GAMERS EDEN ゲーム音楽 ゲームサントラ レビュー | ||||
交響組曲 ドラゴンクエストVII 〜エデンの戦士たち〜 オリジナル・サウンドトラック |
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前作「VI」から5年の歳月を経て登場した、初のプレイステーションプラットフォームでの「ドラクエ」。時代の要請か必然的に3Dになったものの、制作者による試行錯誤の積み重ねによって、SFC時代までの2Dの雰囲気と独特の味わいを損ってはいない。過去シリーズのファンでも違和感なくプレイできるだろう。音楽はもちろんすぎやまこういち氏が担当し、「これぞドラクエ」と膝を打ちたくなる楽曲の数々は、作品におけるシリーズ不変のイメージに大きく貢献している。CDにはオーケストラバージョンとゲーム音源の双方を2枚のディスクに収録。 Sony Music Entertainment SVWC 7052〜3 2000年 JASRAC表記:あり このCDを購入できます。 |
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ゲーム紹介 スーパーファミコンでリリースされた「ドラゴンクエストVI」。それから間もなく、ゲームの主戦場は次世代機と呼ばれるハードへと舞台を移し、これによって多くのゲームが3D表現への挑戦を余儀なくされた。エニックスは市場のシェアをにらみ、「ドラクエは最も普及しているハードで出す」という一貫したポリシーに基づき、「ドラゴンクエスト」の最新作「VII」をプレイステーションに投入することを発表。誰もがその時、プレステの完全勝利と任天堂(64)、セガ(サターン)の低迷を確信したに違いない。 制作陣がまず行ったこと、それは「2Dにするか、3Dにするか」の検討。本当に「ドラクエ」を3Dにしてよいのか?2Dでいいのではないか?もし3Dにするのなら、どうすれば最も「ドラクエ」らしくなるのか?試行錯誤を重ね、いくつものテストマップが作成された。過去のシリーズ作品のマップを3Dで作成してもみた。そのうちに「ドラクエらしい3Dでの表現」が見えてくる。2Dの手触りと暖かみを残しつつ、3Dとして成立させる……。3Dを初めて制作するチームとは言え、彼らが手掛けるのは「ドラクエ」だ。ヘタなものは作れない。「FF」とは違うのだ。「ドラクエ、変わっちゃったね」と言われたら、それは即ち負けなのだ。 「ドラクエらしさ」はなにもグラフィックに限られた要素ではない。独特のテンポ感もシリーズを語るうえでは外せないだろう。3Dになることで、そして何よりディスクメディア(CD-ROM)を用いることにより、シリーズが誇る心地よいテンポ感が損なわれるのではないか?制作者のみならずユーザーが最も危惧したところだ。そこでメインプログラマーの山名学氏は、一説には特許を取得したとも言われる裏技的プログラムによって、CDのローディングに伴うロスを最小限にしてみせた。ドアをくぐってマップが切り替わるタイミング、エンカウントしてから戦闘画面に移行するテンポなど、手触りは驚くほど「ファミコン時代のそれ」であった。彼らの試行錯誤はプレイステーションというハードに移ってもなお、ドラクエシリーズにおける「不変の気持ち良さ」を具現化したのである。 だが、シナリオの遅れも影響したのだろうが、その慎重すぎる試行錯誤に費やした年月は膨大なものとなり、一方の「FF」がプレステで「VII」「VIII」をリリースする間も、「ドラクエ」は沈黙を貫いた。皮肉にも「ドラクエVII」の発売は「FFIX」ときわめて近い時期となった。それは即ち、いやでも比較されることを意味している。結果、開発の初期に制作したのだろうか、「ドラクエ」シリーズに初めて挿入されたCGムービーは「FF」その他と比べて時代遅れのものとなり、ユーザーから「ショボい」「ドラクエにムービーは不要」と批難されてしまう。また、制作陣が苦労を重ねて作り上げた「ドラクエらしい3Dグラフィック」も、他の最先端CGによって目の肥えたユーザーの目には「古臭い」「ダサい」「3Dにした意味がない」とさんざんな評価をされてしまったのだ。 しかし、そこはさすが「ドラクエ」。「VII」はそれまでのプレイステーションプラットホームにおける最高記録であった「FFVIII」の売り上げ本数を難なく追い抜き、唯一400万枚売れたソフトとなった。もちろん、「FFIX」には売り上げの点で圧勝である。徹底して「ドラクエらしさ」を追求した結果、オールドファンが安心して手に取ることができ、シリーズのネームバリューとゲーム業界の熱気も手伝って新規ユーザーをも掴むことに成功したゆえの数字である。なんだかんだ言っても5年ぶりの「ドラクエ」を、多くの人々が待ち望んでいたのである。 とは言え、それだけ売れたソフトだからこそ無視できない問題も出てくる。ゲームプレイ中におけるフリーズ多発などの不具合がそれだ。その原因は、良かれと思って仕掛けたプログラムにあった。そう、CDのローディングを可能な限り早くするために用いた「裏技」が、逆に正常なゲームの進行を妨げてしまったのである。インターネットの加速度的な普及もちょうどこの頃であり、掲示板やゲームサイトではこのフリーズ問題の話題を目にしないことはなかった(エニックスは公式サイトにお詫び文と対処法を掲載した)。 筆者は個人的に「VII」を「ドラクエシリーズ最低の作品」と評している。ゲームが正しく進行しない不具合を含んでいる作品を、お世辞でも褒めるわけにはいかないからだ。ただ、「最低」の理由はそれだけではない。寄り道もせず、やり込みもせず普通に進めてもクリアまでに100時間はかかるであろうボリュームは、いくらなんでも「やりすぎ」なのではないか。「ゲームは高いものだから、なるべく一本で長く遊びたいでしょ」という堀井雄二氏の考えは理解できるし、それでもしっかりと「見えざる手」に導かれていれば快適な100時間を過ごせるだろう。しかし本作は違っている。基本的にはショートストーリーのような短い「おつかいミッション」の繰り返しによって展開していくため、個々のイベントにおける差異こそあれど似たような手順の繰り返しになりがちで、先の展開も読めてくるしなにしろ飽きてくる。それを回避するためかパーティメンバーの強制的な入れ替えを発生させたり、新たな世界に足を踏み入れるために必要なアイテム「石版」を世界中に散りばめてみたりしているが、メンバーの入れ換えに伴うアイテムの消失(実際には見失っているだけだが)や「石版が見つからない」といったプレイヤーに起因するトラブルまで、先の不具合の印象からか何でもかんでも「バグだ」と言われてしまう不幸に見舞われてしまったのもまた事実なのだ。 ユーザーの感想を見る限り、「VII」はシリーズの中でも不人気だと言わざるを得ない。程度の差こそあれど、同じような不満を抱く人が少なくないのである。その煽りを不当に喰らってしまったのが、本作の楽曲たちではないだろうか。「ゲームが不当に長すぎる=何度も同じ音楽を聴かされてウンザリ」、「ゲームそのものに飽きてきた=音楽にも興味が持てない=印象に残ってない」などの意見は、ソフト発売後1年間は多数派だったのだ(はっきり言うと、「VII」の曲は圧倒的に不人気だった)。が、それ以降はCDを聴き込む人も増え始め、楽曲の再評価がなされてきた。「今になって聴くと、思ってたよりも良い」「オーケストラ盤を聴いたら評価が変わった」「VIIの曲がシリーズ最高」といったような、ソフト発売直後ではまず目にしなかった感想が今では少なくない。ゲーム本編の評価が音楽の評価にも影響することはごく当たり前のことであり、それと切り離した時……ある一定の時間が経過した時、その評価が変わることももちろんあるだろう。 さて、前置きが少々長くなってしまったが、ここからが本題。ゲーム音源の単体トラックとオーケストラバージョンを組み合わせた正当なサウンドトラックCD、それがここで御紹介する「交響組曲"ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち"+オリジナルサウンドトラック」である。この形態はスーパーファミコンの「VI」から採用されたもので、ドラクエ音楽ファンにとってはゲーム音源もオーケストラも楽しめるありがたいものと言えよう。音楽を担当するのはもちろんすぎやまこういち氏だ。オーケストラバージョンの演奏はおなじみロンドンフィルハーモニー管弦楽団、ゲーム音源のサウンドデザインは多和田吏氏による。シナリオのボリュームがそうとうなものであるため、楽曲数も「VI」に輪をかけて増加傾向にあるが、可能なものについては同じメロディ(もしくはモチーフ)を使うことで印象の低下を防ぐ努力が見られる。このあたりはすぎやまこういち氏の持論「やみくもに曲数が増えると1曲ごとの印象が弱くなる」に基づいたものであろう。氏が「3Dとなったドラクエ」にどのような曲を与えたのか、じっくり聴いてみることにしよう。 |
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DISC 1 | ||
01 | 序曲のマーチ VII OVERTURE VII |
「ドラクエ」の交響組曲はこれがなくちゃ始まらない!おなじみの「序曲」です。今回は曲名にシリーズナンバーである「VII」が加えられました。そして、その演奏を聴いた際の第一印象は「ドハデ!」です。最大の特徴は、このトランペットでしょう。これが「序曲のマーチ VII」を、それ以外のなにものでもなくしているのです。他のシリーズの「序曲」と聴き比べるとすぐにわかります、「高い」んです。これ以上高い音は出ないヨ、というぐらいのハイノート。これが他の「序曲」にはないド派手さを出しています。また、派手さを感じさせるのはそれだけではありません。イントロで鳴らされるシンバルの位置がこれまでのものとは変わっているのです。これによって音のアタックにあたる箇所が増え、インパクトを増しているのです。また、テンポもずいぶんと早くなっており(おそらくここまでのシリーズ最速)、全体に疾走感がありますね。 演奏はかなり金管群を強調したバランスで収録されており、それもハデさに拍車をかけています。「VI」で天空編が終わり、「VII」からの新シリーズになってもイントロの変更はありませんでしたが、この勇ましさ抜群の編曲は新たな冒険の幕開けにふさわしい逸品。思わず興奮してしまいます。なお、今回は主題を繰り返し2度演奏する形式を採っています。「V」「VI」のものはコンパクトでやや物足りませんでしたが、やっぱりリピートがあると楽曲の説得力がグンと増しますね。 演奏を担当するのはドラクエファンには既におなじみ、ロンドンフィルハーモニー管弦楽団。すぎやまこういち氏とはもはや「ツーカー」なのでしょう、質の高い演奏を聴かせてくれます。収音はワンポイントステレオではなくマルチマイクを採用、余韻を活かしつつパートごとの輪郭が際立った、分離の良い録音だと感じます。さて、この「VII」までの全シリーズの楽曲を演奏してくれたロンフィルとも、残念ながらこれでお別れとなります。次回作「VIII」以降のオーケストラ演奏はすぎやま氏お気に入りの東京都交響楽団が担当するようになり、ロンフィルによる新規録音はおそらく今後はないでしょう。ありがとうロンフィル、さよならロンフィル。あなたたちの演奏が収録されたCDは墓の中まで持っていきます。そして、都響が演奏する「VII」の「序曲」がどうなるのか、このド派手さは維持されるのか、楽しみであり気になるところであります。 |
02 | エデンの朝 Morning in Eden |
ゲームの中で流れるものから長くも短くもなっていない、展開的にはほぼ同一の「エデンの朝」。プロローグムービーで流れる曲ですね。他に一切流用のない曲なので、「序曲」の次に位置しているわりにはそれほど重要な楽曲ではなく、印象も薄いです。 フルートとオーボエによるメロディはそのまま「朝」のイメージを暖かく伝えます。音のスキマから鳥のさえずりが聞こえてきそうです。ストリングスは、徐々に昇ってきた太陽に向かって草木が葉を向けて動き始めるイメージ。また一日が始まる、そんな躍動感を感じさせます。ハープも「VII」では大活躍している楽器。実は影の主役なんじゃないかと思っています。影とは言ってもソロで活躍する場面も多いですよ。 |
03 | 封印されし城のサラバンド Saraband |
ガラリと変わって、弦楽器のみで構成されたお城の音楽。ゲームでは2曲の「城BGM」が使われておりまして、こちらは言わば「悲しいお城」、何か問題や悲劇に直面しているような城で流されるものです。楽曲を聴けば情景が目に浮かぶようですね。 ついつい主旋律を担うヴァイオリンなどに耳がいってしまいますが、このふくよかな低音はどうしたもんでしょう!これがなかったり、もう少しでも小さかったりしたら、楽曲の印象がまるで変わってしまいそうなほどにズッシリと響き、重々しいお城の雰囲気を脳裏に描き出してくれます。そうかと思うといつ間にか主旋律がチェロにバトンタッチしていたりして(1分15秒あたり)、これにもウットリさせられますね。どれかひとつでも欠けると成立しなくなるほど、弦楽としてのまとまりはカンペキです。各パートのバランスや定位も申し分なく、シリーズの弦楽録音の中でもアタマひとつ出ています。 プレイステーションになってゲーム中のサンプリング音源もだいぶリアルさを増してはきましたが、当然のことながらオケの説得力にはただただひれ伏すしかありません。 |
04 | 王宮のホルン Echo of Horns throught the Castle |
「V」の「王宮のトランペット」以来、再び金管が主役となったお城の音楽。こちらは明るく華やかな、平和なお城で使われる楽曲です。ホルンと弦のみという編成で、キモは何と言っても曲名にもなっているブ厚いホルン。このホルンが奏でる冒頭の主題、これを弦に受け渡したり、それをさらにホルンが追いかけたりしながら展開していきます。まるでホルンと弦が会話をしているかのよう。「珍しく主役になったんだから返せよぅ〜」なんて言いながら、ホルンが主題を奪い返したり(笑)。このかけあい、主題の反復によって、本作の楽曲たちの中でも最も覚え易い曲になっていると言えます。 ちょっと短いのが残念ですね。ゲーム中のお城ではずーっと鳴り続ける曲ですから、もう1周ぐらい聴かせてほしいところです。 |
05 | のどかな家並 Heavenly Village |
主に村、小さな町で流れる楽曲。のどかな風景には木管がよく似合います。クラリネット、フルート、オーボエといった「ドラクエ」の定番楽器が、素朴な人々の暮らしを彩ります。どこか海の香りが漂い、砂浜のイメージが頭に浮かぶのはフィッシュベルの印象か、それとも流れるようなストリングスか、はたまた打ち寄せる波を想起させるハープのせいか。 パート数は決して多くはないのにも関わらず、リスナーを包み込むような音場形成も特筆もの。大掛かりなステレオシステムで聴くと気持ち良さが倍増します。なかなか難しいとは思いますが、普段ヘッドフォンやラジカセで聴いてる人には、ぜひしっかりセッティングされたシステムで音に浸ってみてほしいと思います。安い音源では音楽は楽しめない、なんてオーディオマニアみたいなことを言うつもりはないのですが、まったく違った聞こえ方を体感すると、音楽の印象も変わり得るんですよ。 |
06 | 哀しみの日々 Days of Sadness |
ゲーム中では苦悩している街で流れる曲です。イベントBGではなく街BGなんです。ずいぶん「語る」タイプの曲が流れるんだな、と思われるかもしれませんが、次の「憩いの街角」とのギャップを意識してあえてこのような曲を充てたのだと思われます。 さて、弦によるユウウツさたっぷりのイントロから入りまして、感情を乗せたハープが楽曲の序盤をリードしていきます。44秒からは主役の座を弦にバトンタッチ、こういった歌い上げ系の旋律はまさに弦の独壇場ですね。それでもハープは退場するわけではありません。伴奏でしっかりとその存在を主張しています。2分4秒は楽曲の折り返し地点、ここからは完全に弦が主導権を握ります。本当にこれがゲームのBGMなのか?と、知らない人が聴いたら驚くほど語るこのテの曲は、すぎやまこういち氏の十八番。こういう曲を得た「ドラクエ」は本当に幸せだなあ、すぎやま氏と出会った「ドラクエ」はラッキーだったよなあ、としみじみ思わされますね。それにしても、後半は姿を消していたハープがコーダでちゃっかり戻ってくるのが面白いです。 確かにこのような演奏がゲームでも流れたらそれはそれでベッタリしすぎるとは思いますが、ゲーム中ではハープ主体であっさりしたアレンジになっておりますのでご安心を。 |
