボーカルぐらいのものですが、この存在感はどうでしょう。馬に乗って広大な土地をさすらう一人の人間の孤独感、そしてこれから体験することになるいくつもの謎を孕んだストーリーを暗示しているかのようです。ゲームでは鳥の声などの環境音も混ぜられていますが、楽曲単体を抜き出してもその印象はほとんど変わりませんね。

しかしオープニングから「レクイエム」って、どーなのよ。ちゃんと意味はあるのでしょうが、ブックレットには対訳はおろか歌詞すら掲載されておらず、ヒントすらないためなんとも言えません。決してゲームオーバーの曲じゃありませんよ。ちなみにゲームオーバー画面では音楽は流れません(MEっぽい減衰音のみ)、念のため。

一応補足として、エンディングテーマの「Ubi Caritas et amor」はオルガニストであり作曲家でもあるMaurice Durufle(モーリス・デュリュフレ/仏・1902-1986)の作品。彼の代表曲に「Requiem Op.9」がありますが、デュリュフレのレクイエムは彼が父への鎮魂歌として作曲した作品として知られています。「クーデルカ」のオープニングタイトルにやはり「Requiem」と銘打たれているのは、幼い頃に父の死を予見してしまったクーデルカ、そして彼女の苦悩と無関係ではないでしょう。

また、レクイエムというタイトルには、魂の再生を司る「エミグレ文書」との関係も無視できません。死者を冒涜する行為(やってる本人は冒涜とは思っていませんが)に対して魂を沈める意味でのレクイエム。この曲はベーコンの部屋でエドワードの詰問を受けたオフラハティが、彼の真の目的(「エミグレ文書」を探しにここへ来た、という)を語りだすイベントでも印象的に流れています。

ここからトラック3までは、サントラCDのオビでも売り文句にされている「ロンドン録音」。「Requiem」についてはアーティストはソプラノボーカリストとパーカッショニストの2名のみです。
02 Ubi Caritas et amor
(エンディング曲)
前述の通り、Maurice Durufle(モーリス・デュリュフレ)による1960年の作品。「グレゴリオ聖歌による4つのモテット Op.10」のうちの一節です。タイトルは「慈しみと愛のあるところ」という意味。既存曲の意味ある流用というところですが、アレンジと演奏はもちろん本作独自のもの(コーラスアレンジ:ニック・イングマン)。グレゴリオ聖歌を題材としているからには、本作もしっかりボーイズクワイアによって歌われています(ロンドンオラトリオスクールの生徒達16名)。

ナゾの集団(だから生徒達だって)による明るいガヤガヤから始まるこの曲、エンディングのスタッフロール部分で流れるものです。このガヤガヤは聞き取れませんが、なんか意味がありそうで怖いなあ……。歌詞のだいたいの意味は、このページの下の方に記しておきますので参照して下さい。本作のシナリオと関係あるような、ないような?こういう曲に何のメッセージを込めるかは、多くの場合はクリエイターの自己満足なのですが(日本語でないものを使うってことはそうでしょう)、たいていはその意味するところは明かされません。「学のある人だけわかってよ」とでも言いたげですが、いろいろ推測する楽しみも我々には与えられているのです。推測したくなるかどうか、意味を追求したくなるかはゲーム本編の出来に依存するのですが……。

エンディングはラスボスを倒したか負けたかで違うパターンのムービーが用意されていますが、スタッフロール及びそこで流れる楽曲は同じ(もちろんこの曲)です。ムービーはどちらのパターンも必見の出来ですので、普通にエレインに勝ってクリアしちゃったまま放ったらかしている人は、わざと負けてみて下さい。むしろこちらのパターンのムービーの方がグッドエンディングっぽい内容ですから。味方キャラにとっても、敵にとっても。続編(シャドウハーツ)に繋がる雰囲気もありますし。

ま、RPGって普通はラスボスを倒してナンボなのに、倒すと真のエンディング(と思われるもの)が見られないというのも、この作品らしいと言えばらしいですけどね。
03 Dead
(イベント用BGM)
切ない弦楽によって感情を揺さぶる、良質なインストゥルメント。タイトルには「イベント用BGM」と書かれていますが、具体的には「パトリック邸・肖像画の部屋」における、クーデルカが呼び出したエレインの魂との会話シーンで流れるものです。淡々としたエレインと対照的に、嘆き悲しみ身を震わせるオフラハティ。どちらに当てられた曲かは明らかですね。タイトルの「Dead」こそエレインを指していますが、感情的には完全にオフラハティの心象描写です。一人の女性の死によって、これまでの人生すべてをも否定されてしまったオフラハティの、悲しみと怒りごちゃまぜのむき出しの感情。もしかしたら彼の脳裏にもこの時、「死」の文字が一瞬でも浮かんだのかもしれません。愛した人から「私の身体を滅ぼして」と懇願されたら、アナタにはできますか?

後に、オフラハティーがニトログリセリンを調合する間、クーデルカとエドワードが酒を飲みながら珍しく雑談をするイベントの途中で流れています。自由きままに生きる君がうらやましいとエドワードが言ったとたん、あんたに何がわかる!と激昂して身の上を語り始めるクーデルカ。ここのセリフはけっこうハードなので、ぜひご自分の目で確かめて下さいね(ゲームをプレイしろ、ってこと)。エドワードも驚いたでしょうね、酔っていたとは言え何気なく言ったひとことで、ここまでヘビーな身の上話を聞かされるなんて。

この曲が流れる2つのイベントの内容に直接的な繋がりはありません。汎用心象音楽、ってところ?構成楽器はバイオリン×2、ビオラとチェロがそれぞれ1。弦楽四重奏というやつです。アレンジは「Ubi Caritas et amor」と同じく、ニック・イングマンの手によるものです。
バトル用BGM
04 Waterfall バトルで流れる曲で、いわゆる通常のエンカウントザコ戦のもの。即ち本作で最も耳馴染みのある楽曲と言えるでしょう。このパーカッションとタンバリンによるリズム隊は、戦闘関係の楽曲で通して使われるものになります。そうすることでバトルに統一したイメージを与えているのでしょう。RPGのバトル音楽としては1ループが異常に長いのですが(4分ほど!)、ザコ戦でも場合によっては戦闘が長期化してしまうことを予測してのものでしょうか。