07 | 憩いの街角〜 パラダイス〜 時の眠る園〜 うたげの広場〜 憩いの街角 Strolling in the Town |
ひとことで言えば「街メドレー」です。シリーズでもおなじみの構成ですね。ゲームでは個別だった楽曲たちが、組曲でどのように繋がり絡み合うのか、オーケストラバージョンを聴く際の楽しみでもあります。 一番手は「憩いの街角」。ゲームではいわゆる「街」に使われる曲です。瑞々しいストリングスが楽曲を上品にリードしながら、木管楽器たちは楽しげに歌い踊っています。そこにきらびやかなアクセントを加えるグロッケン。それぞれの楽器が行き交う人の往来を描いているよう。ストリングスが街全体の情景を広々と奏で、そこかしこでの談笑は木管、足元で無邪気に走り回る子供達はグロッケン……金管は荷物を背負った商人かな?感じ方は人それぞれですが、筆者は曲を聴いた瞬間にそんなビジュアルを浮かべました。それもリアルな映像としてではなく、ゲームのグラフィックで。それはそうと、ずいぶんこのブロックはノイズが目立ちますね。右側にいる人、なにやってんの!?あっ?これも含めて「街の喧騒」か……? 1分34秒からは主にカジノで流れる、「憩いの街角」のジャズアレンジ「パラダイス」。このまったく異なる色の楽曲を繋げてロンフィルに演奏させてしまう、そして見事に演奏してしまうロンフィルもまた凄いですね。ドラムセットが組み込まれているのもこの曲ならでは。ピアノやオルガンは極力使わないすぎやま先生ですが、ドラムについては柔軟です。しかし、フルオーケストラで見事にビッグバンドジャズを模してますね。編曲したすぎやま先生はもちろん、ロンフィルお見事! いったんすべての音を鳴り止ませ、3分36秒からはまたまたガラッと変わって「時の眠る園」。街の音楽ではありませんが、組曲にするとしたらここしかなかったかな?個人的には塔に組み入れてもよかったのでは、と思いますが……。えー、曲の方はと言いますと、これもハープが主役です。序盤はピチカートストリングスも補強に回ってますね。言うまでもなく木管やパーカッションすら聞こえてきますが、主役はあくまでもハープです。最後にまたハープに帰ってくるし。 5分24秒からが「うたげの広場」で、ゲームではその名の通り、街や村で宴が開かれる時なんかに流れる曲です。これもドラムセットを入れていますが、「パラダイス」とはその用途が少々異なり、ビート感をだいぶ強調しております。かつての「ドラクエII」を思わせますね。「ドラクエ音楽」としてはかなり異色な感じに聞こえると思いますが、筆者はオケバージョンを聴いて「ずいぶん上品になったな」と思いましたよ。中にはオケしか聴いていない人もいると思いますが、ためしにゲームバージョン(Disc2・track12)も聴いてみて下さいよ、っと。ただ、組曲化にあたって原曲の後半部分がカットされたのは残念。大盛り上がりの後の木琴メロがいい味出してたのに。もうひとつ言うなら、ハイハットに全部持っていかれてタンバリンがなくなっちゃったのが悲しいっス。 そして6分21秒から「憩いの街角」を繰り返し、「街メドレー」は幕を閉じます。毎度のことながらタイプの異なる曲をうまいことメドレーに仕上げてしまうもんです。「つなぎ」という点では「時の眠る園」がちょっとジャマをしている印象が否めませんが……。 |
08 | 失われた世界〜 足どりも軽やかに Memories of a Lost World〜 Moving through the Present |
続いてはフィールド組曲です。本作は大雑把に言ってしまえば2つの世界が存在してまして、それぞれに流れるフィールドBGMが用意されているんです。それがここの2曲。最初は事件が発生している世界のフィールドを彩る「失われた世界」で、言わば「封印されし城のサラバンド」「哀しみの日々」とはセットのようなものです。平和な世界とそうでない世界を、音楽ではっきり色分けしてあるんですね。 イントロを聴いた瞬間、見事にゲーム音源版を再現していたので驚きました。逆に言えば、ゲーム音源版が細部までオケを見据えて作られているということですね。この印象は曲が終わるまで変わりません。ハープの伴奏から始まり、フルートによるメロディを弦がしっとりと支えます。そのうちその弦がメロディを引き継ぎ、1分4秒からのリピートではクラリネットからチェロへと、低音部がメロディを受け持ちます。木管楽器から弦楽器への受け渡しが特徴的な展開になっています。それにしても右側にいるヤツ、あいかわらずうるせーな!オケ録音でノイズ出すなとは言いませんけど、ノイズが聞こえる場所がいつも同じだよ!無神経な人がひとりいる予感。 2分ちょうどからは平和な世界でのフィールドBGM「足どりも軽やかに」。しっとりとした「失われた世界」とはうって変わって軽快な行進曲となり、前面に出てくる楽器に金管が加わります。というか金管が主役。こちらもゲーム音源をストレートにオーケストラ化したような、原曲重視のアレンジになっていますね。 |
09 | 迫り来る死の影 Shadow of Death |
洞窟BGM「迫り来る死の影」は、ゲームでは3タイプのバージョン違いが用意され、ダンジョンによって使い分けられています。オーケストラバージョンはまず、ゲームでの「バージョン3」にあたる曲からスタート。冒頭の低弦による旋律は十二音階技法を用いたセリーで、以後このセリーを用いて展開し、他のバージョンとの統一性を保っていくことになります。このセリーはラスボス戦音楽「オルゴ・デミーラ(track18)」にも使われる、作品として重要な動機になっています。また、この「バージョン3」で聴ける低弦の刻み(34秒〜)、これもまた「オルゴ・デミーラ」と共通したもので、魔王の存在を匂わせていると言ってよいでしょう。 1分12秒からが「バージョン1」。木管のメロディが入ることでだいぶ印象が変わりますが、すぐにセリー(モチーフ)が入り(1分44秒〜)、確かにこれが一連の洞窟音楽であることを示しています。1曲の中でいろいろな表情を見せるため、「ゲームではどうなっているのだろう?」と思われるかもしれませんが、ほぼこのままです。洞窟と一言で表してもゲームでは様々なタイプが存在するため、これぐらい展開に富んでいた方が汎用性がありますし、飽きにくいと言えるでしょう。ちなみにゲームで最も多く耳にするダンジョン曲でもあります。 3分51秒から始まるドロドロストリングスは「バージョン2」のイントロ。背筋が凍るような緊張感を持つこのバージョンは、ゲームでは終盤の洞窟で集中して使われているもの。この恐さも納得ですね。すぐに共通のモチーフが現れ、恐怖感をさらに増強していきます。解説したようにもともとゲームでは3つの別バージョンだった曲を組曲にしたもので、それを知らずに聴くとひとつのライトモチーフを延々と繰り返す単一の楽曲に思えるかもしれません。まれにこれを単一の楽曲と捉え、その難解な展開・構成にアタマを捻る人を見かけますが、そりゃそうです。もとがそれぞれ別の用途・目的を持った曲なんですから。同一モチーフを使っているからといっても「同一曲」ではないんです。これが面白いところ。 |
10 | 血路を開け〜 強き者ども Fighting Spirit〜 World of the Strong |
タイトルですぐにわかりますね、戦闘組曲です。あえて横文字を使うなら「バトルメドレー」。意味はないです……。言ってみたかっただけ。オホン、最初はまず通常のザコ戦闘で使われている「血路を開け」からですね。ゲームバージョンよりもテンポが速めで、ゲームのもこれぐらいにすれば良かったのに……と思ってます。ゲームバージョンでもハイハットとスネアは採り入れられていましたが、ここではさらに開き直ってタムタムまで使ってテンションを上げております。思えば「VI」では、ドラムだらけだったゲームバージョンに対してオケではドラムを徹底排除をしていましたが、本作では逆にドラムを強化する方針でアレンジされているのが興味深いですね。管・弦ともに縦の線の揃った演奏になっており、多数存在するロンフィル盤ドラクエ音楽の中でも最も「N響的」な感覚。 1分57秒からは「迫り来る死の影」のモチーフがひっそりと奏でられていますね。これはもちろんゲームバージョンにはなかった構成。筆者は組曲におけるストーリー的演出として、「度重なる戦闘を乗り越えて、さらに洞窟の奥へと足を進める……するとそこには……」といったイメージをこの「迫り来る死の影」に込めているのではないかと思ってます。 ということで、洞窟の奥にはさらなる強敵が!2分18秒からはボス戦BGM「強き者ども」です。ゲームバージョンで使われていたポップスっぽいベースの音はもちろん姿を消していますが、やはりドラムスは強化されています。緊迫感のある弦の駆け上がりを随所に配置し、そのうえで鳴り響くブラスたちの勇ましいこと!この割れるような音こそ金管の醍醐味で、同時にサンプリング音源ではなかなか再現の難しい要素でもあります。 3分48秒から「血路を開け」をリピートして組曲をシメにかかります……と思いきや、トドメにもう一度「迫り来る死の影(5分23秒〜)」、これで締め括ります。いやー、バトル音楽はいいですなあ。 |
11 | スフィンクス〜 大神殿 Sphinx〜 Mysterious Sanctuary |
「奇跡の大建造物メドレー」。1曲目は砂漠に佇む「魔王像」内部で流れるダンジョンBGM「スフィンクス」です。ちなみにゲーム中では「スフィンクス」という呼称は使われておりません。まあ誰が見てもスフィンクスなんですけど。曲については、ゲームバージョンでの最大の特徴だったボーカリーズ音色によるコーラスパートを、オーケストラバージョンではストリングスが担当。これが不思議なぐらいに曲の印象を変えずに再現しており、ゲームをプレイした人も違和感なく聴ける仕上がりと言えます。 2分7秒からが「大神殿」。ダーマ神殿などで耳にするこの曲、ゲームでは金管のみの編成だったのですが、その音色の特質上、非常に耳に障るものになっていました。曲自体は短いのですがそれが延々とリピートされるうえ、耳につく金管ですからたまりません。ゲームバージョンのレビューで筆者は「弦でも入れて中和すれば良かったのに」と書いていますが、オーケストラバージョンはまさにそれを実行した、という感じ(2分50秒〜)。それでも曲自体が短いものであるため、オーケストラが演奏したものを聴いても新たな驚きはあまりなく、「まあこうなるだろうね」というところに留まっています。 ゲーム音源がリアルな音色になればなるほど、オケになった時の「こうなるのか!」という感動は薄れてしまうのかもしれません。無論オケにはオケの良さがありますが、オケ演奏された際の姿が想像できてしまうのです。そういう驚きは圧倒的にファミコン時代の方が上でしたね。 |
12 | 小舟に揺られて〜 海原の王者 Aboard Ship〜 Pirates of the Sea |
シンプルなワルツとなって我々の鼓膜に優しく響いてくる、海上BGM「小舟に揺られて」。これまでのシリーズでは「II」「III」と海にはワルツを用いて「ドンブラコ」を再現し、「IV」以降ではワルツを捨ててひたすら雄弁な楽曲を充ててきました。「IV」から「VI」に至るその海シリーズは名曲揃いで、ファン人気はいずれも非常に高いものだったと言えます。本作ではその雄弁な方向性をリセットし、「II」「III」を思わせるワルツを再度採り入れたのです。筆者は個人的に「II」「III」の海も大好きなので(懐古と言われるかもしれませんが)、この「小舟に揺られて」はとても懐かしく、かつ新鮮に聴くことができました。ここでの演奏も弦・木管・そしてハープというどこか懐かしい構成でまとめられており、ファミコン時代からのファンの心に染み渡ること必至。オーボエが奏でるメロディとファゴットによる伴奏が、懐かしさを助長しているのでしょう。短いのが惜しまれますけどね。 対して1分21秒からは金管も勇ましく鳴り響き、「小舟に揺られて」と同一のメロディを勇壮な行進曲として奏でる「海原の王者」がスタート。ゲームでは海賊船「マール=デ=ドラゴーン」のテーマ曲として、ゲーム終盤の海上BGMとなるものです。同じメロディを使いつつも楽曲の味わいがここまで変貌するのかという、典型的なお手本。もちろんワルツでもなくなっており、しかし拍子が変わったことによる違和感はゼロ。「小舟に揺られて」からひとつの組曲として楽しめると思います。ちなみに、すぎやま氏は先に「海原の王者」を書いてから「小舟に揺られて」を派生させたとのこと。 |
13 | 愛する人へ To My Loved One |
ゲーム音源のレビューで筆者が「オケ版を聴け!」と書いている曲です。すぎやまこういち氏渾身の愛の曲。個人的に最もオケバージョンを聴くのが楽しみだった曲でもあります。 出だしのヴァイオリンからして「やられ」ます。例えようもない情感たっぷりの美しさはもとの旋律はもちろんのこと、ロンフィルの演奏に委ねる部分が大きいことは聴いての通り。本作で大活躍のハープもまた、楽曲に潤いを与えています。美しい弦のかけあいに身悶えした後は、フルートやクラリネットによる木管がしみじみと歌い上げ、それを唯一の金管楽器であるホルンが支えます。ホルンはこういった楽曲にも邪魔をせず溶け込むことのできる、稀有な金管楽器だと言えるでしょう。 1分あたりで押し寄せてくる弦楽器の歌い上げはまさに圧巻。左側で奏でられる主旋律と、右側で奏でられている対旋律の絡み合いにはおおいに注目したいところ。どちらも主役になり得るほどの主張がありながら、決して衝突はしていない。互いが互いを支え、ひとつのハーモニーとして前に出てくるのです。 すべてのパートが「愛」を歌い、ひたすら聴く者の胸に訴えかけてくるタイプの名曲。どれかひとつが欠けても成立しない、極限の均衡が保たれた絶妙なバランス。演奏もさることながら録音もよし。パートごとの粒がはっきりと描き出されているので、各パートがどういった役割を担っているのかがダイレクトに伝わってくるではありませんか。名曲・名演奏・名録音がここに揃いました。 |
14 | 魔塔の響き Screams from the Tower of Monsters |
ゲームでは5つのバージョンが用意されていた「塔」の音楽、オーケストラバージョンでどのような構成になっているかが気になるところでした。静かに始まる冒頭はゲームでの「バージョン4」にあたるもの。ゲーム版ではシンセのボーカリーズ音色で奏でられていたものですが、ここではハープとピチカートストリングス、そしてビブラフォンが担当しています。どうしたって雰囲気は変わってしまうだろうと思っていたのですが、意外なほど原曲のニュアンスが再現されているので驚きました。 1分1秒からは「バージョン2」にあたる曲で、肌寒い感じのストリングスと木管が不安感を押し出してきます。1分58秒からがゲーム中で最も多用されている「バージョン1」。構成に最も厚みがあり、展開にも富んでいます。聴く機会の多い曲だからこそ、多くの表情を盛り込んであるのですね。不安げに緊張していながら、木管楽器がふっと暖かさを覗かせています。 最後(4分21秒〜)に「バージョン5」を演奏してこのトラックは幕を閉じます。ゲームではハープのソロで奏でられていたものでしたが、実は本来ハープのみで演奏するには楽器の特性上困難な音形で、そのためオケバージョンではピチカートストリングスがハープを補完する役割を担っています。オーケストラ楽器に精通したすぎやま氏なら最初からそれを考慮したうえで曲を作れるはずなのですが、ゲームの雰囲気を優先してあえてそうしたのでしょう。 なお、「バージョン3」にあたるものは組み込まれていません。 |