ユーザーの間でこのバトル曲がどう評価されているかと言えば、圧倒的に不評なようです。全体を誉めている人、ゲームはよくできていると評する人でも、「戦闘の曲だけはなんとかしてほしかった」とする人が非常に多いのです。「フォルクローレみたいな曲にキャラがヒョコヒョコ移動するさまがなんともコミカル」という意見も目にしました。菊田氏はバトルまわりについてはノータッチらしいですが、いったいどのようなバトルを想定してこの曲を書いたのか、菊田氏自身がもしバトルを構築していたらどんなものになったのか、クーデルカはそういった「if」も気になりますね。

クーデルカの音楽全般に言えることですが、ゲームをプレイしていないサントラのみのリスナーからの評価は高く、ゲームをプレイしたユーザーからはイマイチと評される傾向が強いようです。サントラだけ聴いている人はもともとが菊田氏のファンでありゲームミュージックマニアなのですから、評価が高くなるのは当然ですね。ゲーム音楽は付随音楽か、それとも独立した芸術かという議論が尽きないのも、ゲーム音楽の持つこういった性質によるものでしょう。
05 Incantation again バトルで流れる曲で、中ボスと呼ばれるモンスターとの戦いで流れるものです。鳴った瞬間に「あっ!コイツはザコじゃない、強いぞ」とプレイヤーに思わせる曲ですね。ま、すでに「様子がおかしい」というテキストでバレバレなのですが……。普通のRPGにおけるオーケストラっぽい戦闘BGMに慣れた耳には最初「なんか変な曲」に思えてしまうかもしれませんが、ゲーム中盤にさしかかる頃には耳から離れなくなるんじゃないでしょうか。良くも悪くもです。ピャ〜ラ〜ラ、ピャ〜ラ〜ラ、ズンッドドット、ズンドコドットコ。このゲームの世界観にはこの曲しかあり得ません。もしもありがちな曲が使われていたら、筆者は駄作と罵ったことでしょう。

1分48秒のあたりからは「Waterfall」のフレーズも少し形を変えて登場しているようです(「Waterfall」での1分13秒あたり)。個人的には「Waterfall」の発展系と捉えています。

なお、戦闘終了時には特にME…たとえばよくあるRPGでのファンファーレのようなものは流れません。何もなければそのまま移動画面に戻ります。レベルアップした場合のみ明るい曲が流れますが、CDには未収録となっています。
06 Patience 「Incantation again」とほぼ同じようなリズム構成で始まる曲。このリズム隊自体がバトルテーマといった扱いなんですね。この曲が聴ける機会はだいぶ限られていまして、ゲームのラスト近く、階段を昇るクーデルカたちをエレインが追い詰め(グラフィックで表現せず、テキストだけなのがなんとも残念)、それによって発生するエレイン中間形態との戦闘で使われています。これもけっこう長い曲で(1ループが2分強)、後半の盛り上がりはけっこう良い感じです。音階を感じさせるパーカッションの使い方が非常に秀逸。バトル音楽では珍しくピアノも組み込まれています。

エレインの登場シーンがあれだけインパクトのあるものだったのに対し、通常のザコ戦や中ボス戦のイメージから曲が脱しきれていないのがやや気になりますが、これは「バトルはこれで通す!」という決意の現れでしょうね。変えようと思えば変えられたはずですから。
07 Kiss twice 「Patience」を引き継ぐような印象のこの曲、いわゆるラスボス戦・エレイン最終形態との戦いを彩る楽曲です。ここまできたらイベントの曲と同様にコーラスとかでゴテゴテに装飾した曲でもいいのでは?とも思いますが、言ってみればそれはありがちなRPGでも見られる手法なわけで。「クーデルカ式バトル音楽の作法」をここまで貫いた姿勢には拍手を送りたいですね。無難にまとめるよりは個性を重視したのでしょう。
ムービー用BGM
08 #scene13 ベル音色と緊迫した高音の弦に導かれるようにして、不気味なウィスパーボイスがいくつも重ねられていきます。ヘタにドロドロした曲よりも、筆者としてはこういう狂気的な曲の方がこわいです……。それにしてもこの曲ぜんぜん出てこないなー、と思ったらゲームのかなり終盤、ニトロで扉を爆破して聖堂の中へ足を踏み入れた一行の前に、異様な巨大植物がその姿を露わにするムービーで使われていました。ウィスパーボイスはそのざわめきのイメージなのでしょうが、ゲームではまったく聞こえません。ヘッドホンで聴けばもしかしたら聞こえるのかもしれませんが、少なくともテレビのボリュームをかなり上げても、効果音が目立っているためわかりませんね。

関係ないんですけど、たまにゲーム作曲者や効果音担当の人がインタビューなどで「ヘッドホンで、大音量でプレイして下さいね!」とか発言しているのを目にしますが、どういう環境でプレイしようと勝手だろ、と思います。環境を限定しないとわからないような仕掛けは、製作者のエゴでしかありません。エゴはご自由にどうぞという感じですが、少なくともそれをユーザーに強制してはいけません。このゲームのことじゃないですよ。あくまでついでに言わせてもらっただけです。菊田氏がそういった発言をしているのは見たことありません。

というか、なんでいきなりscene13から始まるの?このCD。
09 #scene8 前のトラックから受け継ぐように、こちらもウィスパーボイスもの。短い曲ですが、最後に「デャン!」とオドカシ系のヒットが。静かに導入しておいて最後にドカンってパターン、わかっていても心臓に悪いですね(笑)。ホラーものでは定番の手法ですが、ズルいっすよ。まあ、このオドカシが聴けるのはサントラだけなんですけど。

ゲーム中では宝物庫で挿入される、シャンデリア落下ムービーの序盤にうっすらと流れていました。ただしきわめて音量が低く、常識的なボリュームでプレイしているとベルぐらいしか確認できません。ボイスなどまったく聞こえませんし、最後のオドカシも使われていません(ガシャーンという効果音がその役割を担当)。

ゲーム全体に言えることですが、イベントやムービーにおける音楽のボリュームが低すぎますね(戦闘はのぞく)。うっすらと流すことで潜在的なイメージを残そうとしているのかもしれませんが、鳴ってるんだか鳴ってないんだかわからないので、むしろストレスになるかと。出すべきところはもっと音楽を立たせてしまってよいのではと思います。効果音やセリフだけが立っていて、音楽はまさしくBGMに留まっているところがもったいないですね。最終的なバランス調整が雑です。

トラック8と同じウィスパーボイスのガヤガヤが使われている理由(必然性)もわかりません。もしかしたら最初は関連付けた音の構築を考えていたのだけれど、もろもろ変更になっちゃったのでしょうか?
10 #scene7a うめき声のようなボーカリーズに、空気を引き裂くかのようなストリングスがなんともホラーテイスト。重低音のシンセも効いてますね。東屋(ギロチン部屋)の地下で再生されるムービーの序盤に使われています。クーデルカがそこに残る怨念から思わず霊視をしてしまい、その凄惨な場面を目の当たりにするシーンです。そこに背後から忍び寄るオグデン……といったところまで。グラフィックとあいまって、ゲーム中でも屈指の「こわいシーン」です。

このゲーム、ユーザーの想像に委ねた恐怖演出はよくあるんですよね。なにげないオブジェを調べると「死体が山積みになっている」とか、幼女が「9才の誕生日に首を切られた」と語るとか、日記の内容とか。直接的なビジュアルでのホラー表現って、言うほど見られない。けど、そこが怖いんで。ギロチン小屋のムービーは、その数少ない直接的な表現。血まみれの背景も怖いです!

途中のドラはなんでしょう?ゲーム中ではカットしていたようですが、まさかオグデンがクーデルカを殴るところに合わせようとしていたのでしょうか?オイオイ、それじゃコメディだよ
11 #scene7b #scene7bというだけあって、前の曲と共通のイメージでまとめられたボーカリーズもの。心拍を揺さぶるかのように、徐々に打ち乱れていく低音のパーカッションが、楽曲のテンションをグイグイと持ち上げていきます。

ゲームではオフラハティが仲間になった直後、渡り廊下で発生するイベントで使われています。詩のうんちくから神の国うんぬんの話に発展しそうなところで、何者かに狙撃されるシーンですね。ここではパーカッションはカットされており、銃声とともに楽曲は掻き消えます。この曲のテーマを考慮すると、狙撃したのがオグデンであることを匂わせているのでは(初プレイ時のプレイヤーにはわからないでしょうが)。

続いては、宝物庫にてオフラハティが無造作に積み上げられた貴重な品々に感嘆の声を露わにするイベント(後半)で使用。クーデルカの「ここがどういう場所だか忘れたの?」という批難から流れているのがこの曲。「どういう場所だか」は、楽曲の意味から察すると「オグデンが悪行を重ねている(らしき)場所」ということを指しているものと思われます。ここでもパーカッションは抜かれていますね。

サントラの形(パーカッションあり)で使われているのはホール廊下で行われるエイリアス(シャンデリアを落とした移民者)との会話シーン。悪行の数々は管理人夫婦のしわざだとする彼のセリフで流れ始めます。オフラハティは表面上は信じるものかという態度をとっていますが、内面ではある種の「まさか……」という葛藤が始まっているように見えますね。もちろん楽曲は管理人夫婦にかかっているわけです。

その後はオグデンの物置でのムービー(沈むプリンセス・アリス号)後半にも使われています(ここではパーカッションなし)。また、東屋(ギロチン小屋)で挿入されるムービーでも使われていましたね。ナタの刃を研ぐオグデン、徐々に感情が昂ぶり「肉の塊にしてやる!」とナタを振り上げるまで、煽るようなパーカッションが見事にシンクロしてました。前の曲(「#scene7a」)との繋がりから言えば、もともとこのシーンで使うための曲だったのでしょう。その後、オグデンのモチーフとしてあちこちのイベントに流用された、と。
12 #scene7c ケルトな雰囲気が盛り込まれた、それっぽい曲です。オープニングムービーでは既に舞台がウェールズと示されていますが、ウェールズとはイングランドの東地方。そもそもイングランドはグレートブリテンにある4つの国(イギリス・スコットランド・アイルランド・ウェールズ)を統合した国家であり、アングロサクソンの国であるイングランドと違ってウェールズは、中央ヨーロッパから移住してきたケルト人の国です。即ち「クーデルカ」の世界観は、イングランドと括られがちではありますがいわゆるそれとは異なる文化を持った地域に限定されているのですね。そのため音楽面でも、独特のケルティックな香りのする楽器がフィーチャーされていたり、世界観を紐解くキーワードとして「ケルト」が投入されているのです。

ゲーム中では東屋(ギロチン小屋)で流れるムービーに使われています。オグデンを射殺したベッシー(奥さんです)が、彼がかつて巨大な遊覧船の船長であったこと、その船が事故で沈み大勢の人が死んだこと、後のエレインとの出会いなどを語る場面。つまり、「#scene7」とは東屋のイベント一連を指すシーンナンバーなんですね。

船の絵にこういう音が付くと「タイタニック?」とか思ってしまうのはご愛嬌。イングランド、豪華客船というキーワードが揃えばケルトになるのは必然ですよ!なんたってタイタニックは1997年公開ですから。ん?「クーデルカ」は99年……。サクノス設立が97年……。