15 | 哀しみを胸に〜 やすらぎの地 With Sadness in Heart〜 A safe Haven |
個人的には「哀愁物語」の再来、ぐらいの名曲だと思っている「哀しみを胸に」。ゲーム音源版も秀逸でしたが、やはりこういった泣きの曲はオーケストラで聴けばこそ。悲劇的な幕開けからググッと引き込まれてしまいます。そしてすぐにやって来る、オーボエの切ない旋律。すぎやま氏はズルいというほどにオーボエの使い方が上手いですね。ここぞというところで胸を締め付けるような切なさをぶつけてくるのですから。そしてその直後に怒涛の勢いで押し寄せる、ダメ押しのような弦の盛り上がり。ロンフィルの一糸乱れぬ演奏が放つ「アンサンブルの説得力」は半端ではありません。このCDの中でも屈指の名演でしょう。 2分57秒からはほこら曲「やすらぎの地」。「ほこら曲」という言い方には語弊がありますが、あえて過去のシリーズに準えてカテゴライズするならば間違いなくそうなんです。「VI」あたりからこのカテゴリー分けにも無理が出てきましたけどね。だって最近の「ドラクエ」って「ほこら」がないんだもん。カムバック、ほこら。 弦と木管でまとめられた暖かな演奏は、「哀しみを胸に」で締め付けられた心を慰めるかのよう。しかし、ここは「哀しみを胸に」単独のトラックにしてほしかったんだよな〜。「やすらぎの地」は街メドレーにでも入れてさ(でもって「時の眠る園」は塔に組み込む)。2曲の方向性・用途が真逆すぎるんですよね。続けて演奏されると感情的に混乱させられてしまうんです。今回の組曲は一部に「なぜこの曲とこの曲が同じところに?」というものがあって、なんか没入感が削がれるような気が。そもそもなぜ「愛する人へ」が単独で、「哀しみを胸に」がメドレーなのか。 |
16 | 魔法のじゅうたん Magic Carpet |
ひたすら爽快で軽快な、魔法のじゅうたん搭乗時の音楽がこちら、曲名もそのものズバリ。印象としては前作「VI」の「空飛ぶベッド」に近いですね。敵と出会わずにずっと聴き続ける曲だから、快適であるべきとのすぎやま氏のポリシーは今回も反映されており、どこを切っても楽しげです。 特にこの転がり踊るようなフルートはどうでしょう。もしも私が目の前に楽譜を出されて「これを吹きなさい」とか言われたら顔面蒼白モノですが、そんなフレーズを軽快に演奏しきってしまうあたり、やっぱすげえなあ、と。CD付属の楽譜を見るだけでもう、16分音符だらけですよ。なのに演奏からはみじんも困難さが伝わってこず、「快適であれ」という主張だけが前面に出ているのです。感心するばかりです。 淡々と伴奏を繰り返す弦楽器も、宮崎駿作品における久石音楽のような愉快さを持っています。こういう曲があるからこそ、「うたげの広場」が作品の中でそれほど浮かずに済んでいるんですね。もしも魔法のじゅうたんの曲が「V」みたいな曲調だったら、「うたげの広場」が組曲全体をブチ壊すほどの破壊力を持ってしまったことでしょう(笑)。 |
17 | 遥かなる空の彼方へ Over the Horizon |
冒頭の雰囲気は「III」のラーミアを彷彿とさせる、空飛ぶ石の曲です。41秒からの再現で聴ける盛り上がりもどこか懐かしさに満ちています。でも、石っころの曲なんです(笑)。 冒頭から旋律を奏でるヴァイオリンソロは出色。本作で大活躍のハープによる伴奏も、なんとも言えない郷愁感を醸し出しています。そしてバーンと盛り上がり、もう一度主題を響かせます。そんな展開に浸っていると、1分25秒からはまるで別の曲のように姿を変えます。ダンジョンの曲かというほどに先が読めず、音に空白を持たせた展開には、「魔法のじゅうたん」のような「快適に飛び続ける気持ち良さ」は感じられません。楽曲として高度なことをやっているのはわかりますが、個人的にはこの部分はいらなかったかな。オケ版はともかく、ゲームバージョンにはなくてもよかったと思います。制作スタッフも「なんかよくわからないけど、すぎやまさんが作ったものだから?」という感じで受け入れたのでしょうか。 2分26秒からは楽曲冒頭で聴いた主題の再現、ここではおなじみのオーボエがリードします。中盤の展開に惑わされたリスナーは、またここで甘く切ない旋律に引き戻され……と思いきや、またまた現れる即興部分(3分8秒〜)。なかなか落ち着いて聴くことのできない構成です。 |
18 | オルゴ・デミーラ Orgo Demila |
圧倒的な音圧で始まる、ラスボス音楽がこの「オルゴ・デミーラ」。もちろんこの曲名はラスボスの名前です。金管は割れんばかりに咆哮し、弦楽器は金切り声をあげているかのようにヒステリック。ボスの脅威が何倍、何十倍にも増幅されています。 一部で「竜王」とも言われる金管の刻みは、「迫り来る死の影」で提示されていたもの(track9・34秒〜)。また、1分7秒からは「迫り来る死の影」のモチーフがそのまま顔を出しています。これはオーケストラバージョン独自の演出ではなく、ゲームバージョンでも見られるものです。その後もこのモチーフはそこかしこで顔を覗かせてきます。「VI」では全体を「悪のモチーフ」というひとつのライトモチーフで徹底的に縛っていましたが、「迫り来る死の影」は本作における「悪のモチーフ」であるとも言えます。 常に楽曲のどこかに「救い」を入れることを忘れないすぎやまこういち氏。悲劇的な曲であっても洞窟の曲であっても、部分的に「美しい」「暖かい」と思わせる要素を組み入れてきたのは、ずっとドラクエ音楽を追いかけてきたファンならご存知のことでしょうが、しかし、ラスボス音楽に関しては容赦はしません。とにかく恐怖・威圧・焦燥を前面に展開し、優しさなどみじんも見せません。氏の「鬼の顔」が、ラスボス音楽には凝縮して叩き付けられているのです。ラスボス戦は、生きるか死ぬか。生半可な優しさは不要とばかりに徹底的にユーザーを突き放しているのです。だからこそ印象に残るのでしょうし、支持されるのです。 ラスボス戦における音楽演出には2通りあり、ひとつは敵の側に立って圧倒的な恐怖感を描くもの。本作などはこれにあたりますね。もうひとつは主人公サイドに寄り添い、「負けるものか」という闘志を奮い立たせるパターン。「III」「VIII」などがまさしくこちらに属します。どちらの視点で描くべきかということもまた、作曲のうえで吟味されているのでしょう。 |
DISC 2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
01.凱旋そしてエピローグ Triumphal Return〜Epilogue | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なんと!1曲だけオーケストラバージョンがDisc2にこぼれちゃいました。Disc1を聴いて「エンディングがないよー」と思っちゃった人、お〜い、ここにいますよぉ〜(そんな人はいないと思うケド)。曲数が増えたこと、1曲あたりの展開が長くなったことで、1枚に収まらなかったんですね。なんか中途半端な構成になっちゃったわけですが、都響盤なんかはどうするんでしょうね? と、いうことでエンディングです。すぎやまこういち氏が本作で最も「思い入れのある曲」と語っていたものですが、それに呼応するかのようにロンフィルも気合の入った音を響かせています。が、作り手が「良い」と言うものを、我々は盲目的に受け入れなければならないのでしょうか?答は「否」です。筆者はゲームをしたうえで、この曲はシリーズのエンディングで最も印象に残らないものだと感じています。他の作品ならいざ知らず、少なくとも「VII」の最後を飾るに相応しい楽曲だとは思っていません。なのでロンフィルがどんなに素晴らしい演奏をしてくれたところで、あまり語ることがないというのが正直なところです。思い入れのない曲を語ることはできません。なぜそこまで?というあたりについてはゲームバージョンのレビューで語ってますので、興味のある方はどうぞこのまま読み進めて下さい。気分を害されたくないという方は途中で読むのをお止め下さい。 とは言うものの、オケバージョンの演奏は(全般に渡って)とにかく高い質を保っていますし、録音も非常に良いので、ひっそりとリリースされているSACD版も聴いてみたい気がしますね。ドラクエ音楽ファンの間では常識になっていますが、一般層にとってSACDというものはまったく浸透しないまま消えつつあるメディアです。まるで一時期のDCCのように(笑)。DATもそうですが、業務用ではまだまだ現役ですから。そうそう、余談ですがベータって敗北者みたいに言われていますが、もちろん民生機ではそうなんですけど、放送用ではひとり勝ちですからね。今ではHDに取って代わられてますけど、これもベーカム〜デジベ〜SXを経ての後継機みたいなところがありますし。映像業界ではイッツ・ア・ソニーなんですね。 話がズレましたが、SACDというのは「スーパーオーディオCD」の略で、簡単に言えば音質を高めた次世代音楽CDの新規格。で、この「ドラクエVII」においても、交響組曲だけSACD盤がリリースされていたんです。もちろんSACDは対応したプレイヤーを持っていなければ再生できませんが、一般の人々は現状のCDでじゅうぶんなばかりか、むしろ圧縮音源がもてはやされる時代。CD以上の高音質など(一部マニアを除いて)人々は求めておらず、その存在を認知させることのないまま消えようとしているのです。筆者のウチにはSACDを再生できるプレイヤーもありますが、互換再生機であり専用機ではなく、本来の音質は楽しめないのです。もちろん、周囲に持っている人もナシ。今となっては店頭でプレイヤーを見ることも稀になりました。うーん、一度聴いてみたい……。 |
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02.序曲のマーチ VII ・オープニングタイトルムービー ・神の復活を祝ってグランエスタードで開かれる宴〜平和を喜ぶ人々 ・エンディングのグランエスタード城でバーンズ王が宴を宣言 |
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さてさて、ここからはゲーム音源をお聴きいただきましょう。トップを飾るのはもちろん「序曲」です。余談ですが「序曲」の曲名に「VII」というようなシリーズナンバーが付けられているのは本作だけですね。オーケストラバージョンでは、かつてないトランペットのハイノートによるイントロが「VII」版序曲の特徴になりましたが、ゲーム音源の方はというとそうはなっていないようです。オーケストラアレンジした際の追加要素でしょうか。「VI」のゲーム音源と比べても特別高いということはありません。また、オケ版に見られたイントロ中の特徴的なシンバルなども、ゲーム音源版にはありません。 「I」〜「III」を「ロト編」、「IV」〜「VI」を「天空編」と区別した場合、「VII」はそのどちらにも属さない新たなシリーズの始まりとなります(実際には明確なシリーズにはなっていないようですが)。ゲーム発売前のファンの関心はというと、もっぱら「序曲のイントロはどうなるのか」にありました。「天空編」の始まりとなった「IV」からイントロが変えられたことから、再度新たなシリーズとなる「VII」で、同じようにイントロが変わるのではという予想は当然起こるものでしょう。が、結果は皆さんがお聴きの通り、イントロの変更はありませんでした。 そもそも「IV」の時にイントロを変更したのは、スタッフ内から湧き起こった「新シリーズだからオープニングテーマを変えよう」という声に対する、すぎやまこういち氏の抵抗でした。「あの曲を変えるなんてとんでもない、定着しているんだし、それならばイントロだけ変えようか」ということでイントロのファンファーレは現在のものになったのです。そしてさらに時間は経過し、「序曲」はますます「ドラクエの顔」として定着。さすがに今回ばかりは「変えよう」などという人も出なかったのでしょう。そして、特に大きな変更のないままリリースされたわけです。 しかし、「IV」「V」「VI」と天空編が続いていくなか、木管楽器の対旋律が加えられたりといった新要素はファンの楽しみでもありました。「VII」ではゲーム音源については、これといった目新しい変化はないように感じます。もちろんスーパーファミコンの「VI」と比べて、初のプレイステーションとなった「VII」の「序曲」は表情豊かなものになってはいます。ですがそれは、言ってみれば「順当な進化」であり、「V」から「VI」での「同じハードでこうも変わるのか」という驚きとはまた異なるものです。「プレステになったからこうなった」というほどのもので、大きな衝撃はなかったと思います。逆に言えば「序曲」もさすがに安定期、これ以上いじりようがないというほどに完成されたとも言えるのですが。それでも、新作が発売されて、家で初めてこの「序曲」を聴く瞬間っていうのは……無条件にゾクゾクしてしまうんですけどね。「序曲」なしではいられない身体(耳)になってしまっているのね。あ、あくまでここではゲーム音源版の話をしているんですよ。オケはまた別ですから。毎回どんな演奏になるか楽しみ。 ゲーム中における使用は3回です。最初はもちろんオープニングタイトルで、次に聴くのは終盤と言っても差し支えない時期。一度はオルゴ・デミーラを倒した主人公たち、神の復活も果たし、世界には平和が訪れたようだ、グランエスタードではさっそく宴を……というところ。FC・SFC時代なら「ひょっとしてエンディング?」と思ってしまうプレイヤーもいるだろうイベントですが、なにしろ今回はDisc2に交換して間もない頃。まさかこんなに早くエンディングなわけない、と多くの人が見抜いていたことでしょう。3回目の使用はまさに3度目の正直で、本当のエンディングです。 |
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03.インテルメッツオ ・冒険の書作成/選択画面 |
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「序曲」とともにシリーズおなじみの「間奏曲」がこちら。「ドラクエ」をプレイしていて、この曲を知らなきゃモグリですな。一応「IV」で初めて使われた曲だということも記しておきましょう。「IV」は「序曲」の新イントロやこの「インテルメッツオ」、MEの「ファンファーレ」など後のシリーズでおなじみとなる定番曲が数多く生まれた作品なんです。あ、話が横道にそれましたね。「インテルメッツオ」は新たに冒険の書を作成する際や、セーブデータをローディングする際に聴くことになるもので、すべてのプレイヤーがゲームを起動するたび必ず耳にする楽曲です。本作においてもピチカートストリングスとチキチキハイハットというおなじみの構成は不変。ピチカートの音色はかなり良い感じのものが使われており、そこに乗せられたリバーブも上品。プレステになったことで向上した表現力を早くも実感できるはずです。「VI」の「間奏曲」と聞き比べて下さい。 CDでは30秒で短く完結していますが、実際のゲームでは果てしなくループします。ところで、「VII」においてのみ表記が「インテルメッツオ」なんですよね。筆者がざっと確認した限り、他のシリーズでは「インテルメッツォ」です。思い込みから本作の曲名も最初は「インテルメッツォ」と書いてしまい、慌てて「オ」に直したぐらいです(笑)。これが誤植でないことは、後に発売された「ゲーム音源大全集」でもわざわざ「オ」にされていることで明らか。どなたかこの「ォ」と「オ」の違いのナゾを解き明かして! |
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04.エデンの朝 ・プロローグムービー |