えー、コホン。曲自体は上のイベントからわりとすぐ、図書館におけるクーデルカとオフラハティらの合流イベントでも使われています。管理人夫婦の真実を知るクーデルカがエドワードたちにそれを伝え、エレインという人物は死んでいることを告げると、オフラハティはショックを受けたうえで自分の身の上を語り始めます。そのタイミングで鳴るのがこの曲です。パトリックとの出会い、エレインを深く愛していたことが語られますが、この一連の事件に深く関わるエレインとパトリック、そしてパトリックとオグデンの関係とは?という、いまに明かされるであろう謎を匂わせるのがこの曲です。オグデンの悪行には理由がある、その理由を握るのはパトリックという人物であるらしい……謎はますます深まってゆきます。

メロディラインには「Requiem」の匂いもするのですが、直接的にアレンジというわけではないようです。
13 #scene10 どことなくコミカルな香りのする木管楽器のタッチと、おどろおどろしい這うような弦が同居する曲。ベーコンの部屋(カンオケがある部屋)で流れるムービーに使われている曲です。木管は「なんだありゃ?」、恐怖感を助長する弦のトレモロは棺の蓋が開いていくところにかかってます。
14 #scene6a 悲しい民俗音楽といった感じで、ギターのような弦楽器と木管が悲哀たっぷりに歌い上げる曲です。シャルロッテ特別牢で挿入される、クーデルカがシャルロッテに母の手紙を渡すムービーで流れます。ボリュームが低すぎてプレイヤーの感情を左右するほどには至っていないのがもったいないですね。セリフはともかく、このシーンでこんなに派手に効果音を付ける必要があるのでしょうか。いや、音そのものは派手ではないのですが、音量の優劣の問題ですね。やっぱり効果音が大きすぎて、音楽が低すぎるんです。
15 #scene6b 「#Scene6a」に続き、同じムービーの終盤で流れる曲です。長いあいだ拒否してきた愛情という感情を目の当たりにし、「いまさら」「こわい」「心が溶けちゃう」と乱れる心を露わにするシャルロッテ。「あんたなんか大嫌い」の「あんた」は、こんなものを突きつけたクーデルカに対するものか、それとも母なのか。涙を流しながら消えていくシャルロッテの戸惑いを感じさせる重い曲。終盤ちょっと暖かみが出てくるのは、クーデルカの「愛されるってどんな気持ち?」にかかっているものでしょう。シャルロッテは召された先で、この愛を受け入れられたのでしょうか。

ただ、これどうなんですかねえ。短い曲がたて続けに来るんで、ちょっとどちらも印象が弱いかな、と。シャルロッテの「いまさら・・・愛していたですって?」のところでいったん曲が終わるのはいいとして、なんとか展開を工夫して1曲で流せなかったものでしょうか。もしくはしっかりと感情を昂ぶらせるような音量のコントロールが為されていればまた違ったのでしょうが。

どうにも短い曲が多いんですよね。あえて移動中に曲を鳴らさずイベントに特化しているのは良いんですが、そのイベントの音楽がコマギレすぎるのでは?菊田氏の音楽が好きで、ゲームをプレイせずにサントラだけ聴いている人も多いと思うんですよ。そういう人の感想も目にすることがあるのですが、あまりサントラ単体での評価は高くないですよね。そりゃ、ゲーム本編を知らないとキツいって。逆に言うとサントラとしての方向性は正しいのですが、完全に付随音楽ですから単体での鑑賞は前提としていないのでしょう。ではゲームの中での鳴り方は優れているのか?と言えば、それもどうかなあという。
16 #scene11 リバース的な弦楽器、うねり系シンセで構成されたME的楽曲。聖堂で挿入される、奇怪な巨大植物のツタがうごめくムービーで使われているものです。実際には途中でカットアウトして使っています。曲の尺はムービーの長さぶんあるので、合わせてみたうえで「途中で切ろう」という判断が行われた結果と思われます。
17 #scene4 低音のピチカートと緊張感のある弦、冷たさを感じさせるフルートが寒々しい感じを醸し出しています。牢獄の奥で、初めてシャルロッテの姿を見ることになるムービーで流れているものです。フルートは年端もいかない少女の姿、ストリングスはその何かありそうな空気(=実は亡霊だった)を表しているように感じます。「なんでこんな人の気配のないおかしな場所に、こんな小さな女の子が?」という。

淡々と「死ねばよかったのに」と笑う少女、コワいです。作品がもっと多くの人に受け入れられていれば、立派に萌えキャラになり得たのですが(それでも「シャル萌え」は少ないながらも存在してるようですが)、本作においては深田恭子似と言われるクーデルカ嬢が圧倒的に人気ですね。パンチラも頻繁ですし。あっ、サントラと関係ねーや
18 #scene2Ba 荘厳なコーラスもの。ニューゲームスタート直後、クーデルカが建物の屋根に登り、その全景が映し出されるシーンで使われているものです。後にこの建物は教会であることがわかりますが、イングランドはかつてローマ軍が占領したことによりキリスト教が普及している場所。探索の舞台となるネメトン大聖堂は、実在するセント・ディヴィッド大聖堂をモデルにしています。ゲームを通して宗教的なものをイメージさせる場面で聖歌的なコーラスが使われているのは、まさにこうした背景を反映しているものでしょう。「クーデルカ」の音楽はこうした宗教音楽と、土着的なケルト音楽を織り交ぜて構築されています。単に雰囲気や演出の都合でそういった音を使っているのではなく、きちんと根拠があるということです。
19 #scene2Bb ボーカリーズの短い曲。#scene2Baで建物の全景が映し出された後、クーデルカが屋根を伝って危なっかしい足取りで進んでいく場面で、トラック18に続いて流されているものです(ほとんど1曲のように繋がっています)。ここではクーデルカが足を滑らせるところでカットアウトされています。