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オープニングを放置、もしくはニューゲーム開始後に見ることのできる、記念すべき「ドラクエ初ムービー」で流れる曲です。曲調が途中で変わりますが、ムービーの展開に合わせてあるような、ないようなという感じ。他に一切流用のない曲で、まさにここでしか流れません。エンディングを迎える頃には「この曲なんだっけ?」となること必至。ユーザーからは「不要」と斬り捨てられた本作のムービーですが、このムービーがなければこの曲も存在しなかったわけで。しかしこのムービーは「主人公とキーファは常日頃からこうして探検をしていた」という、本編の伏線となるわりと重要な役目を持っているもので、ムービーの質はともかく、ゲームの導入から細かい説明を取り除き、流れをスムーズにしているのです。 曲名の「朝」はまさにムービーで描かれている時間そのもので、時を忘れて探検してたらもう朝だよ、というあたりにかかっています。「エデン」はもちろん、この世でただひとつの、そして脅かすもののない平和なグランエスタード島を指しています。そんな「エデン」に訪れた、とあるひとつの「朝」の風景、ということ。弦楽器と木管で淡く、柔らかに始まる幕開けはまさに穏やかな朝。ハープによるアクセントも清らかに、草木の息吹を描き出しているかのよう。おやおや、そんななか少年たちは大人の目を盗んでなにかやってますよ……というのが、少しコミカルな味付けのされた後半部分。構成楽器は前半と変わりません。 ところで音楽と関係ないのですが、パッケージイラストにも描かれている、主人公の頭に乗った小さなトカゲ、コレなんでしょうね?ゲームの発売前はてっきりマスコットキャラだとばかり思ってましたが、実はこのプロローグムービーにしか現れないんです(笑)。 |
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05.封印されし城のサラバンド ・悩める城のBGM ・コスタール詩人の回想(中盤部分・決意のシャークアイとコスタール王との友情) ・初めてマール=デ=ドラゴーンに接触した時の回想シーン前半(シャークアイとコスタール王) |
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本作にはお城の楽曲が2曲存在します。通常の、華やかな明るいお城には次の「王宮のホルン」が流れており、いわばそちらが「ドラクエらしい」城の音楽です。対してこの「封印されし城のサラバンド」は、封印された世界で何かの脅威に悩まされているといった状況のお城を彩る、悲しげな曲になっています。街では「哀しみの日々」と「憩いの街角」が問題解決前と解決後に充てられているように、「封印されし城のサラバンド」と「王宮のホルン」もまた、明暗という使い分けをするために対になっているわけです。サントラではこの位置に入れられていますが、ゲーム本編での初出はからくり兵に悩まされているフォロッド城になります。 本作でのお城音楽は曲名の通り「ホルン」をフィーチャーしており、その金管の勇壮な響きが聴きものとなっているわけですが、対して「封印されし〜」は弦楽となっており、音色の面でも対称的。美しくも切なく、儚げなメロディは、決して優雅とは言い難いお城の現状をこの上なく描ききっています。決してただただ悲惨に、悲劇的にはなっていないあたりはすぎやまこういち氏の人柄でしょうね。ドラクエ音楽ファンの間では「王宮のホルン」よりもこちらの方が人気があるようです。なお、「サラバンド(sarabande)」とは音楽の形式(と言うと語弊がありますが、わかりやすく)。17〜18世紀頃にヨーロッパで盛んに演奏されていた"舞踏曲"で、荘重かつ気品があるというのが特徴だとか。舞曲というとワルツのようなダンス音楽を連想してしまいますが、そうじゃないんですね。 なお、本作においてこの曲が流れるお城は以下の通り。多くの場合、最初に訪れるとこの曲が流れてただごとではない雰囲気を匂わせ、主人公らの活躍によって問題が解決されると「王宮のホルン」に変化するという、音ではっきりと明暗を分けた演出が行われています。逆に言えば、音楽が変化することによってプレイヤーに「ああ、ここのイベントはこれでクリアだな」と認識させているのです。
惜しまれるのは、サントラ全体に言えることなのですが、楽曲の増加と収録時間の都合上、一曲あたりのリピートがほとんどないこと。2周目に入ったと思ったらすーっとフェードアウトして、次の曲になってしまいます。1周目で味見(耳鳴らし)をして2周目でじっくり味わいたい、そういうリスナーには不親切このうえない作りなのです。このぐらいの曲数があるのなら2枚組にこだわらず3枚にするとか、オケとは別皿にするとか、策を講じてほしかった。特にこういう曲はゆっくり楽しみたいものですから。 |
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06.王宮のホルン ・お城BGM |
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そしてこちらが華やかな、平和的なお城の楽曲。「封印されし城のサラバンド」と対をなす、ふくよかなホルンがこの曲の主役。過去のシリーズで金管が主役となったお城の音楽って、意外に「V」の「王宮のトランペット」ぐらいなんですよね。全体として弦楽に寄っているんです。なのでこのホルンの響きはとても新鮮。もちろん弦楽の「サラバンド」あってこそこのホルンが活きてくるわけで、本作においてはどちらかが欠けると成立しないのです。苦労してお城の危機を救った、そこに鳴り響くホルンの音色によって「平和」を実感できるのは、そこまでに流れた「封印されし城のサラバンド」によるフリがあるからこそ。そうなると両者の間に統一のモチーフだとか、そのアレンジが組み込まれているのでは?と思いたくなるものですが、それはないようですね。 この曲の特徴はなんと言っても冒頭から提示される主題。基本的にはこの主題を各パートがかわるがわる繰り返していくことで展開していきます。どこかのパートが主題を奏でると、それに呼応するかのようにすぐ別のパートが追いかけたり、メロディの対話が面白いですね。本作の楽曲においてこれほど口ずさみ易い曲も他にないと思いますが、それもこの主題の反復による効果です。覚え易いですよね? 何度も言うようで申し訳ないですが、やっぱり短い!このCD最大の不満です。詰め込めばいいってもんじゃないと。すぎやまこういち氏はしばしば、音楽を食事に例えて語られていますよね。クラシックはじっくり味わうごちそうだ、ロックはお腹を満たすだけのファーストフードだ、と。しかしゲーム音源とは言え、このCDにおける氏の音楽はまぎれもなくファーストフードになっていますよ。ゆっくり味わうヒマもない、CDに詰め込むだけ詰め込んだこの状態、ファーストフードと言わずして何としますか? おっと、文句ばっかり言っても仕方ないですね。もう商品化されてるものですしね(後々の反省点にしていただければよし)。で、この曲が流れる本作のお城は以下。グランエスタード城(封印中をのぞく)、フォロッド城(からくり兵団拠点クリア後)、砂漠の城(魔王像クリア後・封印中をのぞく)、マーディラス城、コスタール城(封・聖なる種火後)、コスタール城(現)、クリスタルパレス、で耳にすることができます。中には一度は問題が解決してこの曲に切り替わるも、後に再度封印されちゃったりして再度「サラバンド」に戻ってしまう、なんてお城もあります。 |
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07.のどかな家並 ・規模の小さめな町、村のBGM |
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ゲーム導入部の「序曲」「インテルメッツォ」「エデンの朝」を除いて、本編で一番最初に耳にすることになる曲です。主人公が目を覚ます故郷の村・フィッシュベル。今日はアミット漁の日だ。お父さんにアンチョビサンドを届けなきゃ……。本作の「あなた」は漁師の息子としてスタートします。そんなささやかな営みによって生計を立てる漁の村フィッシュベル、愛する父と母が待っている家、優しく暖かな雰囲気に満ちている楽曲。 木管の柔らかな音色に導かれ、楽曲はのどかに始まります。ちょうど見知らぬ村に辿り着き、小さな村だな、誰かいるのかな?なんてことを思いつつ散策しているイメージ。そして村の中心部を見渡すと、小さいながらも人々はたくましく、明るく暮らしていた……31秒から盛り上がるストリングスはそんな感じですね。再度木管が主導し、リタルダントしながら2周目に……本来ならば入ります(CDはスニークアウト)。1曲の中に複数の表情を組み込むのもすぎやま氏が得意とするところ。変化に富んだ展開は、飽きずに聞かせることを考慮してのことでしょう。さまざまなシチュエーションに通して流れていても、違和感を感じさせることもありません。 この曲は規模の小さな町や村で耳にすることができます。特に本作では街の数が多く、かつそこを訪れる機会も頻繁。仮に街の曲が1曲だと、さすがに飽きてしまうでしょう。場所によって使う曲を分散することで、ユーザーに極力「ああ、またか」と思わせないようにしているのです。とは言え、さすがにプレイ時間の長いゲームですから、結局は「もうウンザリ」と感じてしまったユーザーも少なくないようです。ま、それはそれとして、この曲が流れる場所をまとめておきましょう。
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08.哀しみの日々 ・苦悩する(何か問題が起こっている)街のBGM |
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個人的には「VII」における「アッテムト」だと思っているこの曲、ユーザーの間でもわりと人気のある曲です。新たな街を訪れるとたいてい流れている楽曲で、そこでは例外なく人々が苦悩しています。基本的に主人公たちは彼らの悩みを解決しながらストーリーを進めていくことになります。ただ、さすがに新しい土地を訪れるたびに聞くことになるため、正直に言ってこの曲を耳にしたとたん「また同じような手順を繰り返さなければならないのか」という気持ちになることも少なくなく、曲自体は文句なく良い曲なのですが、短い「お使い」を重ねていく本作においては、いたずらに長いプレイ時間の影響もあり評価を落としているような気がします。非常にもったいないところです。 この曲は前述の通り「苦悩する街(村)」で流れるもので、伴奏に弦を従えつつメインを張るハープの旋律が、苦しみ・悩み・哀しみといったものを描くのにうってつけの、ストレートなわかりやすさを持っています。ヘタをするとクサくなってしまいがちなこのテの曲ですが、すぎやま氏は決してクドさのないあっさりとした編曲でこれを回避。たとえばこのハープのメロディを弦楽器や木管楽器が受け持ったらどうでしょう。たちまちゲーム自体が下品な「お涙頂戴もの」に成り下がってしまうのは想像に難くありませんね。どんなに良いメロディであっても、それを生かすか殺すかは奏でる楽器のチョイスが重要なポイントになってくるのです。なお、ハープは主旋律だけでなく伴奏も受け持っています(左側)。ストリングスは空間を埋めるように、アタックの弱い音色でさりげなく鳴らされています。逆にオーケストラバージョン(Disc1・track6)ではかなり弦楽器が前面に出されており、ベタベタ度120パーセントUP(当社比)なのですが、それは映像に付随しない単体のものだから可能なんですね。 街の問題が解決するまで流れ続けるこの曲ですが、問題が解決されると楽曲は「憩いの街角」や「のどかな家並」へと切り替わります。このギャップが、お城の音楽と同様に明暗をはっきりと分けているのです。このことがプレイヤーに「いいことしたなあ」と思わせ、次の土地へと向かうモチベーションにもなっているのですね。暗く沈んだ街に暗い曲を流し、問題が解決したら明るい曲を流すという演出は、意外と過去のシリーズでは行われていないことだったりします。これも短いミッションを積み重ねていく本作ならではの特徴で、ストーリーが長い一本の線で紡がれる通常の作風ではできないことでしょう。最後に、ゲーム中でこの曲が流れるのは以下。
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09.憩いの街角 ・街のBGM ・イベントBGM(ダイアラック回想シーン) |
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面積が広く建物の数や人口の多い、規模の大きな街で流れるのがこちらの楽曲。本作のいわゆる「街BG」です。リズムを受け持つ低音部や木管の「合いの手」は楽しげに弾むようでありながら、メロディを奏でる弦は流れるようなスムーズさを持っており、さまざまな人の営みを感じさせます。ある者は立ち止まって井戸端会議、ある人は足早に通り過ぎ、またある者はその場で商売を始める……そんないろいろな人の動きが浮かんでくる曲です。バラエティ豊かな人々の往来を感じさせるのは「ドラクエ」シリーズにおける街の曲が持つ特徴だと言えますね。筆者が勝手に言っているだけなんですが(笑)。 ひたすらに爽やかで清らか、一点の曇りもないこの曲は、「哀しみの日々」とはまさに対になっているもので、苦悩する街がその問題から解放された時に流れると絶大な効果を発揮します。お城における「サラバンド」と「ホルン」のように、「哀しみの日々」と「憩いの街角」がはっきりと明暗を分担しているのです。封印の世界では問題解決後に流れることが多いのですが、現代の世界では最初からこの曲が流れている街が少なくなく、かつ封印の世界では「のどかな家並」が流れている街でも現代では「憩いの街角」が使われているケースもあり、結果的に使用箇所はかなりの数になっています。以下にまとめましょう。
ゲーム中での街の曲に関してひとつ疑問があるのですが……。なぜ現代のルーメンでは、家や井戸から出てくるたびに曲がアタマに戻るのか?プログラムチェンジが効いちゃっているんだとは思うのですが……過去のルーメンでの行動によっては街が滅ぶこともあるわけで、その時は現代でも「哀しみの日々」が流れます。つまり、過去のルーメンがどうなったかによって、現代で「憩いの街角」を流すか「哀しみの日々」を流すかの判定を行っているわけですが、それは一度でいいのに妙な形でスイッチが残ってしまっているんですね。これ、かなりみっともないのでどうにかならなかったんですかね。天下の「ドラクエ」がこんなことしてちゃいかんですよ。 |
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10.パラダイス ・オルフィーで開催されている動物への感謝祭りでの女性当てクイズBGM ・カジノBGM(ダーマ地方旅の宿、コスタール、グランドスラム) ・メダル王の城 |
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歴代シリーズでも最もスローテンポな、ゆったりとした本作のカジノ曲。シリーズのお約束を貫いて、今回もビッグバンドジャズでまとめています。そしてもうひとつのシリーズおなじみのお約束、「カジノの曲は街アレンジ」も守られています。言うまでもなく「憩いの街角」をアレンジしているわけですが、かなり変貌しているのでBGM的に聞き流していると気が付かないかもしれませんね。アレンジとして巧みだ、ということです。 ただ、個人的な感想を言わせていただくと、スローすぎるかな?というのが正直なところ。カジノで遊べるミニゲームのどれともテンポ感が合っていない気がするんですよ。スロットしかり、ポーカーしかり。唯一ラッキーパネルだけは「メモでもとりながらじっくり遊んでね」という感じでハマってるとも言えるのですが。イメージとしては貧乏人がセコセコやるギャンブルというよりは、大金持ちがドッシリと構えてヒマ潰しをしている、という感じでしょうか。そう考えると、プレイヤーのイライラを鎮める狙いがあるのかも。 |
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11.時の眠る園 ・フィッシュベル西側の小さな洞窟部分 ・グランエスタード地下洞 ・謎の神殿(外観&内部) ・ウッドパルナ西の森 ・ユバールがめざす神の神殿(湖周辺、神殿内部) ・にせダーマ神殿 ・神の遺跡 ・リファ族の神殿 ・神の兵の神殿(生き残りの神殿) ・賢者のほこら ・ダークパレスB5F、アミュレットを捧げる祭壇 ・クリア後ダンジョン2最深部(精霊の間〜神さまの家) |