宝物庫にてオフラハティが無造作に積み上げられた貴重な品々に感嘆の声を露わにするイベント(前半)でも使用されています。短い曲の多い本作においては、複数の曲をひとつのイベントで連続して流すこともしばしば。ここでは「#scene7b(トラック11)」に繋がります。

ホール廊下でのエイリアス(財宝の独占を目論む移民者)との会話シーンでもチラッと流れます。エドワードの「だが・・・」から、ピストルを取り出しエイリアスを銃殺するまでのほんの一瞬です。まあこのシーンはこんなちょこっとだけ流すなら不要でしたね。これも菊田氏の言う「演出」でしょうか?必然性のない、バラエティ番組のような「曲の無駄遣い」がちょっと目につきます。マップで音楽を流さないかわりに、イベントでやり過ぎたのかなという気はしますね。

オグデンの物置で挿入される、「プリンセス・アリス号」のムービー前半にも流れます(クーデルカが絵を見ているところ)。この曲が流れるそれぞれのイベントに繋がりはなく、テーマ的な意図は見当たりません。単なる流用のようです。
20 #scene2Bc ピチカートと木管で構成された、ホラー映画に出てきそうな曲。屋敷内に侵入したクーデルカが、床に座り込んだまま息も絶え絶えなエドワードと初めて対面するシーン。こういったシーンについては音楽的な背景はあまりなく、いわゆる劇伴ですね。

後に修道院付属墓地におけるクーデルカとロジャー・ベーコンの会話イベントにも使われます。さらにパトリック邸・書庫でのベーコンとの会話でも流れてます。何者だかわからないけど悪者ではなさそうなベーコンのテーマとして使われていますが、こちらはあくまで流用。上の「#scene2Bc」があくまで本来の用途です。しかしこの曲名も不親切ですよね(笑)。ちょっとでも気の利いたタイトルを考えてほしかった。サウンドトラックっぽいっちゃあ、それっぽいんですけど。たまにアニメとかドラマのサントラCDにもあるんですよね、「A-23」みたいな音楽メニューそのままのやつ。
21 #scene2Bd 空間音のようなシンセで始まり、そのまま……と思ったら突如としてオドカシのアタックが!パーカッションのリズムに乗せて、ストリングスとボーカリーズが恐怖感を盛り上げます。エドワードとの会話中、クーデルカの背後に迫る異形のモンスター。吹っ飛ばされるクーデルカ、エドワードは必死に銃を撃つも当たらず。「これを使え!」とその銃をクーデルカへ……という一連のムービーで流れる曲です。この後、初めての戦闘が行われることになります。

さらにゲームにおけるラスボス戦直前、逃げ場のない塔の上にクーデルカたちを追い詰めたエレインが、真の姿(最終形態)へと変容するムービーにも使われています。終盤になるほど曲の流用が増える気がするのは、時間切れなのか、それとも曲数の増加を抑えようとしたためなのか。
22 #scene14 打ち付ける荒々しいパーカッションと耳をつんざくような悲鳴系のボイス、幾重にも重ねられたシンセストリングスが恐怖感と焦燥を増大させています。聖堂にて、突如あらわれたガーゴイルのムービー後半を飾る楽曲になります。実際にはこの曲のリズムのみバージョン「#scene12c(トラック25)」のコーダを混ぜ合わせたものがムービーでは使われているようです。

サントラ全体とゲーム本編を比較すると、サントラの形のまま使われている曲はそれほど多くありません。たいていは何かのパートが抜かれていたり、途中で切られていたり、場合によっては他の曲のパーツを取り込んでいたりします。サントラに収録されているのがサントラ用にアレンジされたものなのか、実際にゲームに当てはめる前の「プレ・サントラ」なのかはわかりません。どちらにしても実際にゲームに乗せていくうえで、様々な試行錯誤があったことは推測できます。
23 #scene12a ブオンッというブラスのタッチと、やっぱり這うような不安感を生み出すボーカリーズ、トドメはドラ!聖堂で挿入される、ガーゴイル出現ムービーの序盤に付けられている曲です。ゲーム中ではやっぱり音量が低すぎてほとんど聞こえないんですが、終盤の盛り上げは聞き取れます。

ゲーム終盤、花びらの中から現れたエレインがその体を異形へと変容させ、屋根に飛び付くムービーでも流用されています。やっぱりエレイン関係は流用が目につきますね。ひとつドシッとエレインのモチーフみたいなものを用意して、それをアレンジする方向でまとめた方が印象としては……あっ、それはありがちなRPGの手法か。誰でも考えそうなことですしね。あえて避けたのでしょうね。
24 #scene12b いかにもホラーなメタルヒットME。トラック23同様、ガーゴイル出現ムービーに使われているもの。クーデルカが吹っ飛ばされた後、ガーゴイルのアップが映し出されるあたりで鳴っています。ひとつのムービーの中でこまかい楽曲が連続して使われているのがわかりますね。逆に言うと、なぜ展開を合わせたうえで組曲にしていないんだろうか、と。製作の進行に合わせて各ブロックごとに作っておき、あとでひとつにしているという感じでしょうか。
25 #scene12c トラック22「#scene14」と同じパーカッションが使われていますが、こんな曲、本編で使われてますか?「#scene14パーカッションのみ」、みたいなトラックです。おそらくガーゴイルムービーのラストで使われることを想定して作られたものでしょうが……。最後に挿入されるシンセストリングスのフレーズはわりとあちこちで聞くサンプルで、ムービーではこの音色とドラのようなシンバルだけは確認できますね。