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神秘的な空間のテーマとも言うべき楽曲で、謎めいたエリアや人知の及ばぬ場所で耳にすることができます。ハープによる静かな導入は人の気配のしないもの静かな雰囲気を描き、中盤以降で入ってくる木管と弦は何が起こるかわからない緊張・理解の及ばない不安を表すかのように不安定に揺れながら旋律を奏でます。ファーストプレイ開始直後は今にも魔物が現れそうなダンジョンの音楽として認識していましたが、実はこの曲が流れる場所ではほとんどと言ってよいほど魔物とのエンカウントは発生しないんですね。今ではすっかり「バイオハザード」における「セーブ部屋」の音楽に等しい認識になっております(笑)。逆に言えばこの曲が流れる場所というのはバトルなどとは関係なく、イベント的にゲーム上で重要なポイントであるということです。 屋内(ダンジョン内)で流れるこの曲ですが、例外的にゲーム序盤も序盤、がけっぷちの老人から神殿の謎について聞いた主人公とキーファが夜になってから神殿へと向かうシーンでは、フィールドでの移動中にもこの曲が流れていました。おそらくゲーム中で唯一、フィールドでこの曲がかかる場面では。 |
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12.うたげの広場 ・アミット漁が行われる際のフィッシュベル ・アミット漁が終わり、村人が大漁に沸くフィッシュベル(謎の神殿解明後) ・エンゴウのほむら祭り ・グリンフレークにおけるペペ全快を祝う宴 ・コスタール詩人の回想(後半部分・マール=デ=ドラゴーンでの宴) ・ホビット族の洞窟内、集落(初めて訪れた際に一瞬だけ) ・神の復活を祝い、アミットが主催して開かれるフィッシュベルの宴 |
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街や村でなにか特別なイベント、宴が行われる際に流されることの多い汎用イベント曲。初出はオープニング直後のフィッシュベルで、その日出発するアミット漁に村は活気付いています。その活気に負けじとハジけまくりなこの曲、ファンの間では賛否両論です。確かにわかりやすい曲ですし、パッと聞いて派手ですので印象にも残り易い。このキャッチーさはファミコン時代のドラクエ音楽に通じるものも感じられます。一方で「やりすぎ」「ドラクエらしくない」「安っぽいショッピングセンターのBGMみたい」と、否定派の意見も手厳しいものがあります。 どの意見も理解できますし、もっともだと思います。35秒からの大盛り上がりのところなんか恥ずかしいぐらいにやりすぎな感じですし。おいおいおまえら、どこまで飲んで騒げば気が済むのかと(笑)。ですが、実はこれは「落差」を狙ってあえてこうしたのだとするとどうでしょう?宴に浮かれているとトラブルが起こるのはお約束。ならば宴はやりすぎなまでに盛り上げて、その後のトラブルとの落差をわざと極端にすれば、よりトラブルの深刻さ・危機感が際立つ。特筆すべきはグリンフレークの宴で、さんざん盛り上げておきながら突然降り始める雨。激しい雨音が「うたげの広場」とのギャップをもって、何倍にも増幅されていました。「ガラッとトーンを変える」という演出は映画・テレビでは日常的に行われている手法であり、ゲームでやっちゃいけないということはありません。楽曲だけを切り出して評価することについて否定はしませんが、ゲームの中でどう使われたのか、という点についても注目したいものです。 だからと言って「じゃあ、この曲は良い曲なのか?」という点については難しいところでして。ゲームでの使われ方が良かったからと言って名曲とは限りませんし、その逆もしかり。ですが、筆者はゲームに使われる曲すべてが名曲であるべき、とは思わないんですよ。ゲーム(映像作品全般)には「劇伴重視で音楽性は二の次」という曲も必要ですし、「テーマ曲を引き立てるための捨て曲」も時には求められるわけで。 |
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13.失われた世界 ・封印された世界(過去)のフィールドBGM ・一部マップBGM |
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本作でのフィールド音楽は「VI」同様2種存在します。ひとつは主人公が住む「現在の世界」で、最初はただひとつしか島のない世界でしたが、シナリオの進行によって次々と新たな島が現れていきます。もうひとつは「封印の世界」で、何者かによって闇に封じ込められてしまった世界です。時間軸的には「過去」になります。そこでは人々が様々な問題に苦悩しており、主人公たちがその問題を解決することによって、封印された島は現在に姿を現します。 さて、その封印された世界を旅する際、フィールドマップで流れるのがこの「失われた世界」。曲名がそのものズバリですね。ハープ・弦・木管という本作の「黄金編成」によって、静かに、ゆっくりと奏でられます。哀愁を帯びたフィールドBGMという意味では非常に「ドラクエ」らしい楽曲で、同じくフィールドBGMである「足どりも軽やかに」と比べてもファン人気はだんぜんこちらの方が上です。やはり敵とのバトルを切り抜けて冒険した世界の曲の方が、思い入れは強くなるのでしょうね。25秒からの弦楽器が主導するメロディは美しいのひとことで、ここが魔物の出現する危険なフィールドであることをついつい忘れてしまいそうになります。 一部のダンジョンマップでは、フィールドと地続きという意味もあってか、そのままこの曲が流れ続ける場所もあります。ちょっとした空き地や荒れ地、町と城を結ぶ橋などがそうです。当然そういった場所では魔物とのエンカウントもないので、この曲にじっくりと耳を傾けることができます。不安げではあるものの美しさの方が勝っているこの曲は、そういった場所に流れていても決して邪魔にはなりません。むしろそこで発生するイベントに深みを与え、役割は単なるフィールドBGMに留まっていないと言えます。以下、そんなマップをまとめてみました。 炎の山入口、メモリアリーフからギュイオンヌ修道院に向かう山道、ユバールの休息地(山脈の洞窟)、ダーマ南の荒れ地(ふきだまりの町跡地)、リートルード北の橋(フィールド扱い)、マーディラス城下町〜マーディラス城の間の橋、マーディラス大神殿への関所(フィールド扱い)、現代・ユバール族の眠る墓 |
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14.足どりも軽やかに ・上の世界(現在)のフィールドBGM |
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一方、「現在の世界」におけるフィールドBGMがこちらの「足どりも軽やかに」。「失われた世界」とはこれまた対称的に金管がバリバリと鳴り響く、行進曲風の勇ましい曲調。シナリオ終盤まで、「現在の世界」ではフィールドにおける敵とのエンカウントは発生しませんから、まさに邪魔するもののない「軽やかな足取り」を彩るにふさわしい曲なのです。 意外と1ループが長く、後半はかなり雰囲気が変わって弦楽器がリードする場面も。なにしろエンカウントのない世界ですし、長時間に渡ってこの曲が流れることもあり得ますから、意図的に展開に富んだ構成にしてあるのでしょう。とは言え、悪く言えば「刺激のない世界で垂れ流される音楽」であるわけで、「失われた世界」と比較した時に人気で負けるのは無理もないですね。ゲーム音楽ってその世界・その場面で起こったドラマとセットで、ユーザーの記憶に刻まれるんです。そう考えると、戦闘が発生しない世界で流れるこの曲が、褒められるでもなく酷評もされない理由がなんとなくわかってきます。 |
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15.迫り来る死の影1、2、3 ・ダンジョンBGM 使用箇所は本文参照 ・イベントBGM
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洞窟型ダンジョンの音楽です。このように「1、2、3」とされているパターンはシリーズのサントラでも珍しいと思うのですが、ゲーム中ではダンジョンの雰囲気や難易度に合わせて使い分けられています(とは言ってもほとんどは「1」ばかりが使われているんですが)。階層で変化するという、「I」や「VIII」のような仕掛けは行われていません。CDでは2分22秒からが「2(ストリングスで静かに始まる)」、4分17秒からが「3(いきなり主題で始まる)」です。基本的には同じモチーフ(後述)を用い、どんどん重く、暗くなるように編曲されています。これはシナリオのボリュームからくるダンジョンの増加に合わせてバリエーションを増やしつつも、むやみに異なる曲を充てることによる印象の低下を防ぐ工夫だと言えます。CDのような形で聞くと、まるでひとつの組曲のように繋がっていますね。 すぎやまこういち氏のダンジョン音楽というのは名曲揃いなんですが、今回も不安さ・不気味さと美しさ・はかなさを併せ持つ素晴らしい曲を用意してくれました。「1」はゲーム中では最も多くの洞窟で流れるものですが、イントロの弦、木管楽器によるメロディは悲哀すら感じさせる切なさを見せ、そうかと思えば31秒からは低音を強調、恐怖と不気味さを前面に出してきます。この弦が奏でる旋律は「VI」で言うところの「悪のモチーフ」とも言うべきもので、「VI」ほど明確に定義されてはいないものの、洞窟曲のバリエーションを始め、ラスボス曲にも顔を出します。意識しておくと面白いかも。1曲の中でこうまで表情を使い分けるゲーム音楽はそうはありませんが、ダンジョンと一言で言っても、ジメジメしていたり岩がむき出しだったり、水があったり木が生えていたり人の手が入っていたり多種多様です。楽曲にも多くの表情を持たせておくことで、どんなダンジョンで流れても違和感を感じさせないように設計されているのでしょう。変拍子を取り入れていることも、曲に変化を与え柔軟なものにしていると言えます。この「1」が使われているダンジョンは以下の通り。
「2」は終盤の洞窟で頻出するバージョンで(発掘現場の洞窟、魔空間の神殿、地底ピラミッド、クリア後ダンジョン1、クリア後ダンジョン2、モンスターパーク墓場エリア)、より恐怖感・不気味さを前面に押し出しています。冒頭からドロドロとうすら寒い雰囲気を作り出す弦のトレモロに、ホルンによる「悪のモチーフ」がさっそく顔を出します。木管が奏でるメロディも「1」と共通。そして、「3」は幕開けから低音部が「悪のモチーフ」を響かせます。「1」や「2」で聞けた木管のメロディは消え失せ、ひたすらこの「悪のモチーフ」を引っ張って進行していきます。ダンジョン的にはダークパレスのみ(ダークパレスB5F祭壇まで&ダークパレスB6F以降の炎・水・大地・風の各ルート)で流れるものですが、神と魔王の戦いや4精霊と魔王の対峙といったイベントシーンにも使われており、そのため4分56秒からは「オルゴ・デミーラ(track29)」と共通の刻みを組み込むことで、魔王の存在を匂わせているのです。 実はダンジョン曲は専門的に言うところの「十二音階技法」を用いて作られている曲で、音楽的にかなり高度なことをやっていたりします。ウチは音楽理論のサイトではないので詳しくは触れませんが、オクターブ内に存在する12の音を均等に使って作曲した曲である、ということ。一般的な「調性音階(うち7音を中心に紡ぐ方法)」とは根本的に異なる理屈に基づいた曲なのです。ここまでの解説で「モチーフ」と呼んできたフレーズは厳密には「セリー」と言い、12音すべてを用いた基本フレーズになっています。この基本となる「セリー」を変形させることで展開していく音楽が「十二音音楽」です。「VII」の音楽が過去のシリーズに比べてマニアックと言われることがあるのは、こうした技法が比較的よく耳にするダンジョンの音楽に採り入れられているためではないでしょうか。「十二音音楽」は、「ドラクエ」シリーズでは他に「V」の「大魔王」が特に有名。 |
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16.血路を開け ・通常戦闘(エンカウントバトル)BGM ・一部のボス戦、強制バトルBGM ・イベントBGM …からくり兵に襲われるフォロッド城(戦闘にも通して流れ続ける) …プロビナ教会の神父と魔物の戦い |
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本作の通常戦闘、いわゆるザコ戦で流れる楽曲がこちらの「血路を開け」。何度も耳にするバトルの音楽は印象にも残り易く、「VII」の曲を語る際には「血路を開け」をお気に入りに挙げる人が少なくありません。金管による威圧感と弦による緊迫感が交互に前に出てくるこの曲は1周も長めで、バトルのさまざまな局面を盛り上げ、ユーザーを飽きさせないように考慮されていると言えるでしょう。 ファミコンやスーパーファミコンの頃に聞くことのできた、表現力(パート数)の不足を補うべくとにかく細かく早い音符を並べて緊迫感を出したり、曲そのもののテンポを速いものにしたりといった「制約からくる工夫」とも言えるものは姿を消しています。テンポは歴代シリーズでも遅い部類で、そのかわりに表現力の増した音色にしっかりと強弱を付け、小技を使わずに楽曲そのもので勝負、といった感覚。前作「VI」のようなアグレッシヴなドラムはなくなっていますが、スネア・ティンパニ・シンバルのほかハイハットの刻みも使われており、ゆったりしたテンポながら小気味の良いリズム感を出しています。 「VI」と比べると新鮮に感じ、ドラクエ戦闘音楽の新基軸ともなり得るこの曲ですが、100時間を超えるゲームの中ではさすがに少々飽きてきます。これは楽曲の良し悪しとはまったく別の問題で、単にゲームのボリューム、そしてバランスからくる評価。最後まで新鮮な驚きと感動をもって、100時間を超えるゲームをプレイすることができるユーザーがどれほどいたでしょう?しかも繰り返しになりますが、その大半をお使いと石版探しに費やすことになるのですから、ゲーム終盤に至ると戦闘も単なる「作業」になりがち。「作業」の背景に流れている音楽に対して思い入れを抱けるのか?という点についての安易な解答は避けますが、個人的にはあまり良い印象ではありません(強調しますが、楽曲の良し悪しではありません)。また、1周が長く展開に富むこの曲ですが、実は意外と「淡々と」しているのがわかるでしょうか。楽曲全体に渡って音の厚みがほぼ均一なのです。「常に前に出ている」と言ってもいいでしょう。もっと薄くなる部分、ブレイクする部分を作って全体の音圧に強弱を付けたらまた違ったのではないでしょうか。もっともテンポの遅さにしても強弱にしても、ボス戦の曲と差別化するためにあえて狙ったのかもしれませんが。 さて、この楽曲を「通常戦闘のBGM」と説明しましたが、一部において強制戦闘やボスクラスのモンスターとの固定エンカウントでも使われています。ザコと大差のない強化版程度のモンスターに充てられるのはわかりますが、中には「なぜボス戦音楽じゃないの?」というケースもあり、使い分けの基準は明確ではありません。以下、この楽曲が充てられている固定エンカウントについてまとめておきます。
また、これは演出の範疇ですが、まれにこの「血路を開け」が危機的なイベントに流されることがあります。代表的なものにフォロッド城におけるからくり兵襲撃イベントがありますが、これがそうとうみっともないことになっておりまして、城内で緊迫感を煽るためにこの曲を流すまでは良いのです。戦闘に突入してもそのまま鳴り続けるところも良い。しかし戦闘が終わるといったん曲が鳴り止み、再度同じ「血路を開け」がアタマから流れ始めるのです。これは止めなければならなかったのでしょうか?続けることはできなかったのでしょうか?唯一考えられるのはレベルアップのファンファーレとぶつかるのを避けたという理由ですが、続けられないのならば曲がアタマに戻るのだけはなんとかしてほしかったですね。せっかくバトルの曲をイベントに流して雰囲気を作っているのに、曲がリセットされるたびにイベントの流れが寸断されているのです。これは美しくないと思うのです。 |
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17.強き者ども ・初めての戦闘(マリベル襲われる〜スライム×3とのバトル) ・ボス戦および強制バトルBGM ・イベントBGM ……ユバールのキャラバンに魔物が出現、キーファが撃退 ……ふきだまりの町で「魂くだき」が発生、犯人を追い詰める ……ダーマ神殿地下決闘場での反乱イベント ……プロビナを魔物が襲うイベント ……ヘルバオムに侵食されているルーメン ……クリスタルパレスにて突然反逆者の汚名を着せられ、追われるメルビン |
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通常戦闘の「血路を開け」とはだいぶ曲調の異なる、本作のボス戦BG「強き者ども」。「その辺のザコとは違うんだぞ」とプレイヤーに認識させ、差別化という点では文句なし。警戒感を煽るブラスのアタックで幕を開け、楽曲のリズムをキープしているジャズっぽいテイストの入ったベースが本作では珍しい要素。いわゆるオケ楽器というよりは、ポップスのベースに近い音になっています。リズム隊もせわしなく、ハイハットがセンターでスネアとタンバリンが左右に割り振られたパンニングも面白いですね。弦楽器は伴奏を担って緊迫感を出し、敵の猛攻をブラスが受け持ちます。楽曲の強弱という部分でも「血路を開け」よりもメリハリが効いており、サラッと聞いているぶんにはザコ戦よりもアッサリした印象なのですが、ゲーム中で流れた時のことをよく考えていると言えるでしょう。 楽曲単体で鑑賞するとそのアッサリとした感じによって聴き流されてしまうのか、ファン人気では「血路を開け」に負けているようですが、ゲーム音楽としてはこちらの方が秀逸です。目立つばかりが良いゲーム音楽の条件ではありません。これは、本作のような長大なプレイ時間を誇る作品では特に言えることです。パッと見のハデさよりもメリハリが重要になってきます。シナリオのボリュームに比例してボス敵もかなりの数になっている「VII」において、ボスであることをしっかり認識させつつも決してクドさはなく、飽きずに聞くことができます。オケ色の強い本作の楽曲の中で、この曲にジャズの風味を盛り込んだこともその一因でしょう。オケでお腹いっぱいになってもジャズなら聴ける、というわけです。そんな、この曲が流れるボス戦をまとめておきましょう。なお、曲名の「強き者ども」はこれらボスモンスターのことを指したものだと思われます。
イベントBGとしての使用ではしばしば戦闘も発生しますが、多くの場合なぜか戦闘に突入すると曲が「血路を開け」に変わってしまうんですよねえ。これ、個人的にすごくダサい処理だと思うんですけどいかがでしょう?もうちょっとプログラム的にどうにかならなかったんでしょうか。いや……それをやるとさらにフリーズが増えるってんなら無理にとは言いませんけどね。最初こそ、戦闘開始時と終了時には必ず曲を切り替える処理が行われ、プログラム上しかたのないことなのかなと思いましたが、プロビナの対りゅうき兵戦ではちゃんとイベント〜バトルと通して曲が流れていたので、なんだできるんじゃん、と。テストプレイをした人々はこういうところは気にならなかったんですかね?フリーズも含めて、本作のテストプレイヤーはなにをしていたんだ、と思わず軽蔑の目を向けてしまいそうになります。たかがテストプレイヤー(デバッガー含む)にも「匠の目」は必要ですな。 |
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18.スフィンクス ・魔王像内BGM |
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「ドラクエ」シリーズにはしばしば民族色を盛り込んだ土地・ダンジョンが登場します。代表的なものに「III」におけるジパングやピラミッドがありますが、そこに属するとも言える本作のフィーチャーが「魔王像」です。外見はエジプトのスフィンクスに近く、用意された楽曲も「III」のピラミッドを思わせる独特のものです。こういったフィーチャーに対してすぎやま氏がどのような曲を出してくるか、それもドラクエ音楽ファンの楽しみですよね。金管がブパブパブパブパとリズムをキープする中でボイス音色が奏でる神秘的な旋律は、偉大なる歴史を感じさせつつ宗教的な色も醸し出しています。金管のリズムはそんな未知の領域を進む足取り、行けども行けども終端に辿り着けない巨大建造物の規模を描いていてグッド。26秒からの弦は先の見えない不安定さを表すかのように、上へ下へと動き回ります。パート数は決して多くないのにじゅうぶんな厚みを持っているのは編曲の勝利でしょう。3/4で進行してきた楽曲は41秒から4/4に変化し、進行の単純化を防いでいます。 ファンの人気も高い曲で、魔王像の中でしか流れないのがもったいないですね。地底ピラミッドもこの曲を使えばよかったんですが、洞窟の曲に変わってしまいます。結果、ゲームの中で全体のボリュームから見るとほんの一瞬しか流れない曲になっており、曲自体は好きなんですけどゲーム的には印象が薄いものになっているのが非常に残念。もっとうまく使えていたらよかったんですが。 |
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19.大神殿 ・ダーマ神殿 ・大神殿(マーディラス地方) ・クリスタルパレスにて神が降臨中 ・大聖堂(移民の町) |
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高らかに鳴り響くファンファーレのような金管群とそれに絡むホルンが特徴的なこの曲は、ダーマ神殿に代表される神聖なる施設で聴けるもの。金管のみの編成は面白いのですが、1周が短めでありながらその音色構成のためかとにかく前に出る音になっており、神殿にいる間ずっと聴かされるとかなりクドく感じます。同様の意見をたびたび目にしますが、とにかく本作でダントツに不人気なようです。音色のサンプリングも頑張ってリアルな音にしようとしたのでしょうが、金管はリアルを目指せば目指すほど耳につく音になります。弦楽器を絡ませて中和させると良いのでしょうが、それだとお城の曲と大差なくなってしまいますしね。うーん。 通常の城(「track6、王宮のホルン」)と差別化し神聖さを強調するなら、あえてオルガンを使うのもアリだったと思うのですが、本作はとにかくオケ音色にこだわっているようです。もっともオーケストラで演奏する場合(コンサートなど)、オルガンを使ってしまうと会場に制約が出てきてしまう(オルガンが設置された会場でなければ演奏できなくなる)ことも考慮しているのでしょうけど。 |
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20.小舟に揺られて〜海原の王者 小舟に揺られて…… ・キーファが隠していた小舟で海上航行中 ・初めてマール=デ=ドラゴーンに接触した時の回想シーン後半(シャークアイとカデル) 海原の王者…… ・アミット漁の出航時 ・コスタール詩人の回想(前半部分・シャークアイとコスタールの関係) ・マール=デ=ドラゴーン航行時 |
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本作の船BGMはシリーズ初の2曲構成。最初の「小舟に揺られて」はその名の通り、キーファがフィッシュベルの洞窟に隠していた小舟に乗ると流れます。初出はウッドパルナクリア後、現代に新たな島が現れた!というイベント。世界に島はひとつだけというのが現代での常識だったわけで、あたりは大騒ぎ。キーファもさっそく新たな島を訪れるべく、ここぞとばかり隠していた船に乗り込みます。以後この船は現代で自由に使えるようになり、海上を航行中はこの曲が旅のお供をすることになります。これだけ早期から船が使えるというのもシリーズでは珍しいことですね。とは言っても序盤はほとんど島がないのですが。ゲームではこの「封印された街を救う→それによって現代に出現した新たな土地を探索」という流れを繰り返していくことになります(これが、単調だと言われる所以でもあるのですが)。 「小舟に揺られて」はこれまで「IV・V・VI」と聴くことのできた「壮大な海BGM」の路線をリセットし、初期の「ドラクエ」のような「素朴なワルツ」へと原点回帰した印象で、思わず懐かしいと感じてしまいます。ハープのアルペジオが穏やかな海面を思わせ、木管の緩やかなメロディは、そこに浮かぶ小さな船が穏やかな波に揺れているさまを感じさせます。意識せずともホッとさせられる優しい音たちにしばし身を委ね……って、海上は現代のフィールドにおいて唯一油断の許されないエンカウントエリアでしたね。適度に気を引き締めなきゃね。 そして57秒からはガラッと変わって「海原の王者」。基本的にはゲーム終盤で乗ることのできる大型船・マール=デ=ドラゴーンのテーマと言って差し支えありません。もちろんそれを駆るシャークアイのテーマという意味も内包しているのでしょう。盛大なファンファーレで始まる行進曲で、これまでのシリーズにおけるどの「海BGM」とも異なるタイプです。「IV・V・VI」と海の音楽はまさしく名曲揃いだったので、本作のこの楽曲はやはり賛否両論でしたね。筆者個人的に、マール=デ=ドラゴーンは操作が面倒だったのであまり使いませんでした。なので音楽にも思い入れはまったくありません。単体で聴くとキャッチーで映える曲だなとは思いますが、それだけです。この頃になるときわめて近い時期に飛行石も手に入りますし、船を使わなければならない局面がそれほどないんですよね。それよりなによりマール=デ=ドラゴーンの操作をあんな仕様にしたのはどこのどいつでしょう?船に接触→いちど船上マップへ→操舵手に話しかける、という手順を経て初めて随意に動かせるようになるんですが、「ドラクエ」が追い求める「快適さ」を斬り捨てたような仕様、なにを血迷ったのかと。あっ、いけね、音楽の話してねーや。 さて、既にお気付きとは思いますがこの2曲、同じ曲のアレンジ違いになっています。具体的には「小舟に揺られて」の木管メロと、「海原の王者」の主旋律は同一のものです。アレンジを変えるとここまで違う曲になるか!という好例と言えますが、では「どちらが原曲?」という疑問が当然出てくるでしょう。すぎやまこういち氏自身によると「海原の王者」の方が先だそうです。アミット漁を想定して作曲したのでしょうか?それともシナリオを終盤まで読み込み、マール=デ=ドラゴーンの存在を把握したうえで書いたのでしょうか?どちらにしてもそこから「小舟に揺られて」が派生したとのことです。筆者は逆だと思ってました。 |
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21.愛する人へ ・ユバール族長からキーファ、そして主人公たちに捧げる歌〜キーファとの別れ ・グリンフレーク(封・リートルード後)で発生するエペの回想イベント ・コスタール詩人の回想(中盤部分・シャークアイとアニエス) ・神の復活を祝うフィッシュベルでの宴に、ヨハンが駆け付けて奏で始める曲 |
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すぎやま氏が得意とするバラードタイプの「泣かせ」楽曲。「V」の「愛の旋律」に通じるところがありますね。「愛する人へ」というタイトルからして共通しています。逆に言えば、「愛」を描いた楽曲としては「V」以来ということにもなりますね。決して悲しさを表現したものではなく、曲調はきわめて前向きなもの。ハープの伴奏を従わせての木管メロは暖かみがあり、人と人との繋がり、「情」のようなものを感じさせます。というかですね、ゲーム音源もいいのですが、とにかくこの曲はDisc1(track13)のオーケストラバージョンを聴かなければ始まりません。 初出は神の神殿クリア後、ユバールの守り手になりたいと申し出てテストに合格したキーファ、そして神の神殿へと一族を導いた主人公に対し、族長が感謝の歌を捧げるイベント。「その勇気にかんしゃの歌をささげる!」のテキストとともに流れたのですが、プレイヤーはというと「は?ってかキーファなに言ってんの?ここでいなくなっちゃうの?今まで育てたのに?おいちょっと待てよ、返せよタネとかいっぱい使ったんだからよ勝手なことぬかしてんじゃねーよてめー」という混乱必至であり、感謝の歌なんかどうでもいいのでした。「わかってくれるよな?」というキーファの問いに「いいえ」と答えたところで、笑って流されてしまいます。以後、キーファに連れられ強制的に旅の扉へ。そしてそこでの彼との別れ……この曲については(良くも悪くも)強く印象に残った人が多いようです。これはRPGにありがちな、シナリオの都合による一時的離脱だろ?と楽観的に解釈するも、残念ながらキーファがパーティに復帰することはありません。2周目プレイではユーザーからとことん突き放されるキャラ、それがキーファです(笑)。 あとは何と言ってもシャークアイとアニエスのイベントでしょう。曲名の「愛する人へ」は、実はこの二人にかかってるんじゃないかな、と思っています。だってキーファ→主人公だと考えるとキモいじゃないですか。友情も言い換えれば確かに「愛」ですけど、曲名が指す「愛する」は違うんじゃないでしょうか?じゃあなんでキーファが離脱する場面でこの曲が流れるの?ということですが、ここでの楽曲は「キーファの抱く主人公への想い」を描写しているのではなく、「ユバールの守り手になりたい=ライラへの想い」の方を修飾しているのでは。キーファの語る「わかってくれるよな?」がそれを証明しています。以上、筆者の勝手な思い込みでした。 |
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22.復活のいのり ・ユバールの休息地(儀式中) ・復活の儀式ムービー |
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「VII」において特徴的な音楽となっている「復活の祈り」。ギターのような楽器は「トゥーラ」で、ゲーム中でも大フィーチャーされているのはプレイした方ならご存知の通り。本格的な民俗音楽の雰囲気を持つこの曲は、ゲームにおいて「神を復活させる」という目的を達成させるのに欠かせない、重要なポジションを与えられています。確かな腕を持つ演奏者が「大地のトゥーラ」を使ってカンペキな演奏をしないと神は復活しないのです。うーん、なかなかワガママだぞ、神さん。はやく出てきてやれ。……さて、初出はユバール族の休息地にて。最初にユバールのテントを訪れた際はえらくオフな音で鳴っているのですが、これはテントの中から漏れ聞こえてくるという設定なんですね。テストが行われているのはテントの中ですんで。テストが終わると曲は「トゥーラの舞」に変わります。 神の神殿での、復活の儀式の際に流れるムービーに充てられているのも、もちろんこの曲です。オンの音で唯一、まともにこの曲を聴くことができるのがあのムービーなのです。トゥーラはジャンもしくはヨハンが演奏しているという設定で、しばしばファンの間で話題になる「なぜトゥーラ以外の楽器の音がするのか?」「トゥーラとはそもそもどんな音を出せるのか?」については、このムービーで答が出ています。映像ではフルートのような笛を吹く者、小さな鼓のようなパーカッションを叩く者の姿が描かれているのです。トゥーラ自体が奏でているのはもちろん、楽曲の主役であるギターのような音色に他なりません。つまりトゥーラとは弦楽器です。映像を見れば一目瞭然ですけどね。 ちなみに、CDに収録されているのはムービーで流れるバージョンで、完結しています。ユバールの休息地で流れているものはループになっており、その際CDでは聴くことのできない間奏があるのです。ゲームの中でしか聴けない(しかもオフの)レアトラックですね。 |