シーン名が連なっているのでこの場面で使うつもりだったのは間違いないのでしょうが、実際にムービーで使われているのはトラック22「#scene14」。ただし「#scene14」にはないコーダが付いているので、そこだけこの「#scene12c」を混ぜているようです。つまり、「#scene12c」と「#scene14」をミックスしたものが実際のムービーで使われているバージョンということですね。めんどくさ。
26 #scene15a トラック23「#scene12a」によく似た構成の曲ですが、よりゴージャスになったバージョンといった感じ。鐘・ボーカリーズ・ドラは本作の音色としては欠かせない要素です。その要素がひとつになったこの曲、筆者はゲーム中で確認できていません。シーンナンバー的に終盤のエレイン絡みで使われているとは思うのですが、明確にこの曲だと断定できる場面がありませんでした。他の楽曲を考慮すると、サントラに本編未使用楽曲は収録されていないように思えるので、どこかで流れているはずなのですが。

未熟な筆者の聴き取り能力不足もあるとは思いますが、やっぱり効果的ではないんでは?どこで流れたのかわからない曲があるって、おかしいですよ。リアルタイムで何周もプレイし、かつレビューを書くにあたって再プレイし、ビデオに録って全編見直してる筆者でも確認できないって、変ですよ。そりゃフツーにプレイしてるユーザーにはまず届きません。あとはウチのテレビがおかしいか、筆者の耳がイカレてるかのどちらがですが、少なくとも他のゲームでは大丈夫でした
27 #scene15b 本作には珍しいカラーとなっている曲。ベースを刻むかのようなピアノが混乱した様子を感じさせます。ゲーム中では終盤も終盤、エドワードの銃撃によって床に落ちたエレインが、その身体をポキポキと鳴らして変容し、危険を察知して走り出すクーデルカたちを追い始めるムービーで流れるものです。やっぱり音量のおかげで聴き取り難いのが残念。リズムもここまで長くは使われておらず、ムービーの終わりとともに切られています。個人的には、このリズムをクーデルカたちが階段を昇っていく移動中にも引っ張ればいいのになあ、と思いました。あまりにブツ切りで曲がもったいないです。というか可哀想ですよ。

というより何より、エレインこわすぎるんですけど。
28 #scene18 荘厳な男声コーラス。何と歌っているかはわかりませんが、エレイン最終形態に負けた場合のエンディングムービー前半で流れます。ずっと盲目的に神に従っていたオフラハティが、初めて神に問いかけ、自らに罰を与えるかのようにエレインに立ち向かいます。かかげた十字架の奇跡か、神の慈悲か……エレインはヒトの姿を取り戻し、オフラハティとともに天に召されていくのです。

どうやらオフラハティは帰らぬ人となったようですが、解釈によってはきっと幸せになったんでしょう。「エレインを倒したエンディング」ではパーティキャラは全員生き残ってはいるものの、誰ひとり報われないように見えます。対してこの「エレインに負けたエンディング」は、エレインもオフラハティも救われたように思えますし、残るふたりもなんか前向き。どちらがグッドエンディングかはプレイヤーそれぞれの感想に委ねますが、個人的にはやはり負けエンドがグッドかなあ、と。なんかクーデルカとエドワードは巻き込まれただけ、という気もしますが。

はっ!?だったら最初から戦わないで、十字架のお世話になれば良かったんでは?まあそれではあまりにナニですが、ユーザーの中には「戦闘がなければ名作だったのに」とまで言い放つ人もいるんですヨ。そりゃRPGじゃねえだろう。
29 #scene17 鐘、鈴、弦、声。本作品のテーマ的な音色が勢ぞろいしたトラック、エレイン最終形態を倒した場合に流れるエンディングムービーの前半に流れるものです。その体のあちこちを崩しながら、一瞬まともなヒトの表情を取り戻すエレイン。その唇はなにか言葉をつぶやいているように見えますが、時すでに遅し……。炎に包まれて絶命してしまいます。

この一瞬だけ、エレインの魂が戻ったということなんでしょうか。「身体を滅ぼして下さい」というのは彼女自身の願いでしたが、それが報われた瞬間に待つのは再度の「死」。悲劇だなあ。

こういう劇判曲のコーラスについては歌唱のクレジットがないのですが、サンプリングでしょうか?その場合、歌詞があるように聞こえても「それっぽいアリモノ」だってことですよね。こういうゴスペル系のサンプリング素材っていっぱい出てるからなあ。
30 #scene19 ギターを使っている曲も、本作では珍しいのではないでしょうか。印刷室で挿入されるムービーがこの曲の初出になります。ナイフでドスッの後、生命の木(セフィロトの樹)が映し出されるあたり。ちなみにこのムービーで初めてエレインの名(と顔)が出てきます。

シーンナンバー的に終盤でもう一度使われるだろうと思ったので、あえて「この曲の初出」と書いたのですが、以後は出てきませんでした……。このシーンナンバーはどういう基準で付けられているのでしょう?基本的にはストーリー進行に添っていると思うのですが、たまにこういう「抜け」が出てくるんですよね。本来はエンドまわりで使われる予定だったのか?それともムービーの作業上の製作順か?ナゾは尽きません。
31 #scene20 ケルティックな楽曲。一人になったクーデルカが図書館(印刷室)でパーティと合流し、管理人夫婦が死んだこと、夫婦の行い、彼らはエレインの復讐をしていたのだと告げるイベントで使用。音の印象としてはトラック12「#scene7c」と共通性を持たせると同時に、事実を知って戸惑うオフラハティの心情も表しているようです。

エレイン最終形態を撃破した場合のエンディングムービーでもこの曲が流れています。後半、オフラハティがひとりつぶやく場面ですね。「死は想い出、想い出は永遠の絆・・・」、上のイベントと同じ曲が流されるにじゅうぶんな根拠があり、こういう演出は大歓迎です。