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23.トゥーラの舞 ・ユバールの休息地(儀式後) ・アボンやフズ、ハーメリアで聞こえる、旅の老楽師が奏でる音色(ハーメリアのみ完結バージョン) |
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「復活のいのり」と同様、ユバール的民族音楽です。「復活のいのり」が踊りのための曲でアップテンポなのに対し、こちらはゆったりとしたバラード。でも曲名は「舞」。まあいいか。もちろん主役はトゥーラで、かなり生っぽいニュアンスが上手く表現されています。そこらのゲームで聴ける、アコースティックギターを用いたどんな曲よりも完成度ははるかに高いです。音色のチョイスが絶妙なのはもちろん、弦をつまびく際のちょっとした「ひっかき音」まで表現した緻密な打ち込み、強弱やリタルダントもしっかりとシミュレートし、「制約のあるゲーム音楽だなんて誰が言ったの?」というほどの出来にただ拍手。もちろんすぎやまこういち氏の幅広い音楽的引き出しがあってこそです。そんなトゥーラの後ろを、うっすらとしたパッドのような弦が埋めています。 初出はユバールの休息地でBGとして流れていたもの。一応トゥーラの弾き手(ここで言えばジャン)がその場で奏でているという設定の現実音楽としての扱いです。しかし、ジャンがライラのテントに飛び込んで来てからも曲は流れ続けるのです……。別の弾き手にバトンタッチした? 旅の老楽師ももとユバールの弾き手だった(己の欲のため一族を離れたらしい……主人公たちの姿を記憶の奥底に留めていることからもジャンと思って間違いない)らしく、方々の街でこの曲を演奏しては人々を沸かせていました。それなりの弾き手にかかると楽曲は催眠効果を発するらしく、集団を意のままに操ることすらできるんですね。音楽の力で大勢の命を救った老楽師、あなたはステキだ。 CDに収録されているものは完結していますが、ゲーム中ではこちらもループしています。コーダの後を弦が繋ぎ、アタマの「ジャカジャカジャカ」を外したメロ頭へと戻っています。CDの収録時間上の都合からか「ちょうどいいから完結してる方を入れちゃえ」ということでしょうか?ここに収録されている完結バージョンの「トゥーラの舞」が聴けるのは、ゲームではハーメリアで老楽師が演奏する際のただ一度。マーディラスで開かれるトゥーラ大会でヨハンが弾くものは、バックに弦のないソロバージョンです(こちらもCDには未収録)。 |
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24.魔塔の響き1、2、3、4、5 ・塔BGM
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曲名を見ればわかる通り、まさに「塔」タイプのダンジョンで流れる楽曲。洞窟で流れる「迫り来る死の影」の上をゆく、5つものバリエーションが用意されています。1分16秒からが「2」、2分19秒からが「3」、3分23秒から「4」、4分27秒からが「5」になります。こちらも洞窟と同様に同一のメロディを巧みにアレンジすることによってイメージの統一を図りつつ、イメージを散漫にすることなくバリエーションを豊かにしているのです。もしもこれらがまったく別の曲だったら、どれもまったく記憶に残ることなく忘れ去られてしまったかもしれません。「いつまでも印象に残る音楽を、記憶に留まる音楽を。それこそが良い音楽だ」、ドラクエ音楽のコンセプトはまさにここなのです。 木管と寒々しい高音のストリングスでまとめられた「1」は静けさと不安を表現しつつも、どこか郷愁を感じさせるようなすぎやま氏ならではの色合い。プレイヤーを恐がらせるというよりは、むしろ苦しい状況に立たされたパーティにそっと寄り添うような、落ち着かせるような雰囲気があります。音にスキマを持たせることで、そこに潜んでいる空気感はプレイヤーに委ねているようでもあります。一方で同じモチーフを使っていても、「2」はより寒々しくて緊張しています。低音部が増強され、今にも魔物の咆哮が聞こえてきそうな重苦しさ。「1」に比べると苦境を強調しているように思えるのも、多くの塔の後半で使われているためですね。一部の塔では中盤以降、流れる楽曲が「1」から「2」に切り替わる処理がなされているのです。出現する魔物はより手強いものになり、パーティもそれなりに疲弊してくる頃、緊迫感を増す楽曲についつい焦らされてしまうでしょう。「3」はゲーム中ではあまり聴く機会のないバージョンで、「2」よりもさらに不気味さを押し進めててます。キモは何と言っても恐すぎるほどのボーカリーズです。 「4」以降は、「1」〜「3」までのバージョンアップしていくような変化とは別の方向性を提示していきます。「4」はかなり薄いパート構成になり、静寂感を強調。シンセっぽいリコーダーのような音色がメインのメロディを執り、「3」でも使われた不気味なボーカリーズ音色がその間を縫って顔を出します。リートルードから繋がる、不思議な空間「時のはざまの洞窟」での使用が特に印象に残っていますね。続く「5」はハープで奏でられる、最もシンプルなもの。「時の眠る園(track11)」と似た感じで、恐さや不安よりも静寂感を追求した感じです。 それぞれのバージョンの使用場所は上にまとめていますが、すべてを手っ取り早く聴くのならばモンスターパークがオススメ。まものせいそく図を入手し、塔を出現させて下さい。ここでは1Fから5Fまで、すべてのバージョンが階層ごとに使い分けられているので、階段を昇り降りするたびに曲が切り替わっていきます。 |
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25.哀しみを胸に ・戦闘でパーティ全滅時 ・ウッドパルナでのマチルダの回想シーン(魔物討伐に出かける兄との別れ) ・フォロッド地方西、ゼボットの研究所(封・現とも) ・封印の世界・クレージュ北のご神木(世界樹) ・プロビナ(壊滅後〜問題解決するまでの間) ・ディノの回想(ゼッペル、ルーシアとの過去。ルーシアがガケ下に落下してから) |
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すぎやま先生の十八番、「泣き」を押し出した悲哀曲。「V」の「哀愁物語」に勝るとも劣らない秀逸な音楽です。ちょっと狙いすぎとか、ストレートすぎるのでは?という意見も承知のうえで、やっぱり良いものは良いです。ゲームにおいてもやたらと使われることなく、使いどころをググッと絞り込んであるがゆえに曲の引き立ち方が際立っています。良い曲であっても乱用するとダメなんですよね。中でも特にファンの印象に残っているのが、ゼボットとエリー絡みのイベントではないでしょうか。過去を知っているからこそ、現代でもなお既に息のないゼボットのためにスープを作り続けるエリーの姿に、思わず胸を締め付けられてしまいます。 主メロを木管(オーボエ)が甘く切なく歌い上げ、弦楽器とハープがそれを支える構成はまさに「すぎやま節」、というか「ドラクエ節」と言ってもいいでしょう、この際。惜しまれるのは弦楽器のサンプリングですね。確かにプレイステーションになることで音質そのもののクオリティは上がっています。しかし、あまりに弦楽器の音が「ストリングス」になりすぎているのではないかと思うのです。弦がストリングスなのは当然だろ、とツッ込まないで下さい。ここで言っているのは「プリセットシンセにありがちな、アンサンブルとしてのストリングス音色」だという意味です。ここで聞ける音色は確かにストリングスではありますが、弦楽器それぞれの匂いはまったくしないのではないでしょうか?もちろん発音数その他の制約上、弦楽器個別の音色サンプルが難しいのは理解していますが、弦楽器の表情がキモであるこういった曲ではさすがに厳しい。スーファミならば文句も言いませんが、これプレステでしょ?もうちょっとなんとかなるでしょ?というのは、ゲーム音楽についての知識の多少に関わらず出てくる不満なのです。その一因は、前作「VI」にあると言えます。いまだに最高傑作と言われることの多い「VI」におけるサウンドデザイン、あれがよく出来すぎていた。スーファミであそこまでできたのに、プレステだとこの程度?という評価になってしまうのです。 もちろんゲーム中で流れている際には、イベントとの相乗効果もあってまったく気にならない問題ではあるのですが、楽曲単体で聴いてしまうとちょっと気になったので。まあ、だからこそオーケストラバージョンの意味が出てくるんですよね。普通のゲームならこれで終わりですが、「ドラクエ」にはオーケストラバージョンがあるのです。楽曲本来の魅力をオーケストラ演奏で楽しむことができるのです。「"VII"のゲーム音源はイマイチだった」というのはわりとよく見かけるユーザーの意見であり、ゆえに楽曲そのものの評価すら落としてしまっているのですが、「オケを聴いたら見直した」「思ってたよりも良かった」という人が少なくないのもまた事実。ゲーム音源をふまえたうえで、オーケストラ演奏で補完する楽しみが、ドラクエ音楽ファンには与えられているのです。 |
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26.やすらぎの地 ・フィッシュベル西きこりの家、移民の街初期、シムじじいの家、占いおばばのいるからくり兵団拠点跡地(内部含む)、ギュイオンヌ修道院、現代グリンフレーク跡地、メモリアリーフエリア西・旅の宿屋、ユバールのテント北方の教会、ダーマ地方旅の宿、クレージュ東・旅の宿屋、世界樹、バロックの家、フズ北の教会、プロビナ山の教会、モンスターパーク(一部をのぞく)、聖風の谷、海底王のすみか |
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村よりもさらに規模の小さな集落や一軒家で使われている曲で、分類するなら本作における「ほこらBGM」ということになるでしょうか。「VI」での「ぬくもりの里」と同様の扱いです。シリーズおなじみの「ほこら」とは色合いが異なりますが、世界の片隅にぽつんと建っている謎めいた「ほこら」も、最近の「ドラクエ」ではお目にかかれなくなってしまいましたね。 木管が奏でる暖かなメロディを、清楚な弦楽器が引き継いで、ホッと心休まるひとときを与えてくれます。さきほど弦の音色に文句を言ったばかりではありますが、本作の木管の音色は頑張ってると思います。もっとも音色についてここまで言うのは、本作が「ドラクエ」だからこそ。他のゲームだったらそこまで神経質になりません。オーケストラ音色とその質感にこだわるドラクエ音楽たればこそ、受け取るこちらもそこにこだわるわけで。これもひとつの愛情の形です(笑)。さて、この曲はきわめて短いものではありますが、そういえば歴代の「ほこらBGM」も短いものが多かったですね。しかし、CDでは1ループで完結させていますが、これにはちょっとガッカリ。2ループ収録できないのだったら、せめてフェードアウトで余韻を残してほしいところでした。ゲーム中でこの曲が完結する場面が一度でもありましたか? |
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27.魔法のじゅうたん ・魔法のじゅうたん使用中BGM |
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「V」「VI」に続いてもはや定番になった感のある「魔法のじゅうたん」。すぎやまこういち氏が常々語っていた「敵と出会わずに聴く曲だから、快適であることがいちばん大事なの」という信念は、本作でも貫かれているのはお聴きの通り。弾むような伴奏にのせて、軽快なタンバリンとトライアングルも楽しげに、舞い踊るようなフルートのメロディ。テイスト的には「VI」のじゅうたん曲でもある「空飛ぶベッド」に似ています。誰にも邪魔されず、歩くのよりもずっと早いスピードでス〜イスイ、海や川もへっちゃらさ、と、ついついウキウキしてしまう楽しい音楽ですよね。 ん?敵と出会わずに聴くという意味ではフィールド曲の「足どりも軽やかに(track14)」もそうですよね。ゲーム終盤はともかくとして。なんてことを考えていたら、この曲が「足どりも軽やかに」を取り入れているような気がしてきました。中でもメインが弦に移ってからの後半、そして楽曲の終盤あたりなんかは特にクサい。この二つの曲の関連性について言及している意見は目にしたことがないのですが、ここはいっちょ「"足どりも軽やかに"と"魔法のじゅうたん"は姉妹曲説」をプッシュしてみますか!賛同者いなさそうだなあ……。 |
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28.遥かなる空の彼方へ ・神の石に乗って飛行中 |
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これにはたまげた。ファーストプレイ時、とにかく驚かせていただきましたよ。過去には鳥、気球、竜、ベッドや城などいろいろなものに乗って空を飛んできた「ドラクエ」ですが、「VII」は石かよ!おかしいやら、悲しいやら。そういえば「VIII」では鳥に戻ったりしてますし、もう空飛ぶ乗り物もネタ切れでしょうかねえ。 楽曲はというと、「ラーミア」タイプのしっとり、ゆったり系。かと思うと、46秒からはそれまでの流れを受け継ぎつつも雄大な表情を見せ、さらに1分32秒からは「同じ曲か?」というほど様変わりしていきます。1周2分35秒の間に次々に曲調を変化させ、予想のつかない展開はまるで眼下を過ぎ去っていく大地の様子を描写しているかのよう。「IV」の「のどかな熱気球のたび」では、刻々と変化する空模様に身を委ねる気球の様子を、やはり変化に富んだ変拍子をもって表現していましたが、この曲では拍子こそ一定であるものの、異なる楽曲を紡ぎ合わせたかのような「あからさまな変化」による演出を用いているのです。石にも驚いたけど曲にも驚いたねぇ。 ユーザーの間で「"VII"の曲は高度だ」「マニアックだ」と言われ、ゲームファンよりもむしろクラシック音楽も好んで聴くという人々に「VII」の楽曲が人気なのも、おそらくはこの曲に代表される「第一印象ではわかりにくい曲」によるものでしょう。逆にファミコン時代からドラクエ音楽を愛聴しているようなファンの多くは、主に「VI」以降の音楽を拒否する傾向が顕著です。これはもう、ハードウェアの表現力に起因する「評価の二極分化」に他なりません。ファミコン時代は処理能力も低くパート数も少なかったですから、短くかつ簡潔に状況を演出できる音楽が求められました。結果、曲はわかりやすくキャッチーなものになったのです。メロディアスな曲が多いのもそのため。しかし、ハードウェアの進化とともに音色が向上しパート数も増え、さらにメモリー上の制約も徐々に緩くなり、1ループを長くすることができるようになりました。結論を急げば、いまどきのゲームにおいては「すぐに答えの出る音楽である必要がなくなった」と言えます。シリーズを重ねてきたことも合わせて、曲を作る方としては「さらに良いものを、制約に縛られない高度な曲を」という意識を持つのは自然な流れです。こうしてスーパーファミコンの頃から次第にマニアックな音楽が増えてきたのです(ここでの「マニアック」とは、音楽技法的に高度だという意味)。本作においてこの曲こそがその集大成と言えるでしょう。「ゲーム音源がいちばん」「N響が最高」「"VI"以降はイマイチ」という人には信じられないかもしれませんが、クラシック派のファンからはこの「遥かなる空の彼方へ」は本作一番人気だったりするのです。 もちろん高度な曲であれば名曲だとか、名曲なんだから聴け、好きになれなどというのは大きな間違いで、音楽である以上は個人の好みで判断すべき。音楽理論などは抜きにして好きな曲を聴けばいいのですし、苦手な曲は聴かなくていいのです。ただ、それを人に押し付けてはいけないと。「この曲の良さがわからないとは」「こんな曲が好きだなんておかしいんじゃない?」なんてことは、音楽を愛する者として絶対に言ってはいけないことなのです。まあ、ここまで語っておいてなんですが、個人的な印象を最後に述べるとするならば、ゲーム全体の作品としての印象、そしてなにより「石かよ!」というところで、筆者自身はこの曲、特に思い入れはありません、本当にすいません。あ、押し付けじゃないですよ? |
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29.オルゴ・デミーラ ・対オルゴ・デミーラ戦1回目(魔空間の神殿) ・対オルゴ・デミーラ戦2回目(ダークパレス) |
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ひとことで言えばラスボス曲。とは言っても、そのラスボスと対戦する機会が2度あるというのも本作の特徴でして、この楽曲もゲーム中では2度耳にすることになります。クリア後の隠しダンジョンに潜むはずの「隠しボス」に流用されているかな?と当時は予想しましたが、こんな邪悪な曲が「あの」隠しボスにハマるわけもなく、めでたく流用のないラスボス限定の曲になったというわけです。しかしラスボス曲ってゲームの最後にドドーンと流れてくるからこそ鳥肌モノなワケで、2回の対戦でどちらにも流れてしまうという演出が、楽曲の価値という意味では吉となっているのか、凶となっているのか、ユーザーの間でも意見の割れるところです。どうにも「VII」は賛否両論な楽曲が多いんですよね。それでもこの曲は人気の高い部類だと思うのですが、否定派の中には「竜王に似てる」という意見まであります。それを否定するつもりはありませんが、「あれに似てる、これと似てる」という議論は不毛だなあ……と常々思います。 なんかレビューが「ドラクエ音楽ファンの心得」みたいになってきたので、曲の話をしましょう(笑)。楽曲はけたたましく煽り立てるタイプのものではなく、テンポ自体はかなりゆったりとしたもの。「出たー!」というような威圧的な、ヘビーな導入の後、金管の刻みががリズムキープの役割を果たし(24秒〜。たしかに竜王っぽいですけどね、コレ)、弦楽器主体で緊迫感のある旋律を奏でていきます。1分11秒からは「迫り来る死の影」のモチーフ(セリー)が顔を出しており、その後もたびたび登場します。この曲自体が「迫り来る死の影」のバリエーションというか、最終形態とも思えるぐらいに組み込まれており、これまでの様々な事件が集束する……諸悪の根源はそもそもオルゴ・デミーラなのである、という結論を示しているかのようです。そうして進行していく間、絶え間なく叩き付けてくるティンパニとシンバルが、敵の激しい攻撃を連想させます。なお、オルゴ・デミーラは何度かその姿を変えますが、変身に伴う音楽的な仕掛けはありません。 まあ、ラスボス音楽については既にやり尽くした感も否定できないところですのが、それより何より希薄化してきた「ラスボスの存在感」は今後の「ドラクエ」の、ひいてはRPGの課題ではないでしょうか。初期のRPGは「魔王に姫がさらわれた」みたいなわかりやすい命題があったため、ラスボスを目指す動機が強かったのですが、複雑化していくシナリオとともにだんだんと魔王の存在が遠くなってしまったんですよね。本作でのオルゴ・デミーラはまさに諸悪の根源ではあるのですが、プレイヤーがダイレクトに被害を受けていないこともあり、強大な敵だという認識が欠如したまま戦わされる印象が強いんです。さらに対峙してみればヘンなカッコしたオカマ言葉がそこにいたとなっては、この曲にもいまひとつ入り込むことができません。ラスボスと戦う動機付けをどうにかしないと、どんな曲が充てられていても印象に残らないものになってしまいます。結局はこのゲーム、すべての島を復活させたところでいったん終わってしまっているのが失敗でしたね。あそこから神の復活云々までをもっとスムーズに繋げていればあるいは……。オルゴ・デミーラとの戦いが後日談(悪く言えばオマケ)のようになってしまっているんです。 |
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30.凱旋そしてエピローグ ・エンディング(船の出航、ムービー部分) |
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というわけで、オマケのようなラスボスを倒してエンディングとなります。筆者個人的には達成感とかクリアの感動とかよりもまず、「長かった〜」「疲れた〜」「やっと終わりか」という感覚が多くを占めてしまいました。さらに言えば「もうプレイしなくていいんだ……やっと他のゲームができる」。いや、実際には隠しダンジョンが残ってるんですけどね。とにかく、そういう人間が書いてる感想だということを前提に読み進めて下さい。 エンディングはまず、グランエスタードで「序曲のマーチ VII」が流れ、「宴が開かれた」ということを描写。次に後日のフィッシュベルへ移動、普通にマップBGとして「のどかな家並」が流れ、父に届け物をして漁に出発!というところで初めてこの「凱旋そしてエピローグ」が鳴り響きます。その使い方は良いのですが、どうでしょう?この出だしは。なにか達成感を削ぐ音だと思いませんか?「序曲」「のどかな家並」ときたら、ここは明るく爽やかに、前の2曲を受け継いでほしいところ。しかしこの悲壮感のあるイントロはどうしたことでしょう。前の2曲からの流れをぶつ切りにしてしまうほどの破壊力を持っています。曲単体でなく、ゲーム中で流れた際の組み立てを聴いたとき、これは残念でした。リアルタイムグラフィックを無理矢理ムービー化した映像と合わさって、「これがドラクエ最新作のエンディングなのか?」とさえ思ってしまいました。これなら前作までの画面構成の方が良かった。 「やっと一人の漁師として認められた主人公」みたいな、感無量な心情を描いているのかもしれませんが、プレイヤーはさほど漁師という設定に思い入れてはいません。そのような意図がないのではれば、出航する船にこの先どんな苦難が待っているとも知れない、暗示的な音が使われているのは理解できません。簡単に言うと、気持ち良くないのです。43秒からは一転してアタック要素の強い行進曲になります。映像ではマール=デ=ドラゴーンが登場するあたりでしょうか。この音楽的な変化はわかりますが、花火が鮮やかに映える画面と楽曲が添っていません。お互いを讃え合っているようには聞こえませんし、プレイヤーに対する祝福も感じ取れません。なぜこれほどまでに威圧的かつ勇壮なのでしょう。魔物と戦う旅では決してないのに。まだ「海原の王者」でも組み込んでもらった方が良かったと思います。本当はダメですけどね。ここでのメインはあくまで主人公側で、マール=デ=ドラゴーンではないので。 2分40秒あたりから楽曲は再度落ち着きを取り戻します。これは来たるべき終局に向けた準備です。「凱旋」はここで終わり、引き続き3分16秒からが「エピローグ」にあたる部分なのですが、これ、すぎやまこういち氏が過去に手掛けた「サイボーグ009」の楽曲をほぼそのまま引用していたりします(4分22秒まで)。引用そのものについては特に意見はないです、御自分の曲ですし。しかしその引用元となった「009」においてはこの曲、「悲哀」というタイトルが与えられているんです。おかしいでしょう?なぜ本作のエンディングが「悲哀」なんですか? 最後にもう一度「悲哀」をリピートして楽曲は幕を閉じます。スパッと終わらずに、結論を出さないかのような余韻を残す終わり方は手法としてはアリ。あとはプレイヤーに委ねる、と。ゲームではこの後は波の効果音だけになり、キーファが主人公に宛てて書いた手紙(石ですけど)を見つけます。彼は彼で幸せに、充実した生活を営んでいるらしい。主人公もやっと漁師として海に出られるようになった。そしてなにより、この世界に魔王はもういない……。キーファとの別れは突然やって来ましたし、彼のその後も気になるところではありますが、それはもう数十時間も前に消化しているはず。直前に「悲哀」が流れる要素はまったくないのです。 すぎやまこういち氏は本作発売にあたってのインタビューで「どの曲に最も思い入れがあるか」との問いに、エンディングだと回答していました。「ぜひエンディングまでプレイして曲を聴いてほしいねえ」とは、氏がよく仰るキメ台詞ではあるのですが、私はとても思い入れられません。DQ音楽ファンには人気が高く、本作中イチオシを掲げる人も少なくない「凱旋そしてエピローグ」ですが、筆者はドラクエシリーズで最も納得がいかないエンディング曲としてこの曲を挙げます。ゲーム本編に対する評価も影響していると思いますが、それでもこの曲はあんまりだと思うのです。 |
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未収録曲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
残念ながら本作についてはME系がすべてサントラに未収録となっております。ただでさえ曲数が多く、オケバージョンとカップリングにしたためCD2枚でもギリギリ、MEを入れる余裕はなかったんですね。ゲーム音源のループも短いですし……。「FF」みたいに3枚組、4枚組にするつもりはなかったのでしょうか。と、ここで言ってても今さらなことでして、次回作「VIII」は「VII」での反省もあってか、ゲーム音源盤とオケ盤が分かれます。複数のCDを買う手間とお金の問題はありますが、音楽を聴くうえではそういう形がベストでしょう。 というわけで、ここではシリーズおなじみのものから「VII」独自のものまで……、本作に使われたMEをまとめてみましょう。もちろんこういうものもすぎやまこういち氏が手掛けている、立派なドラクエ音楽なのです。筆者がゲームを進めるうえで聞き漏らした(聴く機会のなかった)ものもあるでしょうから、「こんなのもあるよ」という方は補完していただけると助かります。特にカジノ系はかなりしつこくプレイしたのですが、まだ何か逃がしてそうな気が。
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総括:「ドラクエVII」というゲームと音楽演出全般について語らせて。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここまで読んでいただいた方には、筆者があまり「ドラクエVII」という作品を好きでないことはおわかりいただけたことと思います。他のシリーズ作品と比べてもプレイ時間は長いですし(1周が長いためですが)、オープニングから神さまを倒す段階に至るまで、しっかり2周しました。ビデオ録画もしてますし、このレビューを書くにあたりすべて吟味しながら鑑賞しました。ですが残念ながら、やはりこの作品を好きになることはできませんでした。フリーズは4回ほどしてましたし(笑)。前作から5年も経っているのに、という思いはもちろん、スーパーファミコンの頃の方がよほどよくできていたじゃないか、とすら感じてしまったのです。 最大の難点は、何度も述べてきたことではありますが、ゲーム自体がむやみに長過ぎるということ。神の手によって巧みに誘われていれば快適な時間だったかもしれませんが、似たような手順の繰り返しと次第に先読みできてしまうシナリオは、それを許しませんでした。また、3Dにしたことも個人的には無意味に感じました。「VIII」のような前向きな取り入れ方ならば良かったのですが、極力「ドラクエらしさ」を失わないことを優先させた結果、「これだったら別に2Dのままでもよかったのでは?」というレベルに留まってしまったのです。単に画面回転という煩わしい手間が増えただけで、ゲームに新鮮な手触りを与えるまでには至っていませんでした。 さらに、ご存知フリーズ問題。国民的タイトルである「ドラクエ」に、あってはならないことでした。「ドラクエ」のイメージはそのままゲームという娯楽全般に波及する恐れがあります。プログラムのかたまりであるゲームソフトに不具合はつきものですが、筆者はこれがテストプレイ中に起こらなかったとは思えません。エンディングに表示されたテストプレイヤーの数に驚いたものです。「こいつら誰ひとりとして気付かなかったのか?」と。もちろんそんなわけないでしょう。報告は上がっていたはずです。が、これを修正するためにはローディングも含めてシステムの根本に手をつけなければなりません。そんなことをすれば、発売があとどれだけ延期になるか……。筆者は、制作陣はフリーズ多発を認識していながらソフトを発売したものだと考えています。そうでなければスタッフ一同が無能すぎます。 「ドラクエVII」は「検証の足りない作品」と言い切ってよいでしょう。100時間を超すゲームは開発するだけでも膨大な時間を必要とします。バランス調整もしかり。そして形になったものをテストプレイ(デバッグ)するにも、それはそれは気が遠くなるほどの時間がかかるでしょう。しかし、おそらく本作はその時間を費やしていない。細部まで検証するほどの時間は残されていなかったのだと邪推します。それはテストプレイヤーのみならず、制作者たちもそうだったのでしょう。そんな、「普通なら気になって直すはずのミス」が目につくのです。それは音楽演出についても言えます。 音楽個別のレビューについては本文をご覧いただけていると思います。明と暗を使い分けた、城や街における音楽の対比は良いアイディアでしたし、効果もありました。洞窟や塔におけるモチーフの徹底もプロの仕事です。しかし、楽曲がプログラムと組み合わさった時、上手くいっていない場面が多々あるのです。イベントシーンに戦闘の音楽を流して緊迫感を煽る、それは演出として問題ありません。が、そこでひとたび戦闘に突入すると、いかに練られていないかが露呈します。イベントシーンにボス音楽、戦闘に入ると通常戦闘の曲……逆じゃないの?と思いませんでしたか?また、戦闘が終わると曲がリセットされてアタマに戻る……なぜ戻るの?と思いませんでしたか?ルーメンの街では建物を出入りするたびに音楽が出だしに戻る……なぜ直さなかったの?と思いませんか?そしてなぜ修正されないまま商品として発売されてしまったのでしょうか? これは前述の通り、わかっちゃいるけど直せない、というやつでしょう。音楽?些細なことだ、問題はない、ゲームが進まなくなるわけではない。おそらくその程度の認識でしょう。それよりも発売に間に合わせる方が重要だ……。確信犯です。そうでないのなら、エンタテインメントを世に出す人間として「匠の目」が欠如しているという結論に至らざるを得ません。即ち、「誰もおかしいとは思わなかった」という状況です。この映像、このイベントの流れで、この音の鳴り方はおかしい……これはセンスの問題なのですが、筆者としてはクリエイター、スタッフ、テスターすべてがまったく気付かなかった、そんなふうには思いたくないんですよ。 エンディングと言えばゲームのシメです。プレイヤーの気持ちもググッと高まるところです。グランエスタードで「序曲」が高らかに鳴り響きます。そして宴が終わり、主人公は久しぶりの我が家に戻って大の字になって深い眠りについたのでしょう。画面が暗転し、優しく流れる「宿屋」のME……の前に、筆者は聞き逃しませんでしたよ。一瞬「のどかな家並」のアタマがチョロッと聞こえたのを。なぜ直さないのでしょう?誰も気付かないわけないんです。これを些細なこととおっしゃいますか?揚げ足取りだと笑いますか?いいえ、これは発売日を延期してでも直すべき恥ずかしいものだと筆者は思います。それを直さず製品にしてしまった。出荷してしまった。400万本売ってしまった。これが筆者の「ドラクエVII」という作品に対する評価です。 |
←「DQ」ではおなじみの 「オン・ピアノ」も出ています。 |
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ゲームをやらずに音楽についてのみ 「あーだこーだ」言ってる人は、 ゲームもプレイするように! 今なら廉価版が安く買えます。 → |
ピアノで弾いてみませんか?