一方で、オフラハティがいない「エレインに負けたエンディング」の後半部分でも使われています。事件から一夜明け、テントから出てくるエドワード。テントの中では上着を着ていないクーデルカが髪を結っている……お前ら、テントの中でなにしてたっ?!寝てただけですか?ほんとかよ?まあいいや、それでクーデルカの馬に乗って旅立つエドワード。ベーコンの「後を追わなくていいのか」の問いに「また会えそうな気がするから・・・」って、オマエらそんな仲だったっけ?やっぱりナニかあったんだろう、テントの中で!……コホン、まあなんとなく前向きなラストでいいんじゃないですか。ところでクーデルカはこの後どうしたんでしょ。ここに留まったのでしょうか。ミイラじいさんといっしょに……。
ボーナストラック ライブテイク
32 Live Waterfall ザコ戦BG「Waterfall」のライブバージョン。ここからは99年の「SNK・サクノス新作発表会」で行われたライブを録音したものになります。ゲームの中での特徴的なパーカッションはなく、メロがエレキギターになっておりかなりベツモノになってますが、カッコイイ。普通にフュージョンしてます。新作発表会ってことは、「クーデルカ」ではこういう曲が流れるに違いない…と思ってしまった来場者もいたのでは?コーダのあとには拍手も入っており、図らずも発表会の規模と来場者の数を想像させる「演出」になっております。
33 Live Incantation
(Vo:田中玲美)
戦闘で最も多く流れる「Incantation again」ですね。正しくはシングルCD(下記コラム参照)に収録の「Incantation」のライブ版ですが、サントラリスナーは単純に「Incantation again」のライブ演奏として楽しんでも問題はないでしょう。「アーメン」と言ってるようなコーラスから、ゲームサウンドバージョンでの印象的なメロディがボーカリストによって歌われます。こういう声が出せるボーカリストさんは大事にしなければなりませんね。

ギターがかなりうまいこと民族楽器っぽく使われており、どこの国の音楽かわからない、ケルトでもない無国籍感が出ております。けっこういろんなパーカッションが鳴っているのにパーカッショニストの表記はなく、ボーカルもコーラスとダブリングしているのにコーラスの表記もなし。事前に録音しておいたベーシックトラックを流しながらの演奏でしょうか。
34 Live Patience エレイン中間形態戦の「Patience」です。バトル音楽を集中してライブでやったのですね。アレンジは菊田氏ではない方(秋元直也氏)が行っており、バトル音楽一連はかなり早期に作曲されていたと推測できます。「Kiss twice」が演奏されていないのは、さすがにラスボスの曲を発売前に披露するのはいかがなものか、という判断からではないでしょうか?

この「Patience」は前の2曲とはちょっと違う方向でアレンジされており、バトル音楽とはわからないようなバラードになっています。聞いた人はテーマ曲かな、イベント曲かなとさまざまな想像を膨らませたのでしょうが、どっちもハズレでした。
サントラ未収録曲
・マップによっては流される、空気音のような低音のエフェクト(ほとんど効果音ですが)
・レベルアップした際、戦闘終了後のポイント振り分け画面で流れる曲
・牢獄・赤い部屋でクーデルカが降霊をする時に流れる高音シンセの持続音(MEですね)
・↑シャルロッテとの会話シーン(地下牢)でも使われてます。「ゴーストのテーマ」?
・東屋(ギロチン部屋)などで流れるような、なんとも言えないベース音の類
・「天使の間」仕掛け床のオルゴール
・メロディディスクを使った際のオルゴール
・書庫におけるベーコンとの会話中(2回目)に流れる風音のような持続音
・生命の大釜の前でパトリックの亡骸を発見するシーンのアタック

あまりに効果音的な、旋律のないMEや繰り返しの短い曲は収録されていない傾向があります。
関連CD
非売品シングルCD ゲーム初回盤特典シングルCD
「THE MUSIC OF KOUDELKA」


非売品 型番なし SACNOTH/SNK 1999年

ゲーム発売直後、数量限定の特典として配布されたプロモーション用CD。筆者がいかに本作に期待し、早期に購入したかがわかろうというものですね(笑)。もちろん非売品ですので、現在での入手は大変に困難だと思われます。菊田音楽ファンはゲーム本編を売っ払ったとしても、このCDだけは手放さないというウワサ。収録曲は「Incantation」「Incantation+」の2曲で、作編曲はもちろん菊田裕樹氏、コーラスはおおたか静流女史。「Incantation」はサントラに収録のライブバージョンとほぼ同じ、人声によってメロが奏でられるアレンジになっています。パーカッションは生演奏ですが、他の楽器はすべてプログラミング(orサンプリング)のようですね。いかに曲の要素としてパーカッションが大事にされているかがわかります。「Incantation+」はおおたか女史のコーラスを抜き、ゲームバージョン同様の笛によるメロディに差し替えられているもの。よりゲーム中の音に近いということです。

この「Incantation」は菊田氏によるとオリジナルということで、もっともゲームのイメージが投影されているようです。ゲームで使われている「Incantation again」はアレンジ版、という位置付け。「Incantation」はサントラへの収録も検討されたようですが、二次使用料などの面で問題がクリアにならず、実現しなかったもよう。著作者自身でも自分の作品についてどうにもできないことがあるんです。
ミシェル・コルボ「デュリュフレ:レクイエム」

ワーナー WPCS-11495 1986年

「クーデルカ」でエンディングに使用されている、モーリス・デュリュフレの「Ubi Caritas et amor」を収めたCD。「Ubi Caritas et amor(いつくしみと愛のあるところ)」は、「グレゴリオ聖歌による4つのモテット Op.10」のうちの一節。この曲はデュリュフレの代表作「Requiem Op.9」とカップリングされることが多く、収録CDも数種類あるのですが、この盤が国内盤としては最も入手が容易ではないかと思われます。対訳もあるので重宝しますね。一時は版元の都合で廃盤となっていましたが、2003年に再発売されました。アルバムはコルボの名前になっていますが、彼が棒を振っているのは「Requiem Op.9」のみ。「Ubi Caritas et amor」はジャン・スーリッス指揮、パリ<アウディテ・ノヴァ>声楽アンサンブル歌唱。


このCDを購入できます。
デュリュフレのCD
Ubi Caritas et amor(いつくしみと愛のあるところ)

いつくしみと愛のあるところ、神はそこにおられる。
キリストの愛がわれらをひとつに集め給うた。
われらは喜ぼう、その愛そのものに感謝しよう。
生きておわす神を恐れ、かつ愛しよう。
そしてひたむきに、心から崇めよう。アーメン。

総評として・・・
あえて移動画面(探索中)は音楽を流さず、環境音だけで勝負したのは好印象です。なかなかできることじゃありませんし、これって環境音をしっかり作り込んでいないとできないんですよね。ゴマカシがきかないですから。本作で言えば、地下では水滴の音がしていたり、水が流れる場所ではその音、壁に松明があればパチパチパチ……と効果音をしっかり鳴らしておくと。これにより、雰囲気の似た「バイオ」とも「パラサイトイヴ」とも違った空間が演出できていると思います。独特ですね。この演出はユーザーの多くにもおおむね好評のようです。

ただ、そのぶんイベントに集中することになる楽曲には注意を払わなければなりません。普段音楽が鳴っていないぶん、ここぞという音楽は目立つのです。目立たなければ、移動中の曲をなくした意味が根底から崩れてしまいます。では、このゲームはどうか?というと、目立ってません。各曲のレビューでもさんざん書いたのですが、ゲーム中での曲の音量設定が甘すぎます。本当の意味でBGM(バックグラウンドミュージック)に徹しており、プレイヤーの感情に働きかける効果はまるでないと言ってもいいでしょう。鳴ってても、鳴っていなくてもたいして影響がない。これではせっかくのイベント音楽も意味がありません。「音楽が主張しすぎず」とか、「全体が調和している」と褒める人もいるのですが、筆者に言わせればこれは調和なんてイイもんじゃなく、単に引っ込んでいるだけ、ですよ。

細かい(短い)楽曲が大半を占めるのも裏目に出たな、という感じがします。普段は曲が流れない、よってイベントの音楽は強烈な印象となって残り易い……はずが、あまりに細かい曲を断片的に流した結果、かえって曲数が増大しひとつひとつの印象がきわめて薄くなってしまっているのです。しかも特定の曲をのぞき、ひとつの曲はゲーム中でそう何度も流れない。サントラを聴いても「これ、何の曲?」と思われる人は多いようですが、以上のような「ゲーム中での音量の低さ=聞こえない」「曲数の増加=印象に残っていない」が原因でしょう。もっとも菊田氏がそもそも「効果的な演出に長尺の音楽は必ずしも必要じゃない」という考えを持っておられる方のようですので、これはもう狙いなんだなと思うほかないんですが。

音の鳴るキッカケ、なくなるタイミングも曖昧で、映画的と賞賛することもできるのでしょうが、やっぱりゲームとしてはわかりにくい。イベントにおいてはなんとな〜く流れ始め、いつの間にかスーッとなくなっていることが多いのです。明確なセリフとか、そういったキッカケで曲が鳴り始めることはまれでした。そうなってくると、「ここ、ムリヤリ音楽流す必要あるのか?」と疑問に思うケースも出てくるわけです。

キッカケと言えば(サントラとは関係ないんですけど)、たとえばメロディディスクを使って「研究日誌」を手に入れるところ。メロディディスクをセットすると「ディスクがまわりメロディーが流れ出した」というメッセージが表示されるのですが、メロディーは実際には流れません。引き出しがカチャッと開いて日誌を入手、画面が通常の移動画面に戻るとやっとオルゴールのメロディーが流れるのです。これはあまりにお粗末な「演出」ではないですか?やっぱりメッセージとともに流れるべきでしょう。音楽屋をやっていた人が演出にこだわった結果がこれでは……。

以上が実際にゲームをプレイしての、楽曲に対する印象です。使い方は決して誉められませんが、それと楽曲単体の良し悪しはまったく別であることは理解して下さい。ただ、音楽をやっていた人が自ら全体の演出をした結果、映像面に意識がいきすぎたのか得意分野であるはずの「音」の演出がイマイチ、ということが言いたいわけで。音楽屋(御本人はそう思ってらっしゃらないとしても)ならではの音の演出に期待したんですが。

あと、楽曲に関したことではないですが、上で「曲を鳴らさないためには環境音が重要」と書きました。そこにもひとつ難点があります。プログラム的なことなのでしょうが、たとえば水が流れている場所で、移動中にチョロチョロと音がしている、それはいいのです。が、ひとたびそこでイベントが始まるとなると、暗転とともに水の音が途切れる。イベントが開始されるとまた背景でチョロチョロと水の音がし始め、イベントが終わればまた途切れる。移動画面に戻るとまた鳴り始める……という具合に、環境音がブツ切れになるのが気になりました。これを繋げることができていたら、ゲーム全体の音の流れがずいぶんスッキリしたのになあ、と残念に思います。プレステの性能では難しいのかもしれませんけど、「バイオハザード」シリーズなんかはこれが気にならないように上手くやってたと思うので。

そろそろまとめますと、全体に非常にもったいないということ。音楽よし、効果音よし、セリフもよし。これがゲーム本編で合わさった時のバランスがあまりにもったいないのです。ここをもうちょっと詰めていたら……。時間的に許されなかったのかもしれませんが、非常に「惜しい」です。これはまあ、ゲームそのものにも言えることなんでしょうね。ほんと、もっと調整に時間が取れたら、類稀なる名作に仕上がった可能性もあるんですよね。そうしたら「シャドウハーツ」ではなく、「クーデルカ2」があったかもしれません。新品が数百円で投げ売られることもなかったのではないでしょうか。個人的には好きなんですよ。好きなだけに「惜しいなあ」と

ゲームの方もどうぞお楽しみ下さい。
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新品在庫まだまだありそうです